『鎧なき騎士』(ジャック・フェデー監督、1937年)を観た。
英国人フォザギルは、5年間のロシア経験を活かし、翻訳の仕事をロシアで始めるが、帝政批判のかどで国外退去の命令を受ける。
ロシアに愛着のあるフォザギルは、相談したある人物から諜報部員の道を勧められる。
了承した彼に、ピーター・ウラノフの変名で革命運動に参加するよう指令が出る。
ある革命党員がウラジノフ閣下の暗殺に失敗し、その関連で首謀者アクセルシュタインと共にウラノフも捕まりシベリア送りとなってしまう。
欧州全土が戦争状態の1916年、ウラノフとアクセルシュタインは酷寒の地獄の中にいた。
翌17年、ロシア革命が起き、シベリア追放されていた者たちは帰還の途につく。
アクセルシュタインは革命会議長に就任し、ウラノフもその側近となる・・・
物語は、第一次世界大戦時のロシア革命を背景に、政治的内容を雰囲気としてテンポよく進む。
だからこの作品は、政治映画かなと観ていくと、実は全然違う。
革命が成功し、ウラジノフ閣下の娘アレクサンドラも豪奢な別邸で捕まる。
押しよせる民衆たちが処刑を要求するが、革命会議長は、規則に則りペトログラートで尋問をしようとする。
そのペトログラートへアレクサンドラを連れていく役目がウラノフである。
この辺りまで真面目腐った作りをしながら、実は絵にしたかったのはこれだな、と思う内容がこれ以降続く。
要は、歴史的事件に翻弄されながら、次々と待ち受ける運命を共にして、次第に恋に落ちるウラノフとアレクサンドラのドラマがメイン。
この一点に尽きる。
それはそのはず。
アレクサンドラはマルレーネ・ディートリッヒ、ウラノフ(フォザギル)はロバート・ドーナットである。
ジャック・フェデーがイギリスに招かれて撮った作品であると考えれば、もうひと工夫ほしいラストを除けば、二人の逃避行から目が離せない上出来の作品であった。
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