ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

「江」と信長と光秀と

2011-02-14 11:32:07 | TV DVD
 NHK大河ドラマ「江」姫たちの戦国がスピーディな運びで放送されている。

 織田信長の妹市の3女として生まれたが、父浅井長政は叔父の信長に討ち果たされた運命を持つ「江」姫。その数奇に富んだ生涯を描くドラマだが、叔父信長との出会いとその生きざまに共感し魅かれる様子が面白い。鬼神と恐れられた信長に近づき、信長の内面と苦悩を見聞きする。その叔父はやがて本能寺で明智光秀の手で倒されてしまう。

 江はこの本能寺の変の時には徳川家康と共に堺に滞在しているが、家康一行と急ぎ伊賀越えの難渋を潜り抜け脱出する。しかし帰った伊勢上野城は既に母や姉たちが退去した後だった。江はその城に押し入ってきた野武士の集団に捕らえられ明智光秀のもとに送られる。

 光秀は本能寺で信長を討ち果たし留守にしていた坂本城に帰ったが、信長の側近だった森蘭丸からの手紙で信長は家臣の内で一番自分を評価していたことを知り悔悟する。光秀は清州城に戻った母のもとに江を送り返すが、その後に備中から大返しを果たした秀吉との山崎の戦いに敗れて切腹して果てる。

 小生は江姫が果たして誰もが恐れていた信長の本心に迫るまで近づき愛されていたのか、さらにドラマの様に家康、光秀にまで近づき得たのか疑問に思っている。昨年の「龍馬伝」でも論争された歴史とドラマの違いだろうと思う。

 後に江は家康の後継者の秀忠の正室となるのだから、家康との接点は多分にあったことは想像できる。しかし本能寺の変のあとの光秀との接点があったとは到底思えない。しかしそこがドラマのドラマたる所以だろうと思う。光秀と江の出会いで光秀の内面の弱さと悔悟の残る気持ちを作者は描こうとしたのだろうと推察した。

 かくて次回以降は秀吉の台頭と母の再婚へと物語は続く、3人の姉妹たちの数奇な運命の輪が回り始めようとしている。このドラマの今後も楽しみに拝見したい。

TV画面から

     苦悩する光秀              母や姉との再会を喜ぶ江
       
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映画「わが心の歌舞伎座」

2011-02-13 12:36:52 | インポート
 2009年、歌舞伎座は老朽化のために建て替えがきまりさよなら公演が始まった。10日に東京東劇で鑑賞した映画「わが心の歌舞伎座」は、そのさよなら公演に出演した名優たちが歌舞伎座への想いを語るものである。2013年に新歌舞伎座は再開場される。

 出演は現代の名優たち11名に及ぶ。市川團十郎、尾上菊五郎、片岡仁左衛門、坂田藤十郎、中村勘三郎、中村吉右衛門、中村芝翫、中村富十郎、中村梅玉、坂東玉三郎、松本幸四郎等々が、役への一念、受け継がれてきた名跡と芸、初舞台や思い出の舞台、先達たちの残した言葉、さらなる目標へと向かう志を熱く語っている。

 そして夫々の俳優たちの演ずる思い出の舞台が再現されて実に楽しく拝見した。特に印象深かったのは、中村吉右衛門が演ずる「熊谷陣屋」の名場面。祖父であり養父である初代が演ずる舞台が映画でも残っている。小生はこの映画は歌舞伎座で拝見している。さらに実父の先代松本幸四郎(白?)の舞台も見ている。もちろん現代の中村吉右衛門の舞台も見ているので3代続いた舞台を見ていることになる。

 さらに感激したのは、演目の稽古風景や制作現場や楽屋の様子。そして舞台を支える名代の音曲の奏者たち、さらに若手俳優たちが取り組むとんぼ返りの練習に励む様子なども克明に映し出している。それに影で舞台を支える床山、舞台装置製作者、衣装係等々も紹介して歌舞伎の真髄を余すことなく展示してくれている。

