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「竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、「珍しげなし。一上(いちのかみ)にて止やみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心(かんしん)し給ひて、相国の望みおはせざりけり。「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。」(第八十三段│「徒然草」,145-146)
竹林入道、西園寺公衡殿は、太政大臣になられるのに何の支障もおありでなかったのだが、「何も変わりは無いだろうからこの位で止めよう」と御出家なさった。これに感服なさった洞院左大臣、藤原実泰殿も太政大臣になる望みをお持ちにはならなかった。「亢竜有悔」ともいうではないか。月は満ちれば欠け、物は盛を極めては衰える。行先が詰めば破綻に近づいているという道理なのである。
*「亢龍有悔」(亢龍悔あり):『易経』乾卦・上九、天に昇りつめて降りることを忘れた龍。登り詰めた龍は下に降るほかはない。極みに奢り亢(たか)ぶればやがて悔いを残すことにもなる。盈(み)つればやがて虧(か)けゆくが道理であり、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の状態を永遠に保つことは出来ない。
*「月満則虧。物盛則衰」(月満つれば則ち虧く、物盛んなれば則ち衰ふ):
『史記』蔡沢列伝「語曰、日中則移、月滿則虧。物盛則衰、天地之常數也。進退盈縮、與時變化。聖人之常道也。」
春秋時代、後に秦の宰相となった蔡沢(さいたく)が、讒言によって応侯范雎(はんしょ)に召喚された際の言上。その意は、太陽が南中した後は西へと移り、月は満ちれば欠けゆき、物が頂点を極めれば後は衰退する。これが天地の数(さだ)めであり、これに応じて出処進退を変えゆくのが聖人の道である。
参考資料:
西尾実, 安良岡康校注:岩波文庫 新訂「徒然草」, 岩波書店, 1991
高田真治, 後藤基巳訳:岩波文庫「易経 上」、岩波書店, 1993
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳:岩波文庫「史記列伝(二)」, 岩波書店, 2015
馮国超著:「図説周易」, 華夏出版社, 2007