南禅寺から哲学の道まで歩いたのは、初夏の頃でしたが、今回はその続きを歩くつもりで、まず、前回、定休日のため食べ損ねた奥丹の湯豆腐を食べて(おいしかった!) それから、銀閣寺界隈に行ってきました。ところが、銀閣寺はただ今修復中。ぐわ~ん。 工事の横には屋根構造の模型が置いてあり、それによると、屋根は、板を少しづつずらして何重にも重ねた構造になっているそうです。
銀閣寺はたしか二回目くらいだと思います。金閣寺と庭園を思い起こして・、ふむ、別荘にするなら銀閣寺の方がいいかもと。・まあ、思うだけなら誰でもできます・
よく写真集などに載っている有名な庭です。この模様に意味があるのかないのか、は知らないのですが、心惹かれるものがあります。
銀閣寺の庭はそのまま東山の山に続いていて、、山と庭に境が感じられず、そう考えるとなかなか贅沢なことです。そう言えば金閣寺庭園も同じですね。もともと東山や西山の風景をそのまま庭の一部と考えて作っているということでしょう。
庭で大事なもののひとつは「苔」。よい苔とあまりよくない苔というものがあるらしく、苔のサンプルがたくさん並べられていました。
庭師さんが仕事をされていたので、いわゆる「よくない苔」とはどういうものですか?と尋ねてみたところ、緊急に取り除かなくてはならないものではないのだそうですが、要するに「雑草」のようなものだそうです。
ここは、南禅寺境内。木々や枝の完成されていること! 緑の濃淡が美しく、葉の一枚一枚が見えるようです。
大徳寺高桐院に行ってきました。(ほんとは鞍馬寺に初めて行く予定だったのですが、なんだかお天気がいまいちだったので。) この庭は紅葉の季節も素敵だろうと思いますが、新緑の季節もほんとうに素敵です。
竹林を背景にした緑の庭です。
全景を収めたかったのですが、無理・・でした。
上の吊り灯篭のところを右に曲るとこんな木がありました。 新緑の中で、ここだけ赤い紅葉。
こういう種類の木があるのですね。
来月、梅雨どき、雨上がりなど、もっと緑が濃くなり、素晴らしいと思います。
【歴史】
戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が叔父の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)を開山として慶長7年(1602年)創建する。
正保2年(1645年)に83歳で没した三斎は遺言により高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護される。
【アクセス】
JR京都駅より京都市バス・大徳寺前(約30分)下車、徒歩約10分。 (Wikipedia「高桐院」より注:Wikipediaは編集可能な百科辞典です )
四月中旬、桜がほぼ散ってしまった頃、南禅寺界隈に出かけました。
小雨模様、降ったり上がったりのお天気。緑が美しい。
樹の枝や葉も、どこからみても絵葉書になりそうな完成度だと思いました。
私に写真のセンスはまったくなく、おまけにカメラを忘れ、これは携帯の画像ですが・・・。
「奥丹」で湯豆腐を食べるはずだったのに、
なんと定休日・。
お花が綺麗だったので。
お蕎麦を食べました。
もう少し暖かくなると、外のテーブルもいいかも。
迷った末、つい冷たいお蕎麦を注文して、これは失敗、
まだ肌寒く、温かいお蕎麦にするべきでした。
京都市立美術館の催し「うつわ」考
[壷や鉢や皿や茶碗など・4月5日(土)? 6月15日(日)]を見て、
白川沿いの小道を選びました。
白川は祇園を通り、鴨川に注ぎ込みます。
三条通りを歩き、三条大橋の橋のたもとのスターバックスで休憩。このスタバは鴨川が見降ろせます。
以上で散策は終了。
明治神宮と代々木公園に行ってきました。
都会の真ん中に森。神宮橋に若者たちが集う。橋を渡れば若者の街原宿。
お神酒の樽。
「我国未曾有の変革を為んとし
朕躬を以て衆に先じ天地神明に誓ひ
大に斯国是を定め万民保全の道を立んとす
衆亦此旨趣に基き協心努力せよ」
(五箇條の御誓文より)
内拝殿
家族にお守りとお箸を買い、神宮内のテラスのあるレストランで食事。このレストランはお気に入りになりました。ぜひまた来たいと思います。
真田太平記を読書中ということで、一度行ってみたかった上田市へ行ってきました。
しなの鉄道、上田駅に到着。
上田駅は、地図の下の方、ビルのイラストがあるあたり、
上田城は、左上方あたり、
駅から徒歩20分くらいでしょうか、
散策にはちょうど良い距離です。
地図中央あたりに、「池波正太郎 真田太平記館」があります。
上田城
元は甲斐の武田氏の家臣である真田昌幸が築城し、本拠とした。武田氏が滅亡すると真田氏はこの地で自立をする。
上田盆地北部の尼ヶ淵に位置し、それまでの居城であった北東部の戸石城からの移転。真田昌幸が徳川家康が臣従した時期の築城であるが、昌幸は離反し、この城で2度に渡り、徳川軍を撃退している。(第1次、第2次上田合戦)特に慶長5年(1600年)の第2次上田合戦においては、石田三成追討に向かう徳川秀忠率いる中仙道軍を上田城に引き付けてこれを撃破して、主戦である関ヶ原の合戦に遅参させた。
真田昌幸が次子真田信繁(幸村)とともに紀伊国九度山に配流になった後は、徳川側についた嫡男の信之が統治するが、後に同国松代への転封を命じられる。
その後は仙石氏、松平氏が統治し、明治維新を迎えた。本丸に3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)が現存し、県指定文化財に指定されている。また、1994年には南櫓と北櫓の間を結ぶ東虎口櫓門と袖塀が古写真を元に復元された。
(Wikipedia「上田城」より現時点記事 一部引用 注:Wikipediaは編集可能な百科事典です)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%9F%8E
上田城は、天正11年(1583年)真田昌幸が築城。数では圧倒的に勝っていた徳川軍を、二度も撃退したことで有名な平城です。
大手門(東虎口櫓門)と南櫓
南櫓は、登ることができます。
門は1994年に復元。
門の南側の元の堀はかなり深いです。
水はなく、けやきが植えられています。
北側は水が入っています。
門に入る手前、右手にある真田石。大きい!
