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内閣府が「移民の大量受け入れ」という選択肢を示す、という記事について

2014-03-16 | 政治〈国内〉

毎年20万人の移民、やがて日本人が少数派に 論説委員・河合雅司 2014.3.16 15:30 (1/3ページ)

 

避けられる人口減少  

  今のままならば、日本の21世紀は、未来の歴史学者たちから「人口激減の世紀」と呼ばれるだろう。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)は、現在約1億2750万人の総人口が、2060年に8674万人、2110年には4286万人まで減ると推計している。  

  こうした未来図を変える方策はないのか。2月に内閣府が「移民の大量受け入れ」という選択肢を示した。受け入れ規模は2015年から毎年20万人。2030年以降の合計特殊出生率が「2・07」に回復するのが前提である。  

  この2条件を達成すれば、2060年は1億989万人、2110年には1億1404万人となり、ほぼ1億1千万人水準を維持できるというのが結論だ。  20~74歳の「新生産年齢人口」も試算しているが、2012年の8973万人が、それぞれ6699万人、7227万人となる。  

  こうして数字を示されると、移民も「有力な選択肢」に見えてくる。だが、実現へのハードルは低くはない。  

  まず整理しておきたいのが、「移民」と「外国人労働者」の違いだ。移民は日本国籍を付与し永住が前提だ。一方、外国人労働者は企業が一時的な戦力として雇用する人たちで、景気動向によって帰国するし、よりよい条件を求めて他国に移ることもある。外国人の受け入れではこれらを混同した議論が多い。  

  これまで企業が想定したのは低賃金で働く20~30代の外国人労働者だ。不況になれば解雇すればよいとの発想である。だが、若い労働者を次々と入れ替えたのでは人口減少には対応できない。

 

 

税で膨大コスト負担

 内閣府の試算は人口減少対策の位置づけである。この点を踏まえて課題を考えたい。まず毎年20万人という数字の妥当性だ。100年間で2千万人。試算通り総人口1億1千万人で維持できたとしても、2110年には約5人に1人が移民の計算となる。

 しかし、1億1千万人は出生率2・07という希望的な数値をクリアしなければ実現しない。出生率が回復せず、社人研が予測する4286万人となれば、2千万人の移民は日本社会において極めてインパクトのある存在となる。

 それ以上に衝撃的なのは、「日本人」が少数派になることだ。内閣府の資料には明記されていないが、出生率2・07への回復は、多産文化の国から来た移民が日本でも多く出産することを想定した“押し上げ効果”を織り込んでいると考えるのが自然だろう。

 2・07まで回復しなくとも、やがて移民と日本で生まれたその2世のほうが多くなる日が訪れる。われわれは、日本社会の大変貌を許容するかどうかを問われているのである。

 移民の大量受け入れとなれば言葉の壁や文化の摩擦も生じる。天皇への尊敬の念や古来の文化や伝統が変質する可能性もある。

 住宅や社会保障、子供の教育などにも膨大なコストを要するが、税負担増でまかなうしかない。とりわけ問題は長期の加入を要する年金だ。移民の年齢によっては支払期間が不足するだろう。将来的な低年金や無年金者の対策コストが増えることにもなる。

 さらに、年老いた両親を母国から呼び寄せようとする人が増えれば、移民政策とは異なる問題を迫られる。

 

途中でやめられない

 ゴミ出しや騒音トラブルが話題になってきたが、大量の移民受け入れには、治安悪化や社会モラルの崩壊を不安視する人も少なくない。多くの国で移民排斥事件が起こっている。治安コストを過小評価することはできない。

 人間というのは、出身国への思いをそう簡単に断ち切れるものでもない。万が一、大量に受け入れた相手国と日本が緊張関係に陥れば、国論が割れることもあり得る。場合によっては、安全保障に直結する問題に発展する。

 毎年20万人もがコンスタントに来るかは疑問だが、「数が増えすぎたから」といって打ち切ることも困難だ。「毎年20万人」を前提として社会は出来上がるからである。それを突然やめれば、ビジネスは混乱し、マーケットや社会保障制度への影響も出る。

 移民は人口問題の解決策として語られることが多いが、このように課題は多面的だ。女性や高齢者の活用を優先すべきだとの意見も強い。戦略なくして大量に受け入れれば国を誤ることになる。(MSN産経)ttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/140316/plc14031615260006-n1.htm

 

 

 

少子化による人口減少問題は数年前から懸念されていました。5年ほど前、福田政権時にも「移民1000万人計画」なるものが自民党内から出たこともあり、外国人労働者増加に伴う諸問題も増加している時で、大変驚いたことを覚えています。(移民ではなく)外国人労働者の増加でさえ、彼らの子供の日本語教育問題や文化摩擦、健康保険、年金未加入による費用拡大なども懸念されており、問題はむしろ拡大、複雑化する一方です。

産経記事内で筆者もそれが内包している危険性について的確に指摘しておられますが、人口増目的の安易な移民推進は大変危険なことと危惧しています。

 

 

ー●やがて移民と日本で生まれたその2世のほうが多くなる日が訪れる。われわれは、日本社会の大変貌を許容するかどうかを問われているのである

●移民の大量受け入れとなれば言葉の壁や文化の摩擦も生じる。天皇への尊敬の念や古来の文化や伝統が変質する可能性もある。

●住宅や社会保障、子供の教育などにも膨大なコストを要するが、税負担増でまかなうしかない。とりわけ問題は長期の加入を要する年金だ。移民の年齢によっては支払期間が不足するだろう。将来的な低年金や無年金者の対策コストが増えることにもなる。ー

 

「移民」とともにこのような手に負えないほどの新たな問題が未来に舞い降りてくることを、内閣府は想定しているでしょうか?

それよりも先に必要なのは、特に日本人の20代30代の若年層が結婚し子供を持てる環境の整備が最優先でしょう。

移民を考えるならば、未来にかかってくる諸問題とコストも考えなければならず、ならば日本人の若年層にこそ、その費用を向けることを政府は考えるべきです。

2、30年前と現在の社会構造や労働環境は全く違います。終身雇用は遠ざかりつつあります。非正規雇用は増え続け、それによる若年層の生活不安は増大しています。男女機会均等法がもたらしたものの中には正の面だけではなく負の面もあります。そのケアについても考える必要があるでしょう。

気がつけば、若年層を取り巻く労働意識、環境、家族観、社会観までも変化してしまっていました。若年層が生活の中で自然に結婚や子供を望み、育てるという道を阻むものが多すぎるのです(特に首都圏ではそれが顕著だと思う)。 待機児童ゼロ化は早急に必要ですが、それだけではこの問題は解決しません。

 

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