元々、若い頃はアルコール自体が苦手と言うか、お酒は飲めませんでした。ただ、ビールの一口目だけは美味しいかも。なんて思って、100ミリリットルの缶ビールを買って飲んだ時期もあったのですが、三日で体調わるくしました。
それが、吐血を繰り返した事がトラウマになり、吐くことが怖くなって、『お酒』=『吐く』が頭のなかにあり、お酒を避けるようになっていました。
ただ、社会人としてはお酒の席に出ないといけない場面も増えてきます。接待などもそうですが、これは気が張っているので、何とかなりましたが、会合や宴会でのお酒は苦痛でした。飲んだ後、気持ち悪くてタクシーや電車に乗ることができず、博多や中洲から2、3時間歩いて家に帰った事も何度かありました。手術から15年間。一度も吐かずに暮らしてきました。
それが、ある年の暮れの忘年会の帰りに、同じ方向の四人でタクシーで帰っていたら、よほど飲んでしまったのか、体調が悪かったのか、最寄り駅の近くで、気持ち悪くて我慢できず、タクシーを止めて、降りて、『後、よろしく』って見送った直後に吐いてしまいました。苦しい。
ただ、苦しみながら、『15年間怖がっていた苦しさって、こんなもん』って言うのが、頭に浮かんでいました。
それからが大変。しばらくは飲んでも酔わなくなってしまって。あげくの果てには、一人でも飲みに行くようになって。
それが、西やん『中洲に居ます』になってしまった訳です。
これも、多分に精神的なことで、どうにでも変わってしまう、私を表しています。
それが、吐血を繰り返した事がトラウマになり、吐くことが怖くなって、『お酒』=『吐く』が頭のなかにあり、お酒を避けるようになっていました。
ただ、社会人としてはお酒の席に出ないといけない場面も増えてきます。接待などもそうですが、これは気が張っているので、何とかなりましたが、会合や宴会でのお酒は苦痛でした。飲んだ後、気持ち悪くてタクシーや電車に乗ることができず、博多や中洲から2、3時間歩いて家に帰った事も何度かありました。手術から15年間。一度も吐かずに暮らしてきました。
それが、ある年の暮れの忘年会の帰りに、同じ方向の四人でタクシーで帰っていたら、よほど飲んでしまったのか、体調が悪かったのか、最寄り駅の近くで、気持ち悪くて我慢できず、タクシーを止めて、降りて、『後、よろしく』って見送った直後に吐いてしまいました。苦しい。
ただ、苦しみながら、『15年間怖がっていた苦しさって、こんなもん』って言うのが、頭に浮かんでいました。
それからが大変。しばらくは飲んでも酔わなくなってしまって。あげくの果てには、一人でも飲みに行くようになって。
それが、西やん『中洲に居ます』になってしまった訳です。
これも、多分に精神的なことで、どうにでも変わってしまう、私を表しています。