【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 歴史を歪曲する方法 (1/3ページ) 2009.4.30 03:16
右であれ左であれ「事実そのものを封ずる空気」というのは、いやなものである。とくに、歴史を扱うドキュメンタリー映像には何度もだまされてきたから、ハナから事実と思ってみないクセがついてしまった。哀(かな)しいことに。
つい最近も、台湾情勢に関心がある人ならすぐに「変だな」とテレビの小細工に気づく番組がまたあった。日本が横浜開港から世界にデビューして150年間をたどるNHKの「シリーズ・JAPANデビュー」である。
その第1回放送『アジアの一等国』を再放送で見た。テーマは50年に及ぶ日本の「台湾統治」だから、制作者は植民地政策の悪辣(あくらつ)さを暴き出すことに熱心だ。台湾人すべてを「漢民族」でくくるたぐいの荒っぽさが随所にあった。
なにより『母国は日本、祖国は台湾』の著者、柯徳三さん(87)ら知日派台湾人が、筋金入りの反日家として登場したのには仰天した。日本人も驚いたが、本人はもっとビックリした。放映後、柯さんは担当ディレクターに「あんたの後ろには中共がついているんだろう」と文句をいったと後に語っている。
(中略)
制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない。歴史事実を歪曲(わいきょく)してしまう古典的な手法である。
昨年も、神社と戦争の結びつきを強調した映画に『靖国』があった。靖国神社のご神体は鏡と剣であり、どちらが欠けても成り立たない。だが、中国人監督は半分の剣だけを摘出して「武」のイメージを極大化した。90歳の刀匠が節目に登場するのはそれが理由だろう。刀匠から「事前説明とは違う」と抗議されると、監督は「政治の圧力か」とそらした。
『アジアの一等国』であれ『靖国』であれ、「事実そのものを封ずる空気」はいやなものである。 (MSN産経)
「事実そのものを封ずる空気はいやなものである」 そして、それを”日本公共放送”がやるのだから。
とくに”報道番組”の妙な”おどろおどろしさ”に嫌気がさして、最近はNHKをあまり見ていなかった。しかし、見ないと何も言えずと思い、プロローグを見てみれば、嫌な予感は的中、『第一回 アジアの一等国』も”やっぱり”のひどい内容で、なんというのか、報道側の「強い意図」をひしひしと感じるのである。 「チャンネル桜」が、出演された台湾の方々に後追い取材をして、NHKの「歪曲」をしっかりとあぶりだしてくれたことは、本当に有難いことだった。
冷静に考えれば空恐ろしいことで、TVの個人視聴率1%は、(地域差が大きいが)関東地方では約40万人にあたるそうで(こちら)、関東地方個人視聴率10%であれば、単純計算で約400万人に届く”歪曲情報”ということになる。巨大な力である。 だからこそ放送倫理は厳格に求められなければならないのだが、 NHKの番組制作者は、放送倫理など完全に忘れているのか? というより、NHK制作者は「ある思惑や思想に沿って番組作りをすること」を”よし”としているのだろうと思う。 制作者が「良い」と考えた趣旨のためには、多少なりとも、いや大々的に細工して事実”歪曲”も辞さない、それを悪いことと考えていないのではないか? たぶん「事実にできるだけ近づいた報道をすること」よりも、「ある”趣旨”を強調すること」を優先しているのだろう。 しかし、これがまかり通れば、報道番組は簡単にフィクション化してしまう。 そして「フィクション化された内容」でも、”報道番組”であるがゆえに、視聴者は「事実」として受け取るだろう。何と危険なことだろうか。そのうえ、NHKは”公共放送”なのである。いつから公共放送局内部がこんなことになってしまったのか。NHKを放置してはならないと思う。