子どもの頃、小学校の冬の教室はストーブで温められていた。そのストーブの燃料は亜炭であった。
宮城県の私たちにはなじみだった亜炭は、ほかの地域の人には初めての言葉かもしれない。亜炭は石炭より質が悪く、なかなか発火しないうえに煤もよく出た。熱効率もきっと悪かったのだろうと思う。
調べてみると、日本ではこの亜炭は石炭よりも生成年代が新しく、石炭よりも埋蔵量が多いらしいが、効率が悪いので今は採掘されていないらしい。後になって勤め先で石炭ストーブを経験したがストーブの暖かさや燃え具合の違いに驚いた。
さて、そんなストーブではあったが、当時は大切な暖房であった。今のように新聞紙なども多くはなく、紙類は貴重だったおり、この燃え付きの悪い亜炭を燃やすのに、杉の枯れ葉が一番ということだった。
学校では冬を前にすると、杉の枯れ木や枯れ葉を集めに学校林?に行くのが行事になっていた。杉の葉を袋にぎゅうぎゅう詰めてみんなで運び小屋にしまっておいてストーブの焚き付けに使っていたのである。
子どもたちみんな杉の葉を背負って並んで帰ってくる場面が思い出される。
この杉の葉は家でのカマドや風呂の焚き付けにも使われるために、休みの日にはよく拾いに行かされたものである。
この杉の葉(スギッパといった)拾いは、当然杉が多いところだから、周りより暗く小学生の自分にとってはドキドキしながらの作業であった。作業は先に鉤のついた長い竹を持ち、枯れた杉の枝を引っ張るとぽきんと折れてくる。それを拾って束ねて背負ってくるのである。ちょっとでも青い葉が残っているとしなって折れないから、すっかり枯れたものを見つけて引っ張るのである。子どもながらこのようなことは経験で覚えたのであった。
何人かで行く時はともかく、一人で行かなければならない時には、とにかくこの暗い杉林から一刻も早く出たかったものである。しかも杉の葉はチクチクして背中に食い込むので何度も休みながら帰ったのである。こうしてとってきたスギッパは風呂やカマドの焚き付けに使うために、物置にしまっておかれた。
このように当時の子どもには、子どもの生活の中に大事な働き手のとしての部分が組み込まれていたのであり、無意識のうちに生活の知恵がいろいろな場面で培われていたのだと思う。
宮城県の私たちにはなじみだった亜炭は、ほかの地域の人には初めての言葉かもしれない。亜炭は石炭より質が悪く、なかなか発火しないうえに煤もよく出た。熱効率もきっと悪かったのだろうと思う。
調べてみると、日本ではこの亜炭は石炭よりも生成年代が新しく、石炭よりも埋蔵量が多いらしいが、効率が悪いので今は採掘されていないらしい。後になって勤め先で石炭ストーブを経験したがストーブの暖かさや燃え具合の違いに驚いた。
さて、そんなストーブではあったが、当時は大切な暖房であった。今のように新聞紙なども多くはなく、紙類は貴重だったおり、この燃え付きの悪い亜炭を燃やすのに、杉の枯れ葉が一番ということだった。
学校では冬を前にすると、杉の枯れ木や枯れ葉を集めに学校林?に行くのが行事になっていた。杉の葉を袋にぎゅうぎゅう詰めてみんなで運び小屋にしまっておいてストーブの焚き付けに使っていたのである。
子どもたちみんな杉の葉を背負って並んで帰ってくる場面が思い出される。
この杉の葉は家でのカマドや風呂の焚き付けにも使われるために、休みの日にはよく拾いに行かされたものである。
この杉の葉(スギッパといった)拾いは、当然杉が多いところだから、周りより暗く小学生の自分にとってはドキドキしながらの作業であった。作業は先に鉤のついた長い竹を持ち、枯れた杉の枝を引っ張るとぽきんと折れてくる。それを拾って束ねて背負ってくるのである。ちょっとでも青い葉が残っているとしなって折れないから、すっかり枯れたものを見つけて引っ張るのである。子どもながらこのようなことは経験で覚えたのであった。
何人かで行く時はともかく、一人で行かなければならない時には、とにかくこの暗い杉林から一刻も早く出たかったものである。しかも杉の葉はチクチクして背中に食い込むので何度も休みながら帰ったのである。こうしてとってきたスギッパは風呂やカマドの焚き付けに使うために、物置にしまっておかれた。
このように当時の子どもには、子どもの生活の中に大事な働き手のとしての部分が組み込まれていたのであり、無意識のうちに生活の知恵がいろいろな場面で培われていたのだと思う。
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