3/3(水) 晴 ひな祭り。
何年か前、コロナウイルスがなかったころ、
「真壁のひなまつり」というイベントを見学した。
茨城県桜川市真壁町をあげてのお祭り。
たいそう賑やかだったのを憶えている。
旧家があって、古い町並みが残っていて
名家が誇るひな人形が鎮座している。
茨城にお住いの歌人に案内して頂いたのであった。
今年はコロナの影響でお祭りは中止となった。
雛飾りというものにも私は哀愁を感じる。
私はいつも、何をしたって、どこに行っても
哀愁を帯びてしまうのだから、始末が悪い。
私には姉と妹がいるが、雛人形を飾ってお祝いする
習慣はなかったような気がする。押入れには
ネズミに齧られた雛飾りがあったが、貧乏長屋に
段飾りは不似合いで、両親は日々の暮らしに追われて
ひな祭りどころではなかったのだろう。
3月3日。一番に思い出されるのは母の交通事故である。
私はまだ小学生だった。その日の朝礼で校長先生が
「みなさん、今日は何の日ですか?」と問うた。
悪ガキの一人であった私は「耳の日!」と大声で答えたのを憶えている。
校長が「ひなまつり」と答えるのを期待しているのを察していたから。
つまり、ひねくれ者はずーっとひねくれ者なのだな。
何となく帰りたくなくて、その日はガードレールに腰かけて
帰ってゆく同級生たちを見送っていた。よく晴れた午後。
ちょうど今日みたいな天気だった。
帰宅すると、母の友人知人が集まって深刻な顔をしていた。
母が自転車に乗っていて、タンクローリーに巻き込まれる事故に遭い、
脚を切断するのだと言われた。
工場の資金のことで、信用金庫に行った帰りだった。
その日の夕方、妹と「ルパン三世」の再放送を見たことだって憶えて
いるんだから、大きな衝撃は心に焼きつくのだとつくづく思う。
未だに、チャ-リー・コーセイの歌うエンディング曲を聴くと
不安でいっぱいの気持ちになる。
ひな祭りの哀愁の源泉はそんなところにあるのだろう。
その後のひな祭りの哀愁の理由はいくつもあるのだが
また別の機会に。なんつって。
おしまい。