小さな町で幸せ探し

団塊世代の夫婦の日々・・
夫が生まれて育った故郷で暮らしています。
悲喜こもごものスローライフの物語。

不ぞろいのミカンたち

2010-12-12 10:40:31 | 日記

数日前から、庭の水溜りに氷が張ってから、冷え込みが増して朝の寒いこと!

           

来春のお産で、実家の長野に里帰り中の次男嫁さん・・
予報では長野の気温・・ダントツに低いみたい・・ですね。

そして、背中や足裏だかに貼る「ホッカイロ」みたいなのを、
たくさん持って海に出かけたオトーサン御一行3人組。

目下のところ夫と、おなかの大きな次男嫁さんが気がかりな私です・・大丈夫?

画像・・庭の小さな木に、大きさの揃わないミカンが11個。
1メートルほどしかない木が、しなって如何にも重そうでした。
色もついてきたし凍みないうちにと、今朝・収穫しました。
酸っぱいので食べるのは当分オアズケです・・甘くなるのを待ちます。
二人目の孫が生まれた時に、上孫と夫が植えた記念樹の中の1本。
苗から植えて丁度2年目・・甘ければ送る・・・かな 

              


孫で、お遊び

2010-12-07 15:23:05 | 日記


ママ~!ごはんまだでちゅか~ 
おなか、ちゅきました~!


あたち、おちゅわりしましたよ~!
ごはんなかったら、おやちゅでもいいですよ~!
ドンドンッ←机を叩く音



ママ~!なんでもいいでちゅよ~!
なにもなかったら、ちゅるしがき(吊るし柿)でもいいでちゅ~!
バサバサッ←ソファを叩く音。



わ~い・わ~い!うれちいでちゅ~~!おやつでちゅか~ 
ママ・・早くもってきてくだちゃ~い!
ピョンピョンッ←喜んで足を振っている音 

             

 赤ちゃん語が今一のバァバの、お遊びでした・・ 

吊るし柿

2010-12-06 15:27:39 | 日記

日曜日は、吊るし柿の第2弾を作りました。
2階の軒下に100個あまり。
第1弾は充分に干したので、既に取り込み済み。


全部を2階に干すと、ご近所の目もあり恥ずかしい  ので
2ヶ所に分けて1階の裏側にもぶら下げました・・120個あまり。
夫婦二人、どれだけ吊るし柿を食べるつもりか・・なんて思われそう・・ 

朝、釣り仲間から  「柿が良い色になった、取りに来るか?」  で
柿もぎに行き、皮むき、吊るしまで一日がかりの仕事になりました。

釣りキチ仲間・・・何かと言えば声かけあって・・良い関係 
我家が一番お相伴に与っているかもしれない・・   



日曜日・・ただひたすら吊るし柿を作った後は、
庭のユズを入れたお風呂にでも入って疲れを取り・・



夫の職場の貝堀名人からいただいた「アサリ」の酒蒸しで・・  

色々あります

2010-12-04 17:33:04 | 日記
2日・自宅療養中の義妹(夫の弟嫁)を、軽いドライブに連れ出そうと
電話をすると、朝、38度の熱が出たとかで鼻も詰まらせています。
菌が入ったり流感に罹ったりしての発熱は御法度の病気なので、
即・病院に車を走らせたものです。ドライブなど、とんでもないことでした。

病院には電話をしていたので、優先的に診て貰うことが出来
3時間近く点滴をしている間に解熱し、病院から開放されました。

大事に至らず、胸をなで下ろしたものの
後から駆けつけた義妹の御両親が、娘を思い憔悴しきった様子。
心配させまいと気丈に振舞う義妹なのに、いくつになっても子は子。
老いた御両親の辛さ・不安が伝わり、こちらまで切なくなりました。

            

そして・・
病気になることがあったとしても、家族との関係や周囲の環境で、
プラス思考の患者になれることを、改めて強く感じたものです。
過去に自分が闘病(大げさです)した時のことを
義妹の「今」と、どうしても重ね合わせてしまいました。

