中間選挙の敗北後、ラムズフェルド元国防長官を解任し、いわゆるネオコンはホワイトハウスの中枢で影響力をほぼ失ったといわれるが、2006年始めに出版されたフクヤマの「アメリカの終わり」(原題はAmerica at Crossroads)は、ネオコンの終焉とアメリカのイラクでの失敗と凋落を裏付ける著作として受け止められている。
フクヤマの90年代前半のベストセラー「歴史のおわり(End of history and last men」は、ソ連の崩壊と冷戦の終結を受けて、「リベラルな資本主義が世界の隅々まで浸透していく」としたもので、東欧や南米、アジアの民主化が進みつつある中、何となく後だしジャンケンのような感じがした記憶がある。 今回の「アメリカの終わり」も、イラクの戦後処理がうまく行かず、この戦争自体が間違いであったのではという雰囲気が濃厚になった2005年に執筆されているから、また後出しか、と思ったのも事実だ。
しかし、読み込んでいくと色々と発見がある。 ネオコンの来歴を1940年代に遡ってたどり、レオ・シュトラウスといったいわゆるユダヤ系政治哲学者の「国家の外交や覇権は、その国内の体制(レジーム)を反映する」という思想の影響を指摘している点や、ネオコンがイラクやイラン、北朝鮮などの「レジームチェンジ」が不可欠であり、アメリカの善意の力によって民主主義を確立しようと試みた、といった特色の分析などは、著者自身のネオコンの論客の一人といわれていただけにわかりやすい。 では、何がネオコンを誤らせたか、という点だ。 レーガン時代の徹底した反共主義、ソ連に対する軍事力優位の確立が結果的にソ連の崩壊を導いたと信じるがゆえに、イラク独裁政権や9・11などテロ組織に対しては、力で臨みこれを打破しようとしたところに、ネオコンの驕りと誤りがあった、「レジームチェンジ」は、結局その国や組織に内在する必然的要因によってのみ起こりえる、とフクヤマは言う。 イラク戦争に際し、ブッシュが日本の占領統治はうまくいき今は最高の同盟国になっているので、イラクもそのようになる、などと言うのは、全く見当はずれだとほとんどの日本人が感じていたが、それがわからない人が不幸にも大統領になってしまった。 また優秀であるがゆえに、常に自信に溢れ、アファーマティブであることを自らにも他人にも強いるアメリカのエリートは、やはり人間世界の多元性を十分に知らない、もしくは知る必要を感じない。
筆者がかつて精神的に師事したアメリカの経営者は、「自分が絶対正しいと思うときが一番危ういと思え」と言ったが、そうした自己省察は、スーパーエリートには容易ではないのだ。 常に統治する立場にいる人間には、能力の劣るものや、差異が許せなくなる。 しかし、統治が自分のためでなく、その帝国の構成員の調和と幸福を目指すものであれば、統治者は常に被統治者と同じ目線まで降りてこなければ、独善独裁に陥りやすい。 ネオコンは、理想を持たない権力を、文化相対主義として批判してきたようだが、力による統治は決して成功はしない。 本書で、フクヤマが「正当性」と「実効性」のバランスを見出すことが重要だと言い、ネオコンは「正当性」を置き去りにし、「実効性」に頼りすぎて欧州を始め世界を敵に回しイラク戦争に突入し失敗したと振り返る。 今後は、「重層的な多国間主義」で「正統性」と「実効性」の両者のバランスをとり、世界に臨むべきだ、と述べている。
来年の米国大統領選挙では、ほぼ間違いなくよりリベラルな民主党の候補が当選し、外交や環境政策でブッシュ時代の政策を大きく転換することは間違いない。 そうした中で、結合を固めるEUや巨大化する中国などに対抗してアメリカが今までと同じ統治力を発揮し続けることができるかどうか、文字どおり「分岐点」に来ている。(了)
フクヤマの90年代前半のベストセラー「歴史のおわり(End of history and last men」は、ソ連の崩壊と冷戦の終結を受けて、「リベラルな資本主義が世界の隅々まで浸透していく」としたもので、東欧や南米、アジアの民主化が進みつつある中、何となく後だしジャンケンのような感じがした記憶がある。 今回の「アメリカの終わり」も、イラクの戦後処理がうまく行かず、この戦争自体が間違いであったのではという雰囲気が濃厚になった2005年に執筆されているから、また後出しか、と思ったのも事実だ。
しかし、読み込んでいくと色々と発見がある。 ネオコンの来歴を1940年代に遡ってたどり、レオ・シュトラウスといったいわゆるユダヤ系政治哲学者の「国家の外交や覇権は、その国内の体制(レジーム)を反映する」という思想の影響を指摘している点や、ネオコンがイラクやイラン、北朝鮮などの「レジームチェンジ」が不可欠であり、アメリカの善意の力によって民主主義を確立しようと試みた、といった特色の分析などは、著者自身のネオコンの論客の一人といわれていただけにわかりやすい。 では、何がネオコンを誤らせたか、という点だ。 レーガン時代の徹底した反共主義、ソ連に対する軍事力優位の確立が結果的にソ連の崩壊を導いたと信じるがゆえに、イラク独裁政権や9・11などテロ組織に対しては、力で臨みこれを打破しようとしたところに、ネオコンの驕りと誤りがあった、「レジームチェンジ」は、結局その国や組織に内在する必然的要因によってのみ起こりえる、とフクヤマは言う。 イラク戦争に際し、ブッシュが日本の占領統治はうまくいき今は最高の同盟国になっているので、イラクもそのようになる、などと言うのは、全く見当はずれだとほとんどの日本人が感じていたが、それがわからない人が不幸にも大統領になってしまった。 また優秀であるがゆえに、常に自信に溢れ、アファーマティブであることを自らにも他人にも強いるアメリカのエリートは、やはり人間世界の多元性を十分に知らない、もしくは知る必要を感じない。
筆者がかつて精神的に師事したアメリカの経営者は、「自分が絶対正しいと思うときが一番危ういと思え」と言ったが、そうした自己省察は、スーパーエリートには容易ではないのだ。 常に統治する立場にいる人間には、能力の劣るものや、差異が許せなくなる。 しかし、統治が自分のためでなく、その帝国の構成員の調和と幸福を目指すものであれば、統治者は常に被統治者と同じ目線まで降りてこなければ、独善独裁に陥りやすい。 ネオコンは、理想を持たない権力を、文化相対主義として批判してきたようだが、力による統治は決して成功はしない。 本書で、フクヤマが「正当性」と「実効性」のバランスを見出すことが重要だと言い、ネオコンは「正当性」を置き去りにし、「実効性」に頼りすぎて欧州を始め世界を敵に回しイラク戦争に突入し失敗したと振り返る。 今後は、「重層的な多国間主義」で「正統性」と「実効性」の両者のバランスをとり、世界に臨むべきだ、と述べている。
来年の米国大統領選挙では、ほぼ間違いなくよりリベラルな民主党の候補が当選し、外交や環境政策でブッシュ時代の政策を大きく転換することは間違いない。 そうした中で、結合を固めるEUや巨大化する中国などに対抗してアメリカが今までと同じ統治力を発揮し続けることができるかどうか、文字どおり「分岐点」に来ている。(了)