最近、原発事故の報道もめっきり減ってきた。被災地を慮っての自粛の行きすぎは困るが、福島第一原発事故は現在進行形だ。 昨日も、4月に日米合同で行われてきた航空機による(半径80キロ以内の)地表および空間線量の測定結果の発表があったそうで、今やチェルノブイリ事故を越える量の放射線の累積があるとされたのに、そのことはほとんど報道されていないようだ。 東電に詰めている筆者の知るフリージャーナリストがブログでこれを重大視してレポートしている。http://kinoryu.cocolog-nifty.com/go_kinoryu/2011/05/post-3ae9.html?cid=62911472#comments
この一両日の大手メディアの報道は、1号機の建屋に人が入って換気を始めたことにより、放射線量が大幅に減少して今後水棺の作業が進みそうだという話と、一時帰宅の準備くらいであったろうか。 引き続き突っ込んだ詳細な報道が聞きたいし、そういう番組がどこかにあってもよいと思うのだが。
三陸の地震については、作家の吉村昭が昭和45年に上梓した「三陸海岸大津波」(文春文庫)という本を書店で見つけた。 三陸を時々旅した作家が、岩手県下閉伊郡田老村の巨大な防潮堤を見て津波に関心を持ち、岩手県宮古あたりから気仙沼あたりまでの沿岸の町村を回って、1896年の明治三陸地震と昭和8年の昭和三陸地震の大津波の体験者の声や記録を集めたものだ。今回起こったこととまさに同じ悲惨な大津波の模様が、体験者の肉声や子供たちの作文によって迫力を持って伝えられている。 三陸の人々は、津波の知識や訓練はそれなりに蓄積してきたことがわかるし、その結果できた巨大な防潮堤は今回の津波の引き波の威力を減衰したし、避難が素早かったために、壊滅することを免れた町村もある。200ページ足らずの短い記録文だが、一読に値すると思った。
日常を回復する中で油断すると忘れそうになるが、被災した人々には消しようもない体験である。 それにどう向き合っていくのか。 将来確実に起こりうる地震と原発の問題が、私たちがこの問題とともに在り続けることを要求していることは間違いない。