2001年に岡崎市の旧市街地に美術館を開設した。フランスの現代絵画の秀作を常設展示した。その入り口に飾ったのが、ルーヴル美術館の特別室サロン・カレを描いた
P100の版画であった。通路の正面には日本を題材にしたル・サロン名誉会長トリーブ・アルノード氏のF150の大作であった。
家族は勿論、会員からも反対の声が大なものを強行したO氏と私の大冒険であった。
そもそもの始まりは、彼が、閑散としたビルの空間を利用して、チャリティ絵画展を開催したことによるものであった。
6階の大きい空間を芸術で埋めて欲しいという、素人にしては少し、美術を知っているビルのテナント代表からの申し込みであった。
毎日、毎夜電話攻勢に負けて、その気になった彼。東京の協力者は小生が加わるならという条件で、いやおうなしに加わる結果となった。
P100の版画であった。通路の正面には日本を題材にしたル・サロン名誉会長トリーブ・アルノード氏のF150の大作であった。
家族は勿論、会員からも反対の声が大なものを強行したO氏と私の大冒険であった。
そもそもの始まりは、彼が、閑散としたビルの空間を利用して、チャリティ絵画展を開催したことによるものであった。
6階の大きい空間を芸術で埋めて欲しいという、素人にしては少し、美術を知っているビルのテナント代表からの申し込みであった。
毎日、毎夜電話攻勢に負けて、その気になった彼。東京の協力者は小生が加わるならという条件で、いやおうなしに加わる結果となった。