あの時、病名を聞くだけで
肉親に打ち明ける前まで「死」が脳裏を支配していたのに・・
打ち明けてから、如何に私を思ってくれる肉親がいるかを知った時
母や姉弟・・中でも夫や三人の子供の存在を意識し始めると
「私の人生も満更じゃなかった」と達観した気持ち・・
あの世に行くのも運命と、気が楽になり覚悟できたものです。

あの時の思い・・忘れもしません。
その間際に発する言葉を何にしようかと考え、決めていました。

その間際の台詞ですか・・?
忘れもしません 「オトーサン・先に行くね!」 でした     
40歳代後半・・あれから10年あまり・・
まだあの世から、お迎えは来ないようです・・・

夫婦の・・と、ある日の会話
夫「オカーサンは、長生きするやろな、ワシは早死にする」って・・
私「そんなことないわよ・か弱い私こそ早死によ・オトーサン100歳まで生きそう!」
夫「いやいや!おまえには負けるでぇ・ワシは先が短い」
私「いや~それはないよ~苦労した方が先に行くわよ~私が先よ~」  
夫「何・言うとるんや、皆に聞いてみいや、おまえは100歳になっても死なんでぇ」

互いに自分が先に行く論のオバカな掛け合いです。
なんのことはない・・
「憎まれ子・世にはばかる」を互いになすりつけているだけのこと 


そんな私に、警察から ↑ の用紙が渡されました。
義妹を病院に連れて行った同じ日の午後、信号無視の違反キップ。

師走は、特に安全運転、交通教則を守らないといけない・・反省。
いえいえ・・日ごろから守っていないといけないですね。
パトカーの中で、若い警官にああだこうだと注意されてしまった・・
とにかく、公的支払いは一日も早く済ませなきゃと次の日に。
この違反金が正しく使われますように・・・なんちゃって 


  

母を思う

2010-12-01 09:29:25 | 日記

昨日は、大阪・吹田まで出かけました。

↑ 吹田駅前、ダイエービルのマンション側に
愛嬌いっぱいのゴリラが腰掛けて歓迎してくれます。
この下にはイスもあるし、待ち合わせにはもってこいの場所。

            

11月中ごろ、弟家族と同居している93歳母の様子に異変あり。
今は落ち着いたものの、その時はロレツが回らず変なことを口走るとの知らせに、
離れて暮らす4人姉妹は、取るものも取りあえず駆けつけたものです。

母は、弟夫婦と成人した孫娘が二人いて、5人暮らし。
母のことは目下、その義妹と姪っ子二人にお任せモード  
話好きだったのに、今は「布団に入りたい・眠りたい」とそればかり。
なのに手洗いだけは、自力で行く母には心底、頭が下がります。
毎日、寝て・・寝て・・眠って・・
そして永遠の眠りについてしまうのでしょうか・・

昨日は、母の顔を見て「kayoやで・わかる?来たわよ」
母、不思議そうに私の顔を見て「・・・・・あら!kayoか?」って。
しばらくしたら、今度は私に「今日、誰がここに来るんやろ」
私「もう今日は私以外・誰もこないわよ、明日は往診で先生が来るんやて」
母、理解したのかどうか「・・・ふぅ~ん・・」

母がぐっすり寝込んだ頃、後ろ髪を引かれる思いで吹田を出ました。



新大阪駅で、お決まりの「551の豚まん」を買って・・・
行き帰り電車の中で「60歳のラブレター」を全部読み終えました。
夫婦どちらかが連れ合いに出すラブレター。
そのラブレターが投稿文だけで1冊になったもの。
これしきの手紙文で・・なんで泣けてしまうのか・・悔しい。
私、もともとの泣き虫が歳をとって
更に、もろくなってしまったというお粗末な話・・ですかねぇ・・