私自身も、2003年の暮れに、結局は9340キロの計画路線の残り2000キロ余りを税金投入式などで全部作ることになったという報道に接し、また道路族議員がにこにこしているのをTVで見て、「民営化は骨抜きになった。形だけを整えた」と思っていた。 高速道路に群がる利権の根が如何に深く巨額であるかを猪瀬氏の「道路の権力」で知り、民営化委員会の活動を注視していただけに、国交省と自民党が出してきた骨抜き法案に少しの妥協をして猪瀬委員が「フィクサー」として小泉首相とも談判して形を整えて終わったものと、失望していたものだ。
「道路の決着」は今年6月に発売になった。既に、時流のトピックではなくなったこの時期に出たのは遅きに失した感がある。 どうせ猪瀬委員が名誉挽回のために色々言い訳をしたものだろうとも思った。それで買わずに市の図書館で借りた(予約は10数件は入っていて、手元に来るまでに2-3週間かかった。) で、読んでみてこれまでの認識を改めないといけないと思った。 猪瀬氏自身は、100点の改革は現実には無理だったが、、最終的に道路公団を東、中、西の3分割にできたこと、債務返済機構と民営化会社を別にする上下分離方式が採用され、40兆円の負債を45年を上限に返済していく仕組みが取れたことで、民営化法案を60-70点として及第点をつけられる、としている。 そして道路公団の意向を代弁した田中委員長代理や川本委員の原理主義や、道路とはライバルである鉄道が背後にいる松田委員のせいで、委員会は分解したと批判している。 新聞などのメディアは、残りの計画路線を全部作る(実際は「見直し」が含まれており実質凍結らしい)こととなった、民営化委員もほとんどが辞任してしまったとして、民営化法案は失敗したとの報道をし、自分を含む多くの有権者がこれを信じてしまった。 しかし、実際はこれでも大きな前進だったようにこの本では読めるのだ。
確かに、首都高の深夜通行料金の割引や、早朝深夜の100キロ以内利用では料金半額となるなど、利用料金の引き下げは始まっている。 大多数の国民は、上下分離化か一体がいいのかわからないし、道路公団民営化とは入らない道路を作るのを止めることだと理解していたから、残り2000キロ超を作るとなれば、結局小泉首相と民営化委員会も役所と族議員の圧力に妥協したとしか受け取れなかった。 そうした報道しか出来ないのは、政治部から、経済部、社会部とこの問題が変わるメディアの体質や記者の勉強不足によるものと、猪瀬氏は批判している。 道路公団の3分割で、「どんぶり」が「茶碗」になって、採算性のとれない路線が無闇に作られることがなくなるのかどうか、専門知識を持たない一般市民にはなかなか判断がつかない。 国鉄の民営化も東と東海、西の3分割だったが、福知山線の脱線事故のような利益優先の体質で安全がおろそかにされる民間経営の問題も明らかになったし、3つの会社が別々に運営しているものだから、例えばJR東海のインターネットでは、つい先月まで東京から福岡までの切符が買えなかったりという不便も残った。 列車変更や払い戻しもできないなど(横浜駅や東京23区内の駅はJR東日本の運営路線だから、例えばJR東海のインターネットサイトである E-Expressで買った切符の払い戻しは、神奈川県ではJR東海が管轄する新横浜駅でしかできないなどという不便が放置されたままだ。) ましてや国鉄の料金は私鉄に比べても高いし、新幹線料金も一向に安くならない。 道路公団の民営化会社3分割ではこのような不便が起きないようにしてもらわないと困る。
改めて思うと、「道路の権力」と「道路の決着」が本になったおかげで、われわれは霞ヶ関と特殊法人の癒着の真相を知ることができ、小泉改革を主導する官邸と省庁の関係や動きのメカニズム、民営化委員会のような審議会がどのような役割を果たすことができるのかを知ることができた。 道路の決着は、猪瀬氏によるあくなき研究と実行への信念がなければできなかったと思う。 そういう意味で、「フィクサー」猪瀬の汚名は返上さるべきだろう。 霞ヶ関と特殊法人の癒着や官僚の天下り問題をはじめて追及した96年の「日本国の研究」で氏が、道路の問題や、雇用保険や社保丁の問題、財政投融資の問題、林野庁の自然破壊まがいの林道建設問題などを指摘して10年。 日本の構造改革の本丸たる道路と郵政(財投)にメスが入った。そしてこれを機に、特殊法人の問題、天下りの問題、談合などが次々にメディアでも暴露され始めた。 この流れはもう止まらないだろうし、止めてはならない。 泥を被りながらも、道路の決着をつけた猪瀬氏の信念と努力は、一作家や一員の範疇を大いに逸脱していたが、それがなければできない改革だったことが、この本からはうかがわれる。
