「合衆国の再生」でオバマという人に俄然興味を覚え、本屋で平積みになっている彼の「自伝」への誘惑に抗しきれず年末年始の読書はこの本となった。 この「自伝」は、1995年、著者がまだ33歳か34歳で、イリノイ州の州議会議員になる前に書かれた。 執筆のきっかけは、Harvard Law Revueの初の黒人編集長となり、その生い立ちや履歴がおもしろいということで出版社から誘いがあったようだ。 当時もそれなりに売れたらしいが、本人が2004年版の「序」で言っているように、作家になろうと決意するほど売れたわけでもなく、彼が連邦上院議員に立候補したのを機に再版されたらしい。
30歳を少し過ぎたばかりの自伝にしては、本書は老練な作家の小説のごとくおもしろい。フォークナーやガルシア・マルケスの小説を読んでいるかと錯覚する瞬間もあるほどだ。 第一部は、幼年期から大学まで、成人するまでの記録だ。20歳を過ぎたばかりのケニア人留学生の父”バラク・オバマ“とカンサス生まれの白人の母”アン“は、ハワイ大学で知り合い結婚。しかし父は、2歳のバラクと家族を残してハーバード大学に進学、その後ケニアに帰りバラクが10歳になるまで再び姿を見せることはなかった。 残された母の再婚にともなって新しい父とインドネシアの田舎で過ごした幸せな少年期。 しかし、将来のためにハワイの「プナホウ・アカデミー」という一流校に中学から編入し、さらにロサンゼルス近郊のオキシデンタルカレッジから、NYのコロンビア大学に進む。成長するにつれ、白人はもとより黒人にもなりきれない自らのアイデンディティーに悩む著者。「大学へ行くのは、教育を受けるためでない。大学は必要じゃないものを欲する人間になるように、お前達を訓練する。言葉を自由自在に操れるように訓練して、言葉の本当の意味を失わせてしまう」とバラクに告げる黒人の老詩人。「機会の均等とか、アメリカ的なやり方とか、そういう馬鹿げた話を本当に信じて、角部屋のオフィスをもらい、豪華なディナーに招待される、『あなたは黒人の誇りだ』といわれるようになる。でも実際に何かを実行しようとすると彼らは鎖を引っ張って、『お前は訓練を受け、よい収入を得ているかもしれないが、黒ん坊には変わりは無い』と言うんだ」とこの辛らつな詩人は大学入学前のバラクに警鐘を鳴らす。
バラクは、コロンビア大学卒業後、一流企業への就職の道を選ばす、コミュニティーオーガナイザーになろうとして、全米の団体に手紙を書く。そうして、シカゴのサウスサイドの貧困地区で、住宅改善のために市の住宅課との交渉を組織したり、教育プログラムへの予算認可のために、地域の意見集約の作業を精力的に行う。ここでは、ほんの5,6歳までは無邪気に笑う子供たちの目からやがて光が消えていく。父のいない家庭、何を教えていいわからない10代の若い母親、学校と教会が唯一規律や希望を与える場所としてある中で、地域の経済的、精神的荒廃を如何に防げるのか。「修復するスピードより、分裂するスピードのほうが速いと思える社会の中で、どうして希望を繋ぐことができるのか。」 諦めて自らの殻に閉じこもろうとする人達にインタビューを繰り返し、自らも心を開いて話すことで、足元にコミュニティーが開けてくることをバラクは感じる。一方では、白人を敵視し、アメリカで黒人が耐えてきた残酷な歴史を常に語り続けることで、自らのアイデンティティーを保とうとする「黒人民族主義」を標榜する人にも出会う。 しかし、バラクは「人種や文化の純粋さを追及することが、自分自身にも一般のアフリカ系アメリカ人の自尊心の源にもならない。その人らしさ、その人の全体性というものは、譲り受けた血統よりももっと繊細な何かから生まれるものだ。 各人の複雑で矛盾に満ちた生い立ちのなかでその源を見出さなければならない」という認識に達する。
