ポケットの中で映画を温めて

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『成瀬巳喜男 映画の面影』を読んで

2020年01月19日 | 本(小説ほか)
『成瀬巳喜男 映画の面影』(川本三郎著、新潮選書:2014年刊)を読んだ。

“戦前の松竹では「小津は二人いらない」と言われ、戦後の東宝では名作を連打しながら、黒澤作品の添え物も撮った監督”
このように言われる成瀬巳喜男(1905~69年)の映画を、著者・川本三郎は全体を12章に分け本質を見極めようとする。

東京下町生まれの成瀬巳喜男は、父親が没落士族だったため家が貧しくて中学校に進めずに、技術者を育てる工手学校を出、
15歳で松竹蒲田に小道具係として入社する。
2年後に池田義信の助監督につくが、中々監督には昇進できず、入社から10年間下積みが続いた。
1930年にやっと監督デビューし、翌年ごろから認められていくが待遇は良くなかった。

1934年、東宝の前身であるPCLに移籍し、初トーキー映画を監督する。
翌年、『妻よ薔薇のやうに』を監督し、批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。
そのような職業監督としての成瀬の作品は、亡くなるまでに合計89本(サイレント24、トーキー65)にも及ぶ。
川本三郎はそれらの作品群の中から共通項を探り、成瀬の監督としての特徴を浮かび上がらせていく。

まずは、本人が貧乏を経験しているせいか、お金の話が多いということ。
それも男が女から金を借り、恋愛にまでお金の話が出てきて、金額さえ明確にする。

成瀬の映画は、大半が女性を主人公とした“女性映画”であり、ただ、恋愛物語を撮ってもメロドラマを描くことは苦手だったという。
そして、男女の組み合わせは、逞しく自立しようとする女性と頼りない男たちのパターンであったりする。

家庭を描く時、下町の個人店の設定が多い。
それは、一家みんなが貧しいながらも働いている姿が見えるからである。
その貧しい暮しをユーモアで包み込み、悲惨な状態としては捉えない。
また、作家・林芙美子とは作風の肌が余程合うのか、6本の原作を映画化している。

成瀬の作品では、美しい女優が常に出てくるが、『鰯雲』(1958年)では、その美しい女優にモンペ姿で野良仕事をさせる。
内容は、都市近郊の農村で起きている“壊れゆく家族”の様で、それを日常の出来事として捉えていく。
そして、それと絡めての恋愛映画とする。

『妻』(1953年)、『山の音』(1954年)、『乱れる』(1964年)ほか、作品には未亡人が多く登場する。
特に、戦争未亡人を設定することにより戦争の影を意識させるが、決して戦争そのものの作品は作らなかった。

『銀座化粧』(1951年)を代表するように、東京の昔ながらの下町の路地を舞台とし、そこに生活する庶民を描く。

『あらくれ』(1957年)は、成瀬の持ち味である叙情性からすると異色で、自立心の強い女性の流転の話で、
もっと、真の異色作として、暴れる女性としての『あにいもうと』(1953年)があるということ。

貧乏ギャグや子供ギャグを使ってのユーモアが、生活実態の微笑ましさを醸し出し、
そこでは、人の失敗を許し慈しみたいという、“弱者”への成瀬の思いが表されている。

川本三郎は、この他にも多くの作品を取り上げ、その内容を具体的に示して関連性を挙げていく。
そこにあるのは、著者の成瀬巳喜男に対する共感であり、その共感は二人に共通する“心のやさしさ”に基づいている。

ビデオレンタルが始まる以前は、旧作品の鑑賞方法は名画座でのリバイバル上映か自主上映、それかテレビ放映だけであった。
そんな中で、溝口健二、小津安二郎、黒澤明、木下恵介などはある程度観ることができたが、
成瀬巳喜男の作品となるとトント目にすることがなかった。
だから、成瀬作品は『あにいもうと』、『銀座化粧』、『浮雲』(1955年)ぐらいしか観た記憶がない。

残念なのは、『妻よ薔薇のやうに』は長い間ビデオに録画してあったが、題名が気に食わないと感じて観ずに消去してしまった。
今後ひょっとすると、もう、観るチャンスがないかもしれないと思うと、悔やまれてしかたがない。
いずれにしても、余裕ができた日には成瀬作品をまとめて観てみたいと、この本によって刺激を受けた。

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