「道路の決着」は今年6月に発売になった。既に、時流のトピックではなくなったこの時期に出たのは遅きに失した感がある。 どうせ猪瀬委員が名誉挽回のために色々言い訳をしたものだろうとも思った。それで買わずに市の図書館で借りた(予約は10数件は入っていて、手元に来るまでに2-3週間かかった。) で、読んでみてこれまでの認識を改めないといけないと思った。 猪瀬氏自身は、100点の改革は現実には無理だったが、、最終的に道路公団を東、中、西の3分割にできたこと、債務返済機構と民営化会社を別にする上下分離方式が採用され、40兆円の負債を45年を上限に返済していく仕組みが取れたことで、民営化法案を60-70点として及第点をつけられる、としている。 そして道路公団の意向を代弁した田中委員長代理や川本委員の原理主義や、道路とはライバルである鉄道が背後にいる松田委員のせいで、委員会は分解したと批判している。 新聞などのメディアは、残りの計画路線を全部作る(実際は「見直し」が含まれており実質凍結らしい)こととなった、民営化委員もほとんどが辞任してしまったとして、民営化法案は失敗したとの報道をし、自分を含む多くの有権者がこれを信じてしまった。 しかし、実際はこれでも大きな前進だったようにこの本では読めるのだ。
確かに、首都高の深夜通行料金の割引や、早朝深夜の100キロ以内利用では料金半額となるなど、利用料金の引き下げは始まっている。 大多数の国民は、上下分離化か一体がいいのかわからないし、道路公団民営化とは入らない道路を作るのを止めることだと理解していたから、残り2000キロ超を作るとなれば、結局小泉首相と民営化委員会も役所と族議員の圧力に妥協したとしか受け取れなかった。 そうした報道しか出来ないのは、政治部から、経済部、社会部とこの問題が変わるメディアの体質や記者の勉強不足によるものと、猪瀬氏は批判している。 道路公団の3分割で、「どんぶり」が「茶碗」になって、採算性のとれない路線が無闇に作られることがなくなるのかどうか、専門知識を持たない一般市民にはなかなか判断がつかない。 国鉄の民営化も東と東海、西の3分割だったが、福知山線の脱線事故のような利益優先の体質で安全がおろそかにされる民間経営の問題も明らかになったし、3つの会社が別々に運営しているものだから、例えばJR東海のインターネットでは、つい先月まで東京から福岡までの切符が買えなかったりという不便も残った。 列車変更や払い戻しもできないなど(横浜駅や東京23区内の駅はJR東日本の運営路線だから、例えばJR東海のインターネットサイトである E-Expressで買った切符の払い戻しは、神奈川県ではJR東海が管轄する新横浜駅でしかできないなどという不便が放置されたままだ。) ましてや国鉄の料金は私鉄に比べても高いし、新幹線料金も一向に安くならない。 道路公団の民営化会社3分割ではこのような不便が起きないようにしてもらわないと困る。
改めて思うと、「道路の権力」と「道路の決着」が本になったおかげで、われわれは霞ヶ関と特殊法人の癒着の真相を知ることができ、小泉改革を主導する官邸と省庁の関係や動きのメカニズム、民営化委員会のような審議会がどのような役割を果たすことができるのかを知ることができた。 道路の決着は、猪瀬氏によるあくなき研究と実行への信念がなければできなかったと思う。 そういう意味で、「フィクサー」猪瀬の汚名は返上さるべきだろう。 霞ヶ関と特殊法人の癒着や官僚の天下り問題をはじめて追及した96年の「日本国の研究」で氏が、道路の問題や、雇用保険や社保丁の問題、財政投融資の問題、林野庁の自然破壊まがいの林道建設問題などを指摘して10年。 日本の構造改革の本丸たる道路と郵政(財投)にメスが入った。そしてこれを機に、特殊法人の問題、天下りの問題、談合などが次々にメディアでも暴露され始めた。 この流れはもう止まらないだろうし、止めてはならない。 泥を被りながらも、道路の決着をつけた猪瀬氏の信念と努力は、一作家や一員の範疇を大いに逸脱していたが、それがなければできない改革だったことが、この本からはうかがわれる。