昨夜、十月会例会で配付された資料です。
丹波真人氏の手書きの立派な文字に見惚れましたよ。
問題があるかもしれないのでぼやかした、
7/13(水) 雨
夏場に向けて復活しつつある工場です。
昨夜は超結社短歌研究会十月会の例会に出席。
首都高を飛ばしたら20分ほどで到着しました。
18:30~20:30くらいまで。出席者は多からず。
コロナ再ブームの影響もあるでしょう。
K路さんから個人誌「晴詠」に対してカンパを頂戴し、
Aずささんから名古屋に行ってきたからとうどんを頂戴する。
暖かきかなお心遣い。感謝感謝。
例会は丹波真人氏による発表「映画のはなし」。
丹波さんは「短歌往来」に映画の短歌について長いこと連載中です。
ぼやーっと真剣に聴いてましたが、ちと古すぎる映画の話。
映画館、名画座というだけでノスタルジーな世の中ですもんね。
原節子やら片岡千恵蔵やら、李香蘭やら・・・。
ジェームスディーン、バーグマン、ヴィヴィアン・リーやら・・・。
発表を聴きながら思ったのですが「映画を詠む歌人の心とは?」
タイトルを詠み込まれた短歌を見てもその映画を知らなければ
読解するにも無理があると思ったことです。
映画に関する短歌を50首近く紹介いただきましたが
唯一、これはと思った作品がこれです。
ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず 葛原妙子
葛原妙子の歌集『縄文』(1974)に収載されているそうです。
私は全歌集に何度か目を通したつもりでしたが、見落としていた名作。
目を通しただけで読んではいなかったのですね。バカだから。
この作品は字余りが甚だしいけれどもそれが大いなる魅力。すごいなー。
おしまい。