 小生はこの映画を見ていて、歌舞伎の世界と同じく永い時代を生き抜いてきた大相撲の世界の現状を思い浮かべてしまった。同じ個々の俳優たちの徒弟制度から始まった歌舞伎界は「松竹」という興業会社により、より現代に即した形で生まれ変わりながら隆盛を誇っている。一方の相撲界は古い仕来りを守ることから抜け出せなく、存亡の危機を迎えている。相撲協会と言う内輪の世界だけでは現代化の波に乗り切れないジレンマを抱えているのだろうと、大好きな歌舞伎の世界と対比して見てしまったのでした。

映画のHPから借用のポスタ-である
              
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日本列島が寒ぶー

2011-02-12 22:59:38 | 独り言
 北日本の大荒れの雪模様、被害が拡大。

 予算審議の国会の与野党の混乱ぶり、民主党の低落も顕著。

 新燃岳の爆発的噴火の連続が続く。

 大相撲の八百長疑惑、ケイタイを踏み潰す奥方までいる力士たち。

 この寒さでインフルエンザが人間だけでなく鳥たちにも蔓延の兆し。

 15歳の少年がネットで爆弾予告で逮捕される。

 飲酒運転によるいたましい交通事故の頻発に心が痛む。

 寒い屋外での喫煙を強いられる喫煙者、値上げとの2重苦まで。

 どこまで続くのか日本列島の厳寒は。

 
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昨日の会では

2011-02-12 16:20:01 | 郷里山形の事
 昨日は幼馴染を含んだ郷里の友人(小・中学校の9年間を一緒に学んだ同年齢の仲間たち)との会食を楽しんだ。話題は必然的に今回欠席した仲間の現況報告や、既に亡くなった友人たちの思いで話から始まる。その会に出る度に郷里山形の幼かった時の思い出が鮮明に蘇る。

 当初、関東地区に居住の友人たちをまとめて会を創ってくれたE・T君は6年前に亡くなっている。彼は実に強引な面もあり年1回の会の開催日が近づくと必ず会に出て来いよと電話を呉れた。この友人は小生の家の近くだったこともあり子どもの時からの一番の仲良しだった。野球の好きなこの友人は高校野球から郷里の社会人野球チームに進み、その後は神奈川県警に勤務した。

 彼の結婚式が川崎であった時に大阪勤務だった小生が呼ばれて何と披露宴の司会を仰せつかって仰天したことを覚えている。逆に小生が大阪で結婚式を上げた時には駆け付けてくれて、披露宴で「大漁節」を歌って祝ってくれた。最後は肺がんからくる肺気胸から呼吸困難を長く患い苦しんで亡くなった。

 もう一人はやはり6年前に亡くなった幼馴染のY・H君だ。小学校4年生の時に我が家の近所に引っ越してきて以来の友人だった。彼は県内一の進学校から、一浪して仙台のT大に進み、6年ががりで卒業し大手のA新聞の支局に入社し、最後は本社の編集センターに勤務した後に、小さな関連会社の社長を務めていたらしい。風邪をこじらせてあっと言う間の最後だったと遺族の方に聞いた。

 ふたりに共通したのは凄いヘビースモカーで大酒飲みである。とにかく宴会などではトコトンまで飲まないと気が済まないタチであったが、何故か仲間たちの面倒見も好かったことから一目おかれた存在でもあった。

 今回のこの会は始まってから31回目の開催になるそうで随分長く続いてきた事になる。この会の常連だったT・K君は有名私大のK大の教授まで努めたが退職後の数年前に郷里に夫婦で帰っている。またご主人と死別した女性のS・Hさんは郷里の姉がひとり住まいになったので急遽昨年の末に帰郷したらしい。

 こんな遠慮のない他愛のない話に花が咲き、今年の会を終わったのでした。来年からは寒い時期を外して4月の第2木曜日に開催することを決めて散会しました。
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雪の休日は浅草へ

