花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

新型コロナウイルス感染症におけるTCM│中薬による予防(一)

2020-03-08 | 医学あれこれ
Luo Hui et al.: Can Chinese Medicine Be Used for Prevention of Corona Virus Disease 2019 (COVID-19)? A Review of Historical Classics, Research Evidence and Current Prevention Programs. Chin J Integ Med, 2020

中薬(漢方薬)によるCOVID-19予防について検証を行った論文である。(1)中国最古の医学書『黄帝内経』に始まる伝染性疾患・疫病に関する古典の解析、(2)過去のSARSとH1N1インフルエンザについての分析疫学研究、(3)2020年2月12日までに23地域の公的機関から出されたCOVID-19の予防プログラムの検討の三方面から厳密で詳細な解析が加えられている。本稿で編訳と考察を行った全文(英文)はWEB上で閲覧、DL可能である。

(1)医学古典にみられる“疫病”予防(CHM(chinese herbal medicine) formula for preventing “Pestillence” in ancient CM classics)
“pestilence”(refers to fatal epidemic disease, wenyi;予後不良の伝染病、瘟疫(うんえき))の予防及び治療理論は中国最古の医学書『黄帝内経』に始まる。本書に記された伝染病の伝播防止における二大原則は、体内に健康な気を保ち適切な食生活と運動を行い外邪の侵入を防ぐこと、及び感染源の遮断であり、これらはが現在に至るまで揺るがない原則である。『黄帝内経』には最初の推薦中薬は「小金丹」が紹介されている。
 以降の時代、『肘后備急方』、『備急千金要方』、『外台秘要』、『本草綱目』などの数多くの成書に伝染病予防に関する記述がある。その一方、中薬を用いた予防に関する具体的な報告は稀である中で、北宋の政治家・詩人、蘇軾(蘇東坡)が、左遷された湖北省、黄州で用いて民衆を救った「聖散子」について、自ら論述した貴重な経過報告がある。異なった時代の文献比較では、金・唐時代(紀元後3-10世紀)では病的因子の除去(eliminate the pathogenic factors)を意図した薬物の選択が行われ、明・清時代(紀元後14-20世紀)では健脾、祛湿、清熱と解毒(fortify spleen (Pi), resolve dampness, clear heat, and detoxify)を目的とする。

*「小金丹」:「又一法、小金丹方:辰砂二両、水磨雄黄一両、葉子雌黄一両、紫金半両、同入合中、外固了、地一尺築地実、不用炉、不須薬制、用火二十片燬之也、七日終、候冷七日取、次日出合子、埋薬地中七日、取出順日研之三日、煉白紗蜜之丸、如梧桐子大。毎日望東吸日華気一口、氷水下一丸、和気咽之。服十粒、無疫干也。」(『黄帝内経素問』刺法論篇第七十二)は、疫病の伝染を防ぐ方法をお尋ねになった黄帝に対して岐伯がお答え申し上げたくだりである。辰砂(硫化水銀)の使用は水銀中毒の可能性がある。
*「聖散子」:『蘇沈良方』、『太平恵民和剤局方』、『医方類聚』に収載。
論聖散子「普予覽《千金方》三建散,雲於病無所不治。而孫思邈特為著論,謂此方用藥節度,不近人情,至於救急,其驗特異。乃知神物效靈,不拘常制,至理開感,智不能知。今予得聖散子,殆此類也。(後文省略)」(沈括、蘇軾著『蘇沈良方』)
〇聖散子方の組成『蘇沈良方』:草豆蒄、木猪苓、石菖蒲、高良姜、独活、附子、麻黄、厚朴、藁本、芍薬、枳殻、柴胡、沢瀉、白朮、細辛、防風、霍香、半夏、茯苓、甘草
*脾の生理的機能と健脾:
五臓の「脾」(spleen、Pi)は西洋医学的な脾臓とは異なる臓器概念である。脾、および脾と表裏関係にある六腑の胃は、密接な関係で消化系統の重要な臓器をして働くので「脾胃」と総称されることが多い。飲食物から消化吸収した栄養物質や水液を原料として、気血津液が作られ生命活動が維持されるために、脾胃は「気血生化の源」、「後天の本」と呼ばれる。これらの機能が減弱すると食欲不振、倦怠感、腹の膨満感、エネルギーや栄養不良などの全身の気血不足状態が引き起こされる。また飲食物中の余剰の水液を肺や腎に送って汗や尿に変えて体外に排出する機能も「運化水液」とよばれる脾の機能であり、機能低下が起こると水液が体内で停滞し湿毒、痰飲などの病的物質が生じ、頭痛、めまいやむくみの原因となる。