バラクは自らも後年、この地区出身のミシェル夫人と結婚式を挙げることになるトリニティー教会の牧師との会話や礼拝を通して、そこの集まる人達が必ずしも宗教的なもののために集うのではなく、ここでは、「教師や医者や弁護士が恵まれない弱者や若者に一方的に助けの手を差し伸べるのではなく、元ギャングや10代の母親たちも自分なりの価値観を持っており、逆方向にも彼らの世界の知恵を与えている」ことに気づく。 幅広い信者の集うトリニティー教会の活動は、「自分達の運命は固い絆で結ばれ、『自分』と『他人』ではなく『私たち』という観点が今もはっきり存在している」ということをバラクに確信させる。 そして、本書第二部は、「目的を達成するのは行動のみだ」と信じていたバラクが、「僅かな夢にでも希望を持つこと」が大切なのだと悟り、涙を流すところで終わる。
第三部は、バラクが3年余りのコミュニティーオーガナイザーの仕事を後進に託し、ハーバードロースクールに入学することを決め、その前に、父の故国ケニアを訪ねる物語だ。父バラクの異母兄弟であるオウマはドイツで高等教育を受け、同じく長男のロイはアメリカに住むが、そのほかにも父がアメリカから連れ帰った別の白人の奥さんが産んだ兄弟もいる。 一夫多妻制のもとで少なくとも3人の妻を持った父バラクや、祖父オニャンゴの親戚の数は知れず、ナイロビから故郷のアレゴでは多くの親族がバラクに会うのを楽しみにしている。 そして、祖母が語る一族の歴史は、まるで聖書の創世記を紐解いているようだ。 そこで明らかになる事実。 厳格だった祖父は、ナイロビで白人の料理人をしながら身を立て、故郷に白人のような靴とシャツを着て現われて笑いものになった最初の人間だったこと。そして、植民地化の中で、ケニアにも土地の所有制や税金や賃金労働が導入され、西洋の便利な道具と引き換えに、バラク一家の属するルオ族の伝統的な生活が破壊されていったこと。 原住民に残された選択は、白人の世界に同化しその価値観と生活スタイルを取り入れて富や権力を手に入れるか、昔ながらの生活を守る不毛な戦いに身を挺したり、都会から遠くはなれた土地で「貧しい」暮らしに甘んずるしかなくなったこと。 祖父オニャンゴも、父バラクもそうしたくびきを何とか振り払おうと懸命に仕事をしたり、勉強したりしながら、最終的に成功という形では報われなかったこと。 そうした苦悩と恐怖と戦いながら、それに負けまいとし、それに負けることを恥と感じながら。
バラクは、故郷の家のイチジクの木の下の父の墓の前で、涙しながらつぶやく。 「お父さんもおじいさんも、それを恥とすることはなかったのに。 あなたがたの恐怖が引き起こした沈黙に打ちひしがれること無く、それから逃れようとせず、信念を持って自分を再生させる道を進めばよかったものを」と。 バラクはその信念は、「他人を信じる気持ち」であるといい、その信念を失ったため、父は過去との距離のとり方がわからなくなった、と感じる。
著者のバラク・オバマは、単に黒人と白人の間に生まれたというだけでなく、父はアフリカ人であり、典型的なアメリカの黒人が育つような場所で何世代も育った家庭の出ではないという二重の複雑さを帯びている。それゆえに、彼は「生粋」のアメリカ黒人ではない、という人もいるという。 しかし、バラク自身が体験してきたように、「生粋の○○」というレッテルは、自分と他人を別のものとして分断し、独善的な民族主義、原理主義に陥る危険をはらむ。 アメリカにはバラクのような複雑な生い立ちを持つ人間が無数にいるのだ。 そうした社会の中で、多用な人間がいがみ合わず、助け合って小さな幸せな夢を紡ぎながら暮らしていくことこそ必要だと彼は語りかける。 アメリカは建国200数十年を経て今、これまでになく分断と争いの危機に瀕している。 この国が引き続き、世界の人達にとってland of opportunityであり、希望を繋ぐ国家であり得るには、もう一度他人への「信頼」と「連帯感」をとりもどすことが欠かせない、とバラクはその人生で痛いほど体験してきた。 