2011-02-11 18:46:29 | 独り言
 太平洋側も時ならぬ雪の予報である。朝からちらほらと降る雪の中を今日も東京へ出かけたのでした。2月の11日の祝日を恒例として開催している、郷里山形の仲間たちとの会合である。今は山形市に統合されているが、かっては5.000人程の小さな村が郷里である。小学校、中学校が1つづつあり、3クラスの生徒120人程が9年間交互にクラスを変えて一緒に学んだ仲間たちである。その120人程のうち、半数以上は郷里をあとにして県外に就職し居住している。そして関東周辺に居る仲間が年1回集合して旧交を温めている。雪の天候のせいかドタキャン(名古屋からの参加予定の女性も新幹線が心配で参加取り止め)が5名もあり参加したのは13名に。

 そして永らく世話役を努めて頂いているK・Kさんの尽力で、浅草雷門近くの「浅草むぎとろ」で(薬膳懐石)を賞味させて頂いたのでした。昭和2年創業だと言うこの店は隅田川を見下ろす絶好の場所にあり浅草でも有名な老舗のひとつである。山芋を主体にした懐石料理は素晴らしい味で充分に堪能させて頂いた。

 ただ残念なのは、建築中で話題になっている東京スカイツリーがまじかに見える場所にあるのだが、朝からの雪模様でほとんど見えない。吾妻橋の袂まで行ってみたがやはりほとんど霞がかかりタワーは見えなかった。重いカメラを持参したのだが空振りでした。皆さんに最新の東京スカイツリーをご披露できる筈が残念である。

 2次会にカラオケに行こうとの誘いもあったが、首都圏の交通は少しの雪でも大混乱する、雪も降り続いているので来年の再会を約して早々に解散したのでした。ただ小生と同年齢の仲間たち、来年も欠けることのなく元気での再会をと願ったのだが果たしてどうなるか心配でもある。

10日に両国国技館正面前からは東京スカイツリーの先端が見えた

             
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久しぶりの東京

2011-02-10 20:58:51 | 勉学
 生涯大学校の卒業祝いを兼て、クラスメートたちと東京両国の国技館近くのちゃんこ屋に行ってきました。思ったほど美味しくない。これなら自宅近くのちゃんこ屋さんで食べたもの方がよっぽど美味しかったと思いました。

 終了後国技館脇を通ったが心なしか寂しげでした。そして直ぐ裏の江戸・東京博物館を見学。NHK大河ドラマ「江」姫たちの戦国とタイアップした展示を見学。ほとんど知らなかった主人公はやはり戦国世の倣いで3度の戦略結婚を強いられた事を知ったのでした。TVの影響だと思うが大混雑、ゆっくり見ることもままならない。

 小生は早々に切り上げて、東銀座に出て東劇で映画「わが心の歌舞伎座」を鑑賞。現在の歌舞伎役者を中心に、今回建て替え工事のために取り壊された歌舞伎座を紹介したものでした。若い時から良く見たり聞いたりした歌舞伎役者とその演じた演目のさわりも出てきて実に楽しい3時間を過ごしたのでした。

 帰りはすでに夜、相変わらず賑やかな銀座をケイタイで写してみました。自宅近くまで運んでくれる高速バスが便利でゆったりと帰宅できました。

       
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昨日のウオーキングで

2011-02-10 09:41:16 | 独り言
 昨日の朝の内の寒さは半端じゃなかっね。それも小雨からチラホラと雪も舞っていた。カミさんが近くの美容院へカットに出掛けて、帰りに「ケンタ」で昼食を購入してくれた。新作の合格祈願の「カツサンド」が美味しい。

 その頃には陽も射しはじめたので、カメラを手にウオーキング。寒かったせいか幼児を連れた若いママさんたちのの姿もない。小生の様な老人たちにちらほらと出会うだけである。今の時期の遊歩道も花は少ない。水仙がはそろそろ終わりかけである。梅はほぼ満開だった。