(2)SARS / H1N1インフルエンザ疫学研究における予防(Evidence of CHM formula for preventing SARS / H1N1 influenzae)
SARSの予防に関して症例研究1件(香港の病院従事者16437人)、コホート研究2件(北京2病院の医療関係者3561人、4163人)があり、前者では玉屏風散加減に桑菊飲の服用者群ではSARS感染を認めず(0/1063)、非服用群の感染率は0.4%(64/15347人)であった。なお服用者の0.4%(19/15437)に下痢、咽頭痛、めまいなどの副作用が出現した。後者のコホート研究では、清熱解毒薬を加えた玉屏風散加減の服用期間が各々6日、12~25日、両者ともにSARS感染者の出現なく、服用に伴う副作用や安全性に関しての記述は認めなかった。
 H1N1インフルエンザ予防に関する研究は、中国本土での発生時で病院・学校など高リスクの感染が懸念される環境におけるRCT3件(介入群/対照群の人数は100/100、28/25、27/27)、CCT1件(介入群/対照群の人数は23947/1382)があり、個々に調整された中薬や市販薬(清解防感顆粒、抗病毒口服液、感冒清熱胶嚢)の投与期間は3~7日、追跡期間は5~30日で、効果判定は血清学的診断にて行われた。これらのデータをメタアナリシス解析した結果では、中薬服用群の感染率は対照群より有意に低値を示した(相対危険度0.36、信頼区間0.24-0.52、P<0.01)。CCTを除いた3件で行われた感度分析でも同様の結果が得られた(相対危険度0.36、信頼区間0.21-0.62、P<0.01)。

*症例対照研究(case-control study):観察研究を行う研究手法。すでに疾病ありの群と疾病なしの群の過去を分析し、特定要因の曝露(ここでは中薬投与)を比較調査する後向き研究である。
*コホート研究(cohort study):観察研究を行う研究手法。症例対照研究よりもEBMレベルが高い。曝露(中薬投与)ありの群と曝露なしの群を一定の長期間追跡し、アウトカム(疾病罹患の有無)を比較調査する前向き研究である。
*ランダム化(無作為化)比較試験(randomized controlled trial;RCT):対照群と介入群(中薬が施された群。対照群に比してどれほどの効果があるかを調べる為のグループ)を比較する研究手法。コホート研究よりさらにEBMレベルが高い。効果の検証から主観的評価を除く為に、各群は乱数表などを用いて無作為に割り付ける(randomization)。
*比較臨床試験(controlled clinical trial;CCT):対照群と介入群を比較する研究手法。患者番号などを用いた無作為割付を行っていない。効果の検証に主観的評価が加わる可能性がある。準ランダム化対照試験(non- randomized controlled trial;NRCT)
*メタアナリシス(meta-analysis):独立して過去に行われた複数の臨床研究のデータを統合し統計解析を行う総括的な研究手法。RCTよりさらにEBMレベルが高い。
*感度分析(sensitivity analysis):曝露とアウトカムに関連する他要因を想定し、その要因の為のアウトカムの変動を追跡して研究解析結果の頑健性(robustness)を量的に評価する手法。
*相対危険度(relative risk;RR):曝露要因と疾病との関係の強さを評価する指標。曝露群(中薬服用群)/非曝露群(非中薬服用群)0.36は、中薬服用者は非服用者よりも感染リスクが36%になることを意味する。
*P値(P-value):p<0.01は、99%以上の確率で偶然の産物ではない差異が認められるという表示である。すなわち中薬服用群と非服用群の比較においては、99%の確率でH1N1インフルエンザの発症率に差があるという仮説が正しいと証明される。
*Evidence-based medicine(EBM):最良かつ最新の科学的根拠(エビデンス)に基づく医療

(3)COVID-19に対する各地の予防プログラム
自治区をふくむ31の行政地域の内、23地域の公的機関から出されたCOVID-19予防プログラムの解析では、治法における重要原則は益気固表、疎風泄熱、祛湿(tonify qi to protect and provide defense from external pathogens, disperse wind and discharge heat, and resolve dampness)であり、医学古典の記述およびSARSでの観察結果との類似性が指摘される。23の地域プログラムに含まれる54の生薬の内、3ケ所以上に採用された汎用19生薬は上位より黄耆、甘草、防風、白朮、金銀花、連翹、蒼朮、桔梗、霍香、貫衆、蘇葉、芦根、沙参、陳皮、麦門冬、佩蘭、大青葉、薏苡仁、桑葉で、黄耆(Radix astragali)、白朮(Rhizoma Atractylodis Macrocephalea)、防風(Radix saposhnikoviae)の三味は「玉屏風散」の配合生薬である。「玉屏風散」は近年の研究で抗ウイルス、抗炎症、免疫調節作用があることが報告されている。

