ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『光の山』を読んで

2016年03月16日 | 本(小説ほか)
先週、地元のお寺の会館で「風流ここに至れり」と題して、玄侑宗久氏の講演会があったので聴きに行った。
さすがに著名な人なので会場は満員、私は立ったままだった。
帰りに記念として、数ある即売の中から『光の山』(新潮文庫、2016年)を選び、サインを頂いて帰った。

『光の山』は、震災の津波や福島原発事故によって、いや応なくその事と生活を関連させられた人々についての短編小説集である。

東電に就職した息子が自慢だったお爺が、置き去りにされた牛たちの世話をしたいと南相馬に行く話。
僧侶の道彦が、自分と父のあの日の津波の体験を、同じく津波の被害にあった亜弥に聞いてもらうために語る話。
行方不明の夫を探している真紀が幼い小太郎とともに、警察署でDNA鑑定のための細胞を採取される話。
放射線量を気にして、夫を残し避難所から北海道に行った千春と娘の美夏が、盆踊りの前日に、二日間だけこの町に戻る話。
妻を津波で亡くし、経営していた結婚式場も潰れた末期ガンの山口が、最後のご奉公としてカセツで結婚式を執り行う話。
ベット生活の妻とともに避難区域に最期まで暮らす夫婦の話。
放射能汚染された土や枝葉、木材を受け入れた爺さんの土地が山になり、三十年後の今では「光の山」としてホーシャノーツアーの場所になっている話。

玄侑氏については、私がわざわざ説明するまでもないが、芥川賞作家で福島・三春町にある福聚寺の住職。
その三春町は、原発事故の起きた福島第一原発から真西にあたる位置で郡山の近く。
だから、玄侑氏の震災、原発事故に対する想いは当然強い。
しょっちゅうフクシマを意識するわけでもない私が、この本の感想を述べるにはどうも憚れる。
よくよく考えてみると、それほど内容が深くて重い。

それにしても、フクシマの復興は十分に、思ったように進んでいると言えるのだろうか。
このような状況の中で、あの事はなかったかのように現政権は原発を推し進めようとしている。
教訓を無にして、子供、孫たちの世代、その先の未来の子供たちに何を背負わせようとするのか。
そのように考えるとき、私は暗然たる想いに駆られる。

ここに、「もう一度言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ!」をリンクして置こうと思う。


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