そのなかで写した水仙とさくら草です。

             
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自慢にはなりませんが

2011-02-09 11:49:33 | TV DVD
 毎日よくもこんなにと言うくらいにTVを見ている。勢いスポーツの多くがOFFなので、ドラマやバラェテイ番組を見ることになる。我が家にはTVが2台あり必然的に1台はカミさん用、もう1台は小生用に使っている。おまけに2台のTVは録画機能が内臓している為に、気軽に録画出来るのでこちらも重宝にしている。

 何度も書いている事だが小生はアクション系のものが好きである。警察、刑事ものは毎回欠かさず見ている。時にはカミさんと一緒に見るドラマもあるが数は少ない。また映画も好きなことから、最近のDVDのレンタル店が安売り(新作DVDも一泊2日¥100、もっとも来週からは¥180になる)しているので映画公開時に見逃した映画も月に何本かは見ている。

 そこで毎週どのくらいの番組を見ているのか試しに調べてみたらドラマだけでもかなりの数になっている。

 日曜日は大河ドラマ「江」「冬のサクラ」「スクール」。月曜日は「最上の命医」。火曜日は「CONTROL」。水曜日は「相棒」。木曜日「告発・国選弁護人」「外交官・黒田康作」。金甌日は「LADY」。土曜日は「隠密八百八町」「土曜ワイド劇場」等々である。

 その他には紀行ものやバラエティ番組も突発的に見ているので、こうなるとTV中毒と言っても過言ではないのだろうと思う。ちなみに番組のタイトルを幾つか写真にしてみた。皆様はどのくらいご覧になっているだろうか?。 

      
    
           
            
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「デコポン」が届きました

2011-02-08 18:03:00 | 独り言
 カミさんの弟夫婦が愛媛県名産の「デコポン」を贈ってくれた。八幡浜市近くのこの名産品の郷はカミさんの亡くなった母親の郷里でもある。ただ同様にこの地の出身の弟の嫁さんが何時も手配してくれての嬉しいプレゼントである。

 ただ今年は夏の猛暑の影響で近年にない不作だったそうで、何時ものでなく別の生産者の「デコポン」だったようで、出来はどうだったでしょうか?と心配してくれていた。やや酸っぱい感じがしたが相変わらず美味しいのでした。

 四季折々に、郷里山形やカミさんの親戚の方の手配で、何時もながらの美味しい果物を頂くことが出来て本当に幸せであると思う。

今年の「デコポン」である。瑞々しく美味しい。

                     
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伊達直人で何故悪い?

2011-02-08 13:30:15 | 独り言
 伊達直人現象と言うべきか?篤志家の方が行う匿名での寄付行為が続いている。その中でせっかくの善意の行為を堂々と覆面を脱いで双方向のコミュニケーションが取れる形で行い、今後も永く続けて欲しいとの論議があることを知った。しかし小生はその論議にいささかの抵抗を覚えている。

 伊達直人と名乗ったタイガーマスク氏は、養護施設などで育ちながら、今年小学校に入学する子どもたちに、せめて他所の子ども並みに真新しいランドセルを背負わせて上げたいとの思いついたからの行為だと思う。自分も同じ境遇で育った経験があり、いささかの恩返しの気持ちがあったのだろうとも考えられる。その善意の行為に続いて、全ての都道府県で多くの同様の賛同者が手を上げている。

 上記の論者は今回の伊達直人氏の善意を、一過性の行為でなく永続的なものにしてこそ意義があると言いたいに違いがない。それも一理あることは否定しないが、今回の善意を行った多くの方は、今、自分が出来ることをやって頂いているものだと思う。それが匿名であれ、今回限りの行為であっても受け取る方の感謝の気持ちは変わりがないと思う。

 この閉塞感が世間を覆っている現在、多くの国民は自分の生活を精一杯生きていると思う。その中でもっと自分より困っている人たちを助けたいと言う気持ちが有れば、覆面だろうが、匿名だろうがその尊い気持ちに変わりがないと思う。 
 
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