『道元禅師』(立松和平著、新潮文庫)を読み終えた。
実はこの本、我が家の宗派でもある日本曹洞宗の開祖・道元に興味があったので、5年前に購入した。
だが、なんせ全体で1500ページ近くもあり、読むふんぎりが中々つかなかった。
今年になって、そろそろ読もうかと思い、喫茶店に行くついでに携え少しずつ読み出した。
だから、読み終えるのに半年程もかかってしまった。
1200年、道元は、久我家の源通具と松殿基房の子の伊子との間に生まれた。
だが不幸なことに、母親の伊子が道元8歳の時に逝去。
13歳になった文殊丸(道元の幼名)は、元服をするとなれば、摂政関白家の藤原松殿家を背負っていくことになる。
しかし、その元服の直前に俗世間を捨てて出家し、叡山で修行僧としての学道に邁進する。
そして、道元は疑問を持つ。
「本来、衆生が皆、もとより仏なら、なぜ、衆生は難行苦行して初めて仏になろうとするのか」
この疑問に対して、叡山の天台教学では答えが得られず、臨済宗の祖栄西を訪ねるも疑問は解けない。
道元は真の師、正師を得て正法を知るために、入宋への思いを強くする。
道元24歳の時、やっと、念願であった入宋を明全和尚ほかと果たす。
宋に渡り、正師を求めて半年後、ついに天童寺の住持、如浄和尚を得る。
その如浄和尚の修行方法は、ただひたすらの座禅、只管打坐(しかんたざ)を実践することである。
道元は、如浄和尚の正法を持ち帰って、日本にその教えを広めようと決意を新たにした・・・・
この本は、道元の出生から、「永平寺」を建立し1253年に入滅するまでの長編小説である。
(最も実際は、父母についての異説もあるとのことである。)
立松和平は9年の歳月をかけ、道元に寄り添うようにして物語を進めていく。
道元が俗世を捨て、権力に交えず仏教一筋に生きる姿が目に見えるように流れていく。
穏やかで静謐な文章に、知らず知らずのうちに心が洗われる思いがする。
特に、道元のさとりについての教えが印象深い。
「すべての現象の中に自己のあるべき姿をもとめるのが、さとりなのです。
さとりを得た人がまさにさとりを得た人である時には、自分はさとりを得ていると意識することはありません。
その人はさとりそのものであるからです。
その人はすべての普遍的な原理を知っているのであって、迷いの中にさらにさとりを求めるのですよ。
そして、さとりというのは自分には認識されないままに現れていくのです。」
「人がさとりを得るのは、水に月が宿るようなものなのだ。月は濡れず、水は破れない。
月は広く大きな光だが、わずかな水にも宿り、月全体も宇宙全体も、草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。
さとりが人を破らないことは、月が水に穴をあけないのと同じことだ。
人がさとりのさまたげにならないことは、一滴の草露が天月を映すさまたげにならないのと同じことだ。」
ここまで道元の気持ちに成りきって小説を書き上げたことに、自然と頭が下がってしまう。
この小説は、泉鏡花文学賞と親鸞賞を受賞している。正しく、それに相応しい本である。
立松和平は、この小説を書き上げた2年後に、62歳で亡くなってしまった。
まだまだ、活躍できる年齢なのに、本当に残念なことである。合掌。
実はこの本、我が家の宗派でもある日本曹洞宗の開祖・道元に興味があったので、5年前に購入した。
だが、なんせ全体で1500ページ近くもあり、読むふんぎりが中々つかなかった。
今年になって、そろそろ読もうかと思い、喫茶店に行くついでに携え少しずつ読み出した。
だから、読み終えるのに半年程もかかってしまった。
1200年、道元は、久我家の源通具と松殿基房の子の伊子との間に生まれた。
だが不幸なことに、母親の伊子が道元8歳の時に逝去。
13歳になった文殊丸(道元の幼名)は、元服をするとなれば、摂政関白家の藤原松殿家を背負っていくことになる。
しかし、その元服の直前に俗世間を捨てて出家し、叡山で修行僧としての学道に邁進する。
そして、道元は疑問を持つ。
「本来、衆生が皆、もとより仏なら、なぜ、衆生は難行苦行して初めて仏になろうとするのか」
この疑問に対して、叡山の天台教学では答えが得られず、臨済宗の祖栄西を訪ねるも疑問は解けない。
道元は真の師、正師を得て正法を知るために、入宋への思いを強くする。
道元24歳の時、やっと、念願であった入宋を明全和尚ほかと果たす。
宋に渡り、正師を求めて半年後、ついに天童寺の住持、如浄和尚を得る。
その如浄和尚の修行方法は、ただひたすらの座禅、只管打坐(しかんたざ)を実践することである。
道元は、如浄和尚の正法を持ち帰って、日本にその教えを広めようと決意を新たにした・・・・
この本は、道元の出生から、「永平寺」を建立し1253年に入滅するまでの長編小説である。
(最も実際は、父母についての異説もあるとのことである。)
立松和平は9年の歳月をかけ、道元に寄り添うようにして物語を進めていく。
道元が俗世を捨て、権力に交えず仏教一筋に生きる姿が目に見えるように流れていく。
穏やかで静謐な文章に、知らず知らずのうちに心が洗われる思いがする。
特に、道元のさとりについての教えが印象深い。
「すべての現象の中に自己のあるべき姿をもとめるのが、さとりなのです。
さとりを得た人がまさにさとりを得た人である時には、自分はさとりを得ていると意識することはありません。
その人はさとりそのものであるからです。
その人はすべての普遍的な原理を知っているのであって、迷いの中にさらにさとりを求めるのですよ。
そして、さとりというのは自分には認識されないままに現れていくのです。」
「人がさとりを得るのは、水に月が宿るようなものなのだ。月は濡れず、水は破れない。
月は広く大きな光だが、わずかな水にも宿り、月全体も宇宙全体も、草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。
さとりが人を破らないことは、月が水に穴をあけないのと同じことだ。
人がさとりのさまたげにならないことは、一滴の草露が天月を映すさまたげにならないのと同じことだ。」
ここまで道元の気持ちに成りきって小説を書き上げたことに、自然と頭が下がってしまう。
この小説は、泉鏡花文学賞と親鸞賞を受賞している。正しく、それに相応しい本である。
立松和平は、この小説を書き上げた2年後に、62歳で亡くなってしまった。
まだまだ、活躍できる年齢なのに、本当に残念なことである。合掌。
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