そして実は、アフリカのオバマ一族のSagaやバラクの自伝は決して他人事ではなく、グローバル資本主義と情報通信技術の発達によって、昔ながらの生き方からの変化を余儀なくされている、ほとんどの国の国民、民族にもあてはまるのだ。 それぞれの肌の色や言語、宗教、民族的伝統の違いを超えて、いかにして共存しあえるのか。それは他者への無関心や敵意、シニシズムの帰結としての自己利益の追求とは違った、相互の信頼と連帯、他者への思いやりによってこそ、可能になるのであろう。 バラク・オバマがこの時期に彗星のごとくアメリカの政治に現れた。そして彼は身をもって今のアメリカの抱える問題を理解し、そこからの脱却を勇気と希望を持って実践しようとしている。 確かに抵抗も相当激しいだろう。 アメリカ建国以来、この国を深く分断してきた人種の問題が絡むと狂信的な人間がいるのも確かだ。また、オバマの国レベルの政治経験の不足を懸念する人もいるだろう。 しかし、これまでの黒人指導者や政治家と違って、オバマがアメリカ建国期に近い生い立ち、つまりアフリカ一世の父と白人の間に生まれ、インドネシアやハワイで育ったいわば移民一世であることは、これまでにない新鮮さとこの国の元来の成り立ちと建国の理念を強く呼びおこす結果になっているように思う。
あえて一つ懸念を表明するとすれば、この自伝はよく書け過ぎているかもしれない。効果を計算し尽くした展開と文章が、この本をほとんどフィクションのように感じさせるのが若干気がかりといえなくもないのではあるが。
30歳を少し過ぎたばかりの自伝にしては、本書は老練な作家の小説のごとくおもしろい。フォークナーやガルシア・マルケスの小説を読んでいるかと錯覚する瞬間もあるほどだ。 第一部は、幼年期から大学まで、成人するまでの記録だ。20歳を過ぎたばかりのケニア人留学生の父”バラク・オバマ“とカンサス生まれの白人の母”アン“は、ハワイ大学で知り合い結婚。しかし父は、2歳のバラクと家族を残してハーバード大学に進学、その後ケニアに帰りバラクが10歳になるまで再び姿を見せることはなかった。 残された母の再婚にともなって新しい父とインドネシアの田舎で過ごした幸せな少年期。 しかし、将来のためにハワイの「プナホウ・アカデミー」という一流校に中学から編入し、さらにロサンゼルス近郊のオキシデンタルカレッジから、NYのコロンビア大学に進む。成長するにつれ、白人はもとより黒人にもなりきれない自らのアイデンディティーに悩む著者。「大学へ行くのは、教育を受けるためでない。大学は必要じゃないものを欲する人間になるように、お前達を訓練する。言葉を自由自在に操れるように訓練して、言葉の本当の意味を失わせてしまう」とバラクに告げる黒人の老詩人。「機会の均等とか、アメリカ的なやり方とか、そういう馬鹿げた話を本当に信じて、角部屋のオフィスをもらい、豪華なディナーに招待される、『あなたは黒人の誇りだ』といわれるようになる。でも実際に何かを実行しようとすると彼らは鎖を引っ張って、『お前は訓練を受け、よい収入を得ているかもしれないが、黒ん坊には変わりは無い』と言うんだ」とこの辛らつな詩人は大学入学前のバラクに警鐘を鳴らす。
バラクは、コロンビア大学卒業後、一流企業への就職の道を選ばす、コミュニティーオーガナイザーになろうとして、全米の団体に手紙を書く。そうして、シカゴのサウスサイドの貧困地区で、住宅改善のために市の住宅課との交渉を組織したり、教育プログラムへの予算認可のために、地域の意見集約の作業を精力的に行う。ここでは、ほんの5,6歳までは無邪気に笑う子供たちの目からやがて光が消えていく。父のいない家庭、何を教えていいわからない10代の若い母親、学校と教会が唯一規律や希望を与える場所としてある中で、地域の経済的、精神的荒廃を如何に防げるのか。「修復するスピードより、分裂するスピードのほうが速いと思える社会の中で、どうして希望を繋ぐことができるのか。」 諦めて自らの殻に閉じこもろうとする人達にインタビューを繰り返し、自らも心を開いて話すことで、足元にコミュニティーが開けてくることをバラクは感じる。一方では、白人を敵視し、アメリカで黒人が耐えてきた残酷な歴史を常に語り続けることで、自らのアイデンティティーを保とうとする「黒人民族主義」を標榜する人にも出会う。 しかし、バラクは「人種や文化の純粋さを追及することが、自分自身にも一般のアフリカ系アメリカ人の自尊心の源にもならない。その人らしさ、その人の全体性というものは、譲り受けた血統よりももっと繊細な何かから生まれるものだ。 各人の複雑で矛盾に満ちた生い立ちのなかでその源を見出さなければならない」という認識に達する。