上田城の裏にある太郎山から切り出され、築城の際に固め石として埋めたものとか。
門に入って、南側の上田市の風景
南側はかつての尼ヶ淵、天然の要塞、絶壁になっています。
城内には、真田神社があります。
、
入ってきた大手門を後にして、上田市内へ。
歩道のマンホールの蓋、よく見ると、ここにも、六文銭が。
市役所前には、風林火山の旗
街中の休憩所前に滝がありました。
見上げれば、秋ですね。
紅葉が始まっています。
かわいいピンクのディスプレイ
お蕎麦やさんの店先。
信州そばを食べたかったけれど、
まだ、おなかがすいていなかった・・残念。
駅へ続く通りにあった建物。
こんな木が好き。
建物も古くシンプル、いい感じでした。
池波正太郎 真田太平記館
(写真はないのですが)
真田太平記の本の陳列や、真田氏にまつわるこの地方の模型を使っての案内、
シアター(蔵)では切絵を使った「上田攻め」などの上映など、真田太平記ファンを楽しませてくれます。
上田紬で作ったお土産の小物なども置いてありました。
- 開館時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
- 休館日:毎週水曜日、祝日の翌日、年末年始
- 入館料:一般300円、高・大学生200円、小・中学生100円
- 住所:長野県上田市中央3-7-3
- ℡:0268-28-7101
真田太平記についてのエントリーは、こちらから
京都の町中の甘味処へでかけました。
道の途中にある町屋。
何屋さんだっけ?
途中のお店のディスプレイ
到着。時間がずれていたので、お客はお一人だけでした。
抹茶とミニわらび餅にしようかと、少々思案、
でも、寒くなってきましたので、ぜんざいを注文。
席の隣には、こんな小さな中庭があります。細長い敷地の町屋には、大事な癒しの場所でもあり、明かりとりの役目もあるのでは、と思います。
小さな砂利が敷き詰められていて、
右の奥にあるのは井戸でしょうか。
昔の私の家にも、庭に井戸があったことを思い出しました。
小さな池に見立てた鉢も置いています。
その左手にあるお座敷には
屏風が飾られています。
小さな焼きもちが二つ。それに塩昆布。
たぶんもとは町屋なので、
お店の中ほどには、二階へ続く階段があります。
その階段下に、小さな床の間のように、
お花が飾られていました。
お店の中から、格子を通して外を眺めます。
外はもう日が落ちていました。
栖園〈大極殿 六角店〉 六角通高倉東入南側
京都の三条通りを歩いてきました。
寺町から烏丸通りに抜けるまでの三条通りは、新しい建物と古い建物が混在する、新しい観光スポットになっています。
京都文化博物館
その西側にある 中京郵便局
イノダコーヒー本店
すぐ近く、三条通りに面したところに、三条支店もあります。
マンションですね。
建物の前の木が、素敵ですね。
ところで、京都市は、古都京都の景観保存のため、
四条烏丸を中心とする田の字になったエリアをはじめとして、京都市の大部分に、建物の高さ、広告物、デザイン、借景の保全などに規制を設ける、新景観政策を9月からスタートさせました。
田の字地区の建物に対して、大通りに面しているところは31m、大通りから入った場所は高さ15mまでの規制をもうけることにより、町屋とのバランスをとりながら、景観を保とうという考えのようです。また、周辺の山々で行われるお盆の大文字などの、眺望や借景にも配慮された規制ということです。
田の字地区は、伝統的な町屋が多く残るエリアでもあり、同時に京都の商業の中心エリアでもあります。
伝統と繁栄の共存への試みですが、効果をあげることができるでしょうか。