ポケットの中で映画を温めて

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ジュリアン・デュヴィヴィエ・17〜『運命の饗宴』

2019年08月12日 | 戦前・戦中映画(外国)
デュヴィヴィエがアメリカに渡り、ハリウッドで監督した第二作目作品、『運命の饗宴』(1942年)を観た。

燕尾服。この服が、奇妙な因縁から持ち主が変わって渡り歩いていく。
その運命を6つのエピソードに描いたオムニバス映画である。

第1話。人気舞台俳優は、新調した燕尾服を着て舞台を成功させ、その足で元恋人の屋敷に走る。
結婚している彼女は、彼と駆落ちすることをやっと承諾するが、そこへ夫が現れ、猟銃をもてあそんで俳優を射ってしまう。
動揺する夫婦に、俳優は立ち上がり「芝居ですよ」と立ち去るが、車の中で倒れる。

第2話。男は、結婚に燕尾服が必要で、それを手に入れる。
ところがその服にはラブレターが入っていて、婚約者が読んでしまう。
男は親友に応援を頼み、燕尾服を昨晩取り違えたと言わせる。
だが、婚約者は親友の方に興味が行ってしまい、とうとう二人は相思相愛となり、その場から立ち去る。

第3話。貧しい作曲家の妻が燕尾服を手に入れる。
大柄の夫は、苦労の末、やっと大指揮者に認められる。
演奏会で自身の曲を指揮していると、燕尾服が小さすぎ破れてしまう。
観客に大笑いされながらも演奏していると、最後には観客も自分たちの燕尾服を脱ぎ出す。

第4話。作曲家の妻は破れた燕尾服を縫って、貧民街にある慈善ホームの経営者の妻に与えた。
経営者は郵便物の中に、ホームの失業者あての大学同窓会の招待状があり、その失業者に知らせる。
失業者は例の燕尾服を来て出席したが、席上、ほかの者の財布が紛失し、みんなが燕尾服を脱いで証明するはめになる。
疑われた失業者は、友情の薄情さを皮肉り立ち去る。
紛失したはずの財布は、後で運転手によって届けられ、一人の親友が失業者のホームを訪ねる。
親友は失業者の男に仕事を頼みたいと申し出る。

第5話。二人組の泥棒が、古着屋に売られた燕尾服を盗む。
燕尾服を着た泥棒は、カジノに行き大金を強奪する。
しかし、逃げる飛行機のトラブルで、大金を入れたままのの燕尾服は空から投げ捨てられる。

第6話。燕尾服が貧しい黒人の村に墜ちる。
拾った夫婦は、思案に暮れて司祭に相談する。
司祭は、天からの神様の贈物だとして、集落の人々に希望する額を与える。
そして残りの金額で、教会と病院が建てられることになった。
燕尾服は、欲のない老人の希望で案山子の服となった。

十代に観たこの作品は、1話から5話までのエピソードをすっかり忘れていて、それでもラストの6話には、凄く感動した記憶が残っている。
ところが、今回観てみると、何か甘い話で繋いであるなと感じ、左程期待どおりでなかったのが残念であった。
特に4話の、服の袖が破れているのを観客が大笑いし、作曲家は戸惑いながら指揮をする所。
それが後に、観客も服を脱ぎ一体感を示す。
こんな偽善的なシーンを見せられると、吐き気を催したくなってくる。
ラストの昔感動したエピソードも、あまりにも楽天的で全ての人が善人なのが、これも胡散臭く思える。
と言うことは、昔の自分はまだまだ善良であって、今は歳とともに随分とひねくれて来たという証拠か。

それにしても、キャストの豪華なのには目に見張る。
第1話のシャルル・ボワイエとリタ・ヘイワース。
第2話のヘンリー・フォンダとジンジャー・ロジャース。
第3話のチャールス・ロートン。
第4話のエドワード・G・ロビンソン
と、俳優自身には左程興味がない私でも、これは凄いメンバーだと感心する。
だから、俳優目当てなら申し分ない作品と言える。

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