【自公落城】(上)奈落の底に漂う虚脱感 (3/3ページ)
午後8時、投票が締め切られたが、記者会見場に現れたのは菅義偉選対副委員長1人のみ。テレビ各社が自民党惨敗の出口調査結果を次々に報じると「まさかと思っていたが、これが現実なのか。目に見えない地殻変動が起きていたのではないか。私たちは国民目線から遠くなっていたのか」と絶句した。
(中略)
首相は党再生への道筋を問われ、こう答えた。
「自民党は保守政党だ。守るべきものは守るために変えるべきものは変える。家族であり、地域であり、国を守る。日本の寄って立つ基盤は保守的なものだ。これを肝に銘じなければならない」
保守政党として再出発できるか。自民党は岐路にさしかかっている。 (MSN産経)
「まさか、ここまで」というほどの大敗北。 「国民目線から遠くなっていたのか」と言う菅氏の言葉は、その通りだと思います。 ”自民党の凋落”は、「日本国民の生活の凋落」、自民党はそれに鈍感だったのではないでしょうか。
私自身は”表から見えにくい民主党の売国政策”を知っているので、民主党に投票することはあり得ませんが、自民党に投票していた人々が、民主党に走った気持はなんとなくわかるのです。
数年前に非正規雇用(パート)をしていた時、雇用形態が違うことで、結果的に収入にとんでもない差がついてしまう、いわゆる格差に気づき、 日本社会の「面変わり」に驚きました。見渡せば、正規雇用者として雇われる人は一部になっていて、ということは、低収入で社会保障の枠外にいる人々もあふれているということです。昔は(ほとんどの人は正規雇用だったので)真面目に働ければ、今よりも生活がよくなるだろう未来が、ある程度描けました。今はそれができない、十年後どころか一年後もわからない。特に若い人達の雇用は、仕方がないでは絶対に済まない、国の未来に関わる大問題です。
与党が、この現実を「なんとかする気がある、なんとかできる」とは思えない、という鬱積したものが、この結果を生んだのでしょう。 少なくない国民の切迫した生活維持不安ー社会構造の大きな様変わりがもたらした、”つけ”を、自民党政権は把握しきれていなかったのではないかと思うのです。 自公政権が始めた「構造改革」は宙に浮いたまま、着陸点も見えず、その総括もできず。 大きな部分での柱も芯もなく、小さなところでいちいちもめている自民党の内紛や混乱は、改革がもたらした現実社会のひび割れや混乱をそのまま映しているかのようです。
しかし、この敗北は、”アンチ現状”の思いが手近な民主党に流れたという意味であり、皆が寄ってたかって(特にマスコミが) 国民の現状への不満を、たまたまそこにあった”受け皿”に誘導しただけ、とも言えます。 誘導されてその通りになってしまう国民も国民ですが・・。
自民党に思うことは、これをなんとか”よい機会”としてもらいたいということ。 まずは公明党と手を切ってもらいたいと思います。(自公連立では大事な部分が後回しにされてしまう。日本人のための保守政党にはなれないだろう)
自党が一度は”よし”と思って始めただろう「構造改革」の意味や長短を、自民党内でしっかり総括して見極めるところから始めてもらいたい。 また、保守政党として譲れないもの捨ててはならないものを強く共有してもらいたいと思います。それから、”経済の成長”だけで日本はよいのかということ、日本人の生活がひどい状態なのに、外国人保護や優遇を考える余裕があるのか等々・・真に「日本人のための日本の政党」として、強固な思いを共有して再出発してもらいたいと願います。
「民主・鳩山政権」が”日本の夜明け”になることなど、あり得ません。これから何が起こるのか、それを考えると「恐怖」です。しかし、民主党は大きくなっただけ分裂する可能性は増したとも言えるわけで、当面、民主党の「隠された政策」が表に出てくる日を遠ざけながら、その間に、小さくても強い自民党の再起を待ちたいと思います。