ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

高校生のころ・7〜『自転車泥棒』

2015年12月19日 | 戦後40年代映画(外国)
高校の頃、初期は娯楽映画を中心にいろいろ話題作を観ていた。
しかし情報と言えば、映画制作会社、配給会社の宣伝しか知らない。
その宣伝に乗って観に行くと、随分とガッカリさせられる作品が多い。
だから「映画なんてつまらないな」と勝手に思い込み、もう観るのはやめようと思ったりした。
それでもやはり観たくって、満足できる作品を観るにはどうしたらよいだろうと思っていた時、「キネマ旬報」を知った。
そして、その「キネ旬」で過去のベスト・テンを観る興味を覚えた。
そんな時期、テレビだったが『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年)を観た。

戦後からまだ数年のローマ。
失業していたアントニオは、職業安定所の紹介で市役所のポスター貼りの仕事を得たが、自転車が必要だと言われる。
自転車を質に入れていた彼は、代わりにベッドのシーツを質にし、自転車を取り戻す。
息子のブルーノと共に、出勤するアントニオ。
しかし仕事の初日、ポスターを貼っている最中に自転車を盗まれてしまう。
その自転車がなければ職を失うし、新しい自転車を買う金もない。
途方にくれるアントニオは、自力で自転車を探し始めるが・・・・

第二次世界大戦後のイタリアで作られたネオレアリズモ映画の傑作。

自転車がなければ明日からの糧がない。どうしたらいいのか。
散々歩き回って、やっとのことで犯人を見つけるが自転車はどこにもない。そして、盗んだ証拠もない。
絶望にかられたアントニオは、魔が差したように他人の自転車に手を伸ばし、逃げる。
追い付かれ、大勢に囲まれるアントニオ。それを目撃するブルーノ。
子の前で悪事に手を染めたことによるアントニオの心の傷。
そして、父親に寄り添いながらも、事を見てしまったブルーノの心の傷。
何が、このように人を追い詰めてしまうのか。

当時、この作品を観て、何物かが心に深く突き刺さってくるような衝撃を受けた。
アントニオとブルーノがローマの街を、ただ当てどもなく歩き、自転車を探すだけの物語だが、
アントニオの絶望を交えた焦りが、ひしひしと胸に迫ってくる。
それと、表情には出さないブルーノの必死さが、何年経とうと脳裏から離れない。

アントニオの家族だけが貧しいのではない。犯人だって失業しているし、周りの人だってそうだ。
社会が貧しいと言うだけでは、事は済まない。
突き詰めれば、先の戦争に原因があることをデ・シーカは静かに訴えてやまない。

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