*「玉屏風散」:
効能は益気固表止汗。『世医得效方』、『医方類聚』、『丹溪心法』における黄耆、白朮、防風の配合比率は2:2:1である。

*上位汎用6生薬の性味、帰経、効能:
◎黄耆:補気薬(甘・微温、脾・肺経;健脾補中、昇陽挙陥、益衛固表、利尿、托毒生肌、補気行血)
◎甘草:補気薬(甘・平、心・肺・脾・胃経;補脾益気、袪痰止咳、緩急止痛、清熱解毒、調和諸薬)
◎防風 :解表薬(辛・甘・微温、膀胱・肝・脾経;祛風解表、勝湿止痛、止痙、止瀉)
◎白朮 :補気薬(甘・苦・温、脾・胃経;健脾益気、燥湿利尿、止汗、安胎)
◎金銀花:清熱解毒薬(甘・寒、肺・心・胃経;清熱解毒、疎散風熱)
◎連翹:清熱解毒薬(苦・微寒、肺・心・小腸経;清熱解毒、消腫散結、疎散風熱、清心利尿)


中国国家衛生健康委員会発布の「新型冠状病毒感染的診療方案」(最新版は試行第七版、2020年3月3日)に予防プログラムは含まれていない。著者らはその第一理由に「三因制宜」の原則を挙げ、第二は地域レベルで推薦された生薬・処方内容の地域差があり、これらを統べた全国的な確固たるエビデンスを備えた予防プログラムは確立されていないことを指摘する。例えば北部の乾燥地域では養陰作用がある沙参、麦門冬が、湿度の高い南部地域では湿濁を除く芳香化湿の作用がある霍香、佩蘭が加薬されている地域差を挙げる。さらに18の地域プログラムで、年齢や性別、慢性基礎疾患の有無などの違いに対し応用可能な二味かそれ以上の生薬が提示されていること、7の地域プログラムで中医学的体質に基づいた生薬選択が行われていることを踏まえ、各人に合せた最良の予防戦略(tailored prevention strategy)が、予防効果を挙げる為には必須であることを強調する。

*三因制宜:因時・因地・因人制宜、すなわち季節、地域、個人の体質・性別に基づいて予防および治療方法の調整をおこなうこと。

加えて著者らは、長期にわたる薬物使用における安全性を確保する為に、地域の公的機関が発布した医療プログラムに従った医療管理下での処方を選ぶこと、由来不詳あるいは公的な推薦がない処方や生薬を用いることに警鐘を鳴らす。万人が生薬による予防を行うことは推薦せずの言明とともに、医療関係者、家族、その他の患者との接触者、集団発生地域の住民などの高リスク集団において、入手が容易なこれらの生薬を用いた予防プログラムが有意義であると論述する。

さらに本研究の限界として、第1に“pestilence”が古典においては感染経路が多岐にわたる広範囲な概念を含み、必ずしも呼吸器感染症、特に今回のCOVID-19の病態を完全に表すものではないこと、第2にSARS、H1N1インフルエンザにおける過去の研究報告に基づく応用がなされても、COVID-19自体の予防法に関する直接的なエビデンスが現時点では得られていないこと、第3に各地の予防プログラムが、過去の伝染性疾患あるいはCOVID-19流行初期の疾病概念に基づいて各地の熟練の医療者が集団発生後の短期間に下したものであり、今後さらなる臨床応用と改良が必要であることを提示する。考察は以下の結論で締められている。
In conclusion, based on historical records and clinical evidence of SARS and H1N1 influenza prevention, CHM formula could be an alternative approach for the prevention of COVID-19 in high-risk population while waiting for the development of a successful vaccine. Prospective well design population studies are needed to evaluate the preventive effect of CM.


赤壁月 / 月岡芳年「月百姿」/ 81 Moon of the Red Cliffs Sekiheki no tsuki
Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001
《前赤壁賦》壬戌之秋、七月既望、蘇子與客泛舟、遊於赤壁之下。