バラクは自らも後年、この地区出身のミシェル夫人と結婚式を挙げることになるトリニティー教会の牧師との会話や礼拝を通して、そこの集まる人達が必ずしも宗教的なもののために集うのではなく、ここでは、「教師や医者や弁護士が恵まれない弱者や若者に一方的に助けの手を差し伸べるのではなく、元ギャングや10代の母親たちも自分なりの価値観を持っており、逆方向にも彼らの世界の知恵を与えている」ことに気づく。 幅広い信者の集うトリニティー教会の活動は、「自分達の運命は固い絆で結ばれ、『自分』と『他人』ではなく『私たち』という観点が今もはっきり存在している」ということをバラクに確信させる。 そして、本書第二部は、「目的を達成するのは行動のみだ」と信じていたバラクが、「僅かな夢にでも希望を持つこと」が大切なのだと悟り、涙を流すところで終わる。
第三部は、バラクが3年余りのコミュニティーオーガナイザーの仕事を後進に託し、ハーバードロースクールに入学することを決め、その前に、父の故国ケニアを訪ねる物語だ。父バラクの異母兄弟であるオウマはドイツで高等教育を受け、同じく長男のロイはアメリカに住むが、そのほかにも父がアメリカから連れ帰った別の白人の奥さんが産んだ兄弟もいる。 一夫多妻制のもとで少なくとも3人の妻を持った父バラクや、祖父オニャンゴの親戚の数は知れず、ナイロビから故郷のアレゴでは多くの親族がバラクに会うのを楽しみにしている。 そして、祖母が語る一族の歴史は、まるで聖書の創世記を紐解いているようだ。 そこで明らかになる事実。 厳格だった祖父は、ナイロビで白人の料理人をしながら身を立て、故郷に白人のような靴とシャツを着て現われて笑いものになった最初の人間だったこと。そして、植民地化の中で、ケニアにも土地の所有制や税金や賃金労働が導入され、西洋の便利な道具と引き換えに、バラク一家の属するルオ族の伝統的な生活が破壊されていったこと。 原住民に残された選択は、白人の世界に同化しその価値観と生活スタイルを取り入れて富や権力を手に入れるか、昔ながらの生活を守る不毛な戦いに身を挺したり、都会から遠くはなれた土地で「貧しい」暮らしに甘んずるしかなくなったこと。 祖父オニャンゴも、父バラクもそうしたくびきを何とか振り払おうと懸命に仕事をしたり、勉強したりしながら、最終的に成功という形では報われなかったこと。 そうした苦悩と恐怖と戦いながら、それに負けまいとし、それに負けることを恥と感じながら。
バラクは、故郷の家のイチジクの木の下の父の墓の前で、涙しながらつぶやく。 「お父さんもおじいさんも、それを恥とすることはなかったのに。 あなたがたの恐怖が引き起こした沈黙に打ちひしがれること無く、それから逃れようとせず、信念を持って自分を再生させる道を進めばよかったものを」と。 バラクはその信念は、「他人を信じる気持ち」であるといい、その信念を失ったため、父は過去との距離のとり方がわからなくなった、と感じる。
