青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

一年半の短期美術館

2005-02-11 11:26:00 | Weblog
2001年に岡崎市の旧市街地に美術館を開設した。フランスの現代絵画の秀作を常設展示した。その入り口に飾ったのが、ルーヴル美術館の特別室サロン・カレを描いた
P100の版画であった。通路の正面には日本を題材にしたル・サロン名誉会長トリーブ・アルノード氏のF150の大作であった。

家族は勿論、会員からも反対の声が大なものを強行したO氏と私の大冒険であった。

そもそもの始まりは、彼が、閑散としたビルの空間を利用して、チャリティ絵画展を開催したことによるものであった。

6階の大きい空間を芸術で埋めて欲しいという、素人にしては少し、美術を知っているビルのテナント代表からの申し込みであった。

毎日、毎夜電話攻勢に負けて、その気になった彼。東京の協力者は小生が加わるならという条件で、いやおうなしに加わる結果となった。

フランス嫌いから親交に変化

2005-02-11 10:11:00 | Weblog
感情優先の生き方は嫌いな私だが、第一回目イタリヤ訪問のときである。フランスのドゴール空港経由での飛行機であったため、行きも帰りもフランスへ寄り、お土産売り場も立ち寄った。

そこで二つの事件に遭遇した。一つは添乗員が男性のベテランだったためか、乗り換えの分かれ道で、荷物はどうなるのか分からず、どちらへ行くべきか迷った同乗者に、見かねた私が、空港職員と話して、解決したことがある。

当の添乗員はのこのこと、お客より後から飛行機から降りてきて、勝手に行動しては困ると乗客に文句をつけたことである。
旅慣れていたし、引率に慣れていた私は、今回は家内と一緒の私人として、ゆっくり客になろうと思っていたが、緊急事態に見かねて本領発揮してしまった。

その挙句、彼に、自分の身元を明かしたのである。それからは旅の間、必要以上に気を遣われて困ったのであった。
次が一番のフランス嫌いの原因。買い物をしようと売店に寄ったときのことである。

英語しか使えない客に、知っているのに、フランス語でしか返事をしない。イタリヤの小銭は使えない。とフランス独特の変なプライドが、お客に対する態度に相応しくない。

これが一番引っかかって、何年かの間、嫌いが続いた。

何年か後には、フランスの作家たちとの交流で、全く解消されたのだが、善し悪しは別として、そんな国民性は強く今尚感じるのである。

家内のバス旅行

2005-02-11 09:53:00 | Weblog
今朝から、近所の友人と二人で、家内がバス旅行に出発した。集合場所へ車で送り、帰宅したらNHKの朝ドラ「わかば」。今日も泣かされて十五分が過ぎた。

次にルーブルの特番6時間。これは有難い。美術愛好家には嬉しい番組である。NHKならではのスケールだ。徴収料不払いはできない。