近所の農家の、納屋の裏の空き地に彼岸花が群生して咲いている。今年はいつまでも暑いので、花の季節も遅くまでずれ込んでいるのかもしれない。いちめんに血のような、鮮やかな色が地面を染めている。
ごんしゃん、ごんしゃん
何故(なし)泣くろ
彼岸花を見ると白秋の詩が浮かんでくる。いや、『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌が聞こえてくる。というか、とっくに死んだ友人の歌声が聞こえてくる。
記憶の日々は足早に遠ざかっていくが、彼の歌声はいまも近くにある。
小学生の頃から、彼は高音のよく通る声をしていて、教壇に立って皆の前で歌わされたりしていた。社会人になってからも声楽のレッスンを受けたりして、歌うことの夢は持ち続けていたようだ。
会うたびに、彼の歌い方は少しずつ変わっていった。ベルカント唱法という歌い方なのだと言った。彼が歌う『荒城の月』は、どこか西洋の古城を思わせて、滝廉太郎の歌には合わないような気もした。むしろ、山田耕筰が曲をつけた白秋の『曼珠沙華』の方が、詩の雰囲気に彼の声が合っていて好きだった。
白秋の詩ではなぜか、ごんしゃんはGONSHANというローマ字表記になっている。ごんしゃんというのは、白秋の郷里である九州柳川の言葉で、良家のお嬢さんという意味らしい。
ごんしゃんが赤い曼珠沙華を見て泣いている。「地には七本 血のように」曼珠沙華が咲いている。「ちょうどあの児の 年の数」だという。ごんしゃんは七歳なのだろうか。七という数字が不気味な暗号のように響く。詩の最後は「恐や赤しや まだ七つ」とリフレインされ、高揚したまま途切れるように終る。
澄み切った彼の声が、高い処へ消えていくようで、私は思わず空を見上げてしまう。
そのような歌の日々は今も続いている。「今日も手折りに来たわいな」と、彼は私の夢の中に出てくる。私は彼の歌を黙って聞き、そして彼の歌に癒される。歌われている彼岸花は「赤いお墓の曼珠沙華(ひがんばな)」なのだ。
そういえば、彼のお墓は奈良の何処かにあるはずだが、私はまだ彼の墓参りをしたことがない。
飛鳥伝説の狐のように、石舞台の上で歌ってみたいと言った彼が、冷たい石の下にいるなど想像しがたい。いま彼岸花は地上で燃えている。彼の歌声は澄み渡った空を流れている。
「2024 風のファミリー」