著者のバラク・オバマは、単に黒人と白人の間に生まれたというだけでなく、父はアフリカ人であり、典型的なアメリカの黒人が育つような場所で何世代も育った家庭の出ではないという二重の複雑さを帯びている。それゆえに、彼は「生粋」のアメリカ黒人ではない、という人もいるという。 しかし、バラク自身が体験してきたように、「生粋の○○」というレッテルは、自分と他人を別のものとして分断し、独善的な民族主義、原理主義に陥る危険をはらむ。 アメリカにはバラクのような複雑な生い立ちを持つ人間が無数にいるのだ。 そうした社会の中で、多用な人間がいがみ合わず、助け合って小さな幸せな夢を紡ぎながら暮らしていくことこそ必要だと彼は語りかける。 アメリカは建国200数十年を経て今、これまでになく分断と争いの危機に瀕している。 この国が引き続き、世界の人達にとってland of opportunityであり、希望を繋ぐ国家であり得るには、もう一度他人への「信頼」と「連帯感」をとりもどすことが欠かせない、とバラクはその人生で痛いほど体験してきた。 そして実は、アフリカのオバマ一族のSagaやバラクの自伝は決して他人事ではなく、グローバル資本主義と情報通信技術の発達によって、昔ながらの生き方からの変化を余儀なくされている、ほとんどの国の国民、民族にもあてはまるのだ。 それぞれの肌の色や言語、宗教、民族的伝統の違いを超えて、いかにして共存しあえるのか。それは他者への無関心や敵意、シニシズムの帰結としての自己利益の追求とは違った、相互の信頼と連帯、他者への思いやりによってこそ、可能になるのであろう。 バラク・オバマがこの時期に彗星のごとくアメリカの政治に現れた。そして彼は身をもって今のアメリカの抱える問題を理解し、そこからの脱却を勇気と希望を持って実践しようとしている。 確かに抵抗も相当激しいだろう。 アメリカ建国以来、この国を深く分断してきた人種の問題が絡むと狂信的な人間がいるのも確かだ。また、オバマの国レベルの政治経験の不足を懸念する人もいるだろう。 しかし、これまでの黒人指導者や政治家と違って、オバマがアメリカ建国期に近い生い立ち、つまりアフリカ一世の父と白人の間に生まれ、インドネシアやハワイで育ったいわば移民一世であることは、これまでにない新鮮さとこの国の元来の成り立ちと建国の理念を強く呼びおこす結果になっているように思う。
あえて一つ懸念を表明するとすれば、この自伝はよく書け過ぎているかもしれない。効果を計算し尽くした展開と文章が、この本をほとんどフィクションのように感じさせるのが若干気がかりといえなくもないのではあるが。
石油利権に目がくらんでイラク戦争に突入したブッシュ政権は、ブット暗殺で混迷の度を深めるパキスタンにすら深くかかわる余裕はないだろうから、ましてやケニアにまでは手が回るまい。
しかし、事実上の世界で唯一の超大国である合衆国は、世界の平和に決定的に責任があると思う。オバマはイラク以外の外交にはどういうスタンスで臨むだろうか?
私は昔からペシミスティックなところがあり(実はそれが子供を持たなかったことの原因の一つでもあるのですが)、老人化でその傾向が強まっているのかもしれませんね。
yasumaruさんほどではないにしろ、私も合衆国と長年かかわりを持ってきて、好きか嫌いかと聞かれればどちらかといえば嫌いな国ですが、多様性の国ゆえの懐の深さを感じることがしばしばあります。「希望」を語り続ける人が登場し、その人が支持されて国家のリーダーまで昇り詰めようとしているのも、懐の深さの一面ではないかと思います。合衆国がちょっとうらやましいですね。
New Hampsherでのオバマの支持率がヒラリーを10%上回ったという調査が出ました。TVでもやっていますが、ヒラリーも戸別訪問をしたりして必死ですね。しかし、8年間のブッシュ政治にアメリカ市民は本当に嫌気がさしたのでしょうし、今変わらなければこの国が駄目になると感じているのかもしれません。時計を20世紀に戻してもう一度クリントンというのは最早難しそうな気配ですね。 私もヨシさん同様、結構ペシミスティックな見方をするほうだと思いますが、オバマ氏の「希望」も、決して生まれつきの楽天的な性格によるのではなく、彼が人生を正直かつ真摯に生きてきた中で体得し辿り着いた境地、哲学であると思います。彼の言葉が本物であることが、アメリカ市民にわかるから期待が集まるのでしょう。