人権擁護法案がまた浮上してきているということですが、「苺畑より」さんというブログのエントリーで、イギリスとアメリカの人権保護にかかわる興味深い記事を読みましたので、一部抜粋します。
人権保護という名の言論弾圧 October 27, 2007,
イギリスでは人権保護という名目で自由がいたるところで束縛されるようになったと、コラムニストのメラニー・フィリップスは書いている。
ゴードン・ブラウン首相は現在人権保護のための新しい法案を製作中だという。しかしこの法案は人権保護どころか言論の自由を弾圧するものだとメラニーは警告する。
これは非常に恐ろしいことだ。政府が自由という言葉を口にするたびに、私は歯ブラシをスーツケースに入れる。これはゴードン・ブラウンという自由社会の根本を破壊しようとし、ヨーロッパ連盟の憲法条約を議会で押し通し、わずかながら残された自治の権利を失うかどうかについては国民の意見を取り入れるという公約をやぶり、英国の自治を脅かしている同じ首相である。
英国には人権法というのがあるが、これが悪用されて人々の自由をどんどん束縛するようになっているのだそうだ。これはもともと少数民族が差別を受けないようにと設けられた法律だが、アメリカのアファーマティブアクションと同じで時がすぎるにつて、少数派が裁判所を使って一般民衆の道徳観を攻撃する道具となってしまったようだ。たとえばテロリストの容疑者が人種差別をしたと訴えて警察の捜査が邪魔されたり、違法移民が人種差別を言い訳に国外追放を免れたりと、国の安全にかかわることですら人権法が人々の前に立ちふさがっているのだ。
(中略)
イヴァン・コイン・マロニー(Evan Coyne Maloney)という若い映画監督がアメリカの大学キャンパスをあちこち巡ってつくったIndoctrinate Uというドキュメンタリーでは、いかにアメリカの大学が思想の自由を弾圧しているかを描いている。(私はまだ見ていないが、パワーラインで予告編を見ることができる。)
アメリカの大学では「ヘイトスピーチコード」という規則を取り入れているところが多いが、要するに相手が嫌がる言葉使いをしてはいけないというものなのだ。しかしあらかじめ使ってはいけない言葉がきちんと列記されているわけではなく、少数派だと自分で考えている人が差別されたと感じれば、その言葉を使ったひとはヘイトスピーチを使ったとして罰せられるという恐ろしい規則だ。相手がどんな言葉で傷つくかなど人それぞれではないか、何が違反かもわからない状態ではやたらなことはいえない。
(中略)
アメリカは熔解の鍋と言われるほど多様の人種や国籍が集まり、それがアメリカ人として融合するというのがその強さの基盤となっていた。ところが最近のアメリカの大学では、「女性の会」「黒人生徒サークル」「同性愛サークル」といったようにそれぞれのグループを区分けするやり方がごく普通になっている。私は大学生の頃、どこかのサークルの集まりでピザの箱が山済みになって学生達がピザを食べていたので、自分は関係なかったのだが、中国人のクラスメートと一緒にサークルのメンバーのふりをしてピザを盗んじゃおうかという悪いことを企んだことがある。ところが、集まっている生徒の顔をみていたらみんな黒人。我々東洋人がメンバーのふりをしようにもこれは不可能。仕方なく諦めたという笑い話になったことがある。
しかし、少数派が少数派で固まり、外部者を受け付けないやり方は差別をなくすどころか、かえって差別をひどくする。口を利くたびに差別用語を使ったとして処罰されるのでは、普通の白人男性は怖くて有色人種や女性と口が利けなくなるではないか?無論それが大学側の狙いなのだ。彼らは学生達が左翼の教授らと全く同じ思想をもつように洗脳するのが目的なのだから。
デューク大学でパレスチナのテロリストの看板組織ISMが大学のサークルを利用してメンバーを募っていたなんて話は有名だが、もしデュークでISMサークルはテロリスト組織だと学生達が疑ったとしても、それを口にするのは非常に危険だ。差別者として退学になるだけでなく名誉毀損で訴えられかねない。その挙句にパレスチナ系テロリストに暗殺される危険すらある。
人権保護法は法を尊重する善良な市民を守らず、テロリストや犯罪者を守り、政府に多大なる力を与える非常に危険な法律である。イギリスも他のヨーロッパ諸国も、そして無論アメリカも、この恐ろしい法律をもう一度見直して欲しいものだ。
「苺畑より」
この記事にあるようなイギリス・アメリカの具体的な事情を知れば、日本の「人権擁護法案」が内包している危険もまったく同じであると考えるべきである。
要するに相手が嫌がる言葉使いをしてはいけないというものなのだ。しかしあらかじめ使ってはいけない言葉がきちんと列記されているわけではなく・・
使っていけない言葉が決められていない状態で、結果として相手が嫌がる言葉を使っていまったということ、要するに相手が差別されたと感じればただそれだけで罰せられるということである。最近の、積水ハウスの在日韓国人社員が人種に基づく差別的発言を受けたとして、顧客に対して300万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求める訴えを起こしたというニュースを思い出した。「差別」という言葉の曖昧さが相手の感情・気分によって拡大解釈されれば、どんな状況でも罰せられる可能性は大きいということである。これでは気軽に言葉を発すること、会話をすることさえままならないではないか。
英国の「人権法」もアメリカの「ヘイトスピーチコード」も、はじめは少数派を保護するために作られた法律や規則であるが、それが悪用され、犯罪者、テロリストの人権を守る法律になってしまったということは、冗談ではすまない恐ろしい話である。
鳩山法相はこのように述べている。
人権擁護法案提出の動き再燃 法相が強い意欲 (1/2ページ)
(MSN産経ニュース)
鳩山法相は、人権擁護法案についての危険性や、これらの外国の先例を承知の上でこの法案に意欲を示しているのであろうか?
少なくとも人権擁護法案を推進する勢力は、「人権擁護法案」が内包する危険な可能性を承知の上でむしろこれを利用するために推進しようとしている、と考えておいた方がよいと思う。
この法案の危険性を多くの人が知り、廃案になることを望んでいる。