小さな町で幸せ探し

団塊世代の夫婦の日々・・
夫が生まれて育った故郷で暮らしています。
悲喜こもごものスローライフの物語。

母を訪ねて山陽本線

2010-01-20 16:51:28 | 日記

昨日19日、母のご機嫌伺いに、大阪吹田まで出かけました。
前日、19日に行く旨の連絡を入れたら
弟「じゃ、ばぁちゃんにナイショにしとくでな」と・・・ 
知らせると朝早くから、今か今かと待って・待ってするので
期待させずに、いきなり訪ねて驚かせる作戦をとりました。

上郡駅発9時11分に乗ると、11時には弟宅着の計算。
ところが、車内で病人が出たらしく、10分遅れるらしい  

結果、その遅れで乗り換え駅相生で待って・・
画像・相生駅・・いつもならこんなに乗客いないホーム。
次の姫路でも待たされて・・・・着いたのが12時15分  

母は、歩行が不自由なのでチャイムで、玄関に呼ばず、
開いていた窓から、これ幸いによじ登って入りました。

母・・ 「んまぁ!この子ってどこから入ったん  」  と
呆れながらも、昔オテンバ娘に大喜びしていましたわ・・ 
しかし、これって、泥棒に簡単に入られちゃう やばいよ 

滞在4時間あまり・・母の姪(私の従姉妹)が先日
51歳の若さで亡くなった話をしてもピンとこない様子。
ついこの前の訃報なのに・・・我関せずの母・・姪の名前を告げても思い出せず。
辛いことを感じない・切ない思いをしない・ある意味幸せかもしれない。

母娘二人で、写真を見たり、母のノートを開けたりして過ごしました。
そして母、自分がノートに、書き写した百人一首を詠み始め・・
4・50も詠んだころだったか
どうやら放っておくと、最後まで詠みそうな勢い。
私「母さんてば、その辺で、もういいよ」的に、やんわりストップかけて
「千年以上も前に、この中の人・誰か知らんけど、作った歌の
  勝負に負けて悔しさのあまり病気になって死んだんだって」と、講釈を垂れる私 
母 「ありゃま!そぅか?」って、返事だけ 
そのまま知らん顔して続けるし・・・私の知ったかぶり講釈・完全無視。
「私、このノート見なんだら一つもわからん!ノート見たら上の句を見ただけで下の句が出るのよ~」 って 

昼間一人で無言で過ごす母。
寂しいと言わず・・「幸せや」と。
母の姪(私の従姉妹)の死に平然とする母をみて
知的能力が顕著に落ちてきている・・今回はそれを強く感じたことでした。 

「また来るね・母さん」

短い一日でした・・