今国会や記者会見で問題になっている麻生財務大臣の発言。女性や弱者への思いに欠ける差別的な発言はどうして続くのでしょうか。
この本にはそれらの理由がわかる記述があります。
「差別と日本人」野中広務・辛淑玉著 角川新書 724円(税別)2009年初版
本書は1998年官房長官、2000年幹事長歴任した自民党の重鎮であった野中氏と、在日朝鮮人としてあらゆるメデイアで活躍中だった辛氏の対談を中心とするものです。
この異色の取り合わせは、「差別」という共通項によって実現したようです。野中氏は日本に残っている「差別」の中で苦しんで自民党という権力側に立って生き抜いてきたという生涯を、辛氏は「在日朝鮮人差別」の中で苦しんでその問題と解決を訴える活動などを訴えて来ていました。
第一章は差別は何を生むか
第二章は差別といかに闘うか
第三章は国政と差別
第四章はこれからの政治と差別
差別と虐殺は一般の日本人も!
この中で、やはり関東大震災時における虐殺の話は特筆されなければならないでしょう。日本人の差別意識による大虐殺ですから。1923年9月1日の震災では死傷者20万2436名とされ、行方不明者4万人を超えると言われます。発生直後に流言飛語などにより官民一体となっての朝鮮人虐殺が始まり、7千名を越すと言われますが日本政府が本格的な調査をしようとはしないために未だ定かではないといいます。
これに関わった自警団や官憲は殺人罪などの罪で懲役刑を受けたが、昭和天皇の即位による恩赦で釈放され、中には村長などにもなった人がいる事実!お国のためという名目であるから、罪の意識もすくないまま。
一方、差別も軍隊内でも苛烈を極めるほどであり、日常生活でも結婚や就職などをめぐって泣かなければならない人が多くありました。その中で「全国」が1922年に創立されての解放運動が本格化していきました。
これらの記述を加えながら、二人の差別に苦しんだ様子が語られます。
今の麻生財務大臣の発言の根底にあるのは?
現在の閣僚の中では麻生氏の差別的な思想や暴言が目立っています。過去には2003年「創氏改名は朝鮮人が望んだ」などと暴言。植民地支配の中で強制された事実などは無視する背景には、彼自身が植民地支配で財を築いた麻生財閥の中で育ってきたことがあると言います。麻生財閥の一つの麻生鉱業では強制連行してきた朝鮮人1万人をこえるほど強制労働させてきたという事実があります。
また、麻生鉱業では一般労働者と民を分けて、民専用の長屋に住ませて酷使したと言います。野中氏はこの麻生氏を「朝鮮人と民を死ぬほどこき使って金儲けしてきた人間。」と評しています。
このように麻生氏が優越感と差別意識にまみれた政治家であるにもかかわらず、許容されているのは、大衆の差別意識に支えられているからと辛氏は言います。
「差別」は富や資源を手にするために格差を設けて、それを合理化するためのものだから、理由づけは何でも可能であると。「だから」「朝鮮人だから」「沖縄だから」「女だから」・・・などと。「麻生太郎とは、日本社会が生み出した差別の結晶であり、差別による旨みが骨の髄までしみついた人間の典型だろう。」とまで評しています。
なぜ、私がここまで彼をこの本から特筆するかというと、今の安倍政権のもとで、この時期の発言と同じような「しもじも」を見下すような言動が極端に見られるからです。
財務省のトップとして、薄ら笑いのような態度で、トカゲのしっぽ切りのようなことをしています。「佐川が佐川が」と言って改ざんの責任を押し付けていましたね。福田氏の問題では「セクハラ罪という罪はない」といい、隠ぺいや改ざん、セクハラなどを覆い隠す発言を平気でして、自分は責任をとろうとはしていません。それどころか、これらの責任者の彼が、隠ぺい改ざんの調査をするという、マッチポンプのようなことをやり首相と一緒になって国民の目を欺こうとしています。10数年前の発言と同じように、新たな差別が起きてもその中で差別する側に立っています。
おすすめです!
このような今日に直接つながる内容がいっぱいの著作です。もちろん、野中氏のやってきたことや書かれているすべてが容認されるわけではありません。それでも「差別」を軸に日本人を考えるのにとても参考になるし、今の政治家を支えている人々の課題も見えてくる本だと思いました。
なお、この本の著者の野中氏は今年4月に逝去しました。マスコミの伝える評価はさまざまですが、今日の強権的な安倍政権とは相いれない保守的な政治家という見方が多いようです。
この本にはそれらの理由がわかる記述があります。
「差別と日本人」野中広務・辛淑玉著 角川新書 724円(税別)2009年初版
本書は1998年官房長官、2000年幹事長歴任した自民党の重鎮であった野中氏と、在日朝鮮人としてあらゆるメデイアで活躍中だった辛氏の対談を中心とするものです。
この異色の取り合わせは、「差別」という共通項によって実現したようです。野中氏は日本に残っている「差別」の中で苦しんで自民党という権力側に立って生き抜いてきたという生涯を、辛氏は「在日朝鮮人差別」の中で苦しんでその問題と解決を訴える活動などを訴えて来ていました。
第一章は差別は何を生むか
第二章は差別といかに闘うか
第三章は国政と差別
第四章はこれからの政治と差別
差別と虐殺は一般の日本人も!
この中で、やはり関東大震災時における虐殺の話は特筆されなければならないでしょう。日本人の差別意識による大虐殺ですから。1923年9月1日の震災では死傷者20万2436名とされ、行方不明者4万人を超えると言われます。発生直後に流言飛語などにより官民一体となっての朝鮮人虐殺が始まり、7千名を越すと言われますが日本政府が本格的な調査をしようとはしないために未だ定かではないといいます。
これに関わった自警団や官憲は殺人罪などの罪で懲役刑を受けたが、昭和天皇の即位による恩赦で釈放され、中には村長などにもなった人がいる事実!お国のためという名目であるから、罪の意識もすくないまま。
一方、差別も軍隊内でも苛烈を極めるほどであり、日常生活でも結婚や就職などをめぐって泣かなければならない人が多くありました。その中で「全国」が1922年に創立されての解放運動が本格化していきました。
これらの記述を加えながら、二人の差別に苦しんだ様子が語られます。
今の麻生財務大臣の発言の根底にあるのは?
現在の閣僚の中では麻生氏の差別的な思想や暴言が目立っています。過去には2003年「創氏改名は朝鮮人が望んだ」などと暴言。植民地支配の中で強制された事実などは無視する背景には、彼自身が植民地支配で財を築いた麻生財閥の中で育ってきたことがあると言います。麻生財閥の一つの麻生鉱業では強制連行してきた朝鮮人1万人をこえるほど強制労働させてきたという事実があります。
また、麻生鉱業では一般労働者と民を分けて、民専用の長屋に住ませて酷使したと言います。野中氏はこの麻生氏を「朝鮮人と民を死ぬほどこき使って金儲けしてきた人間。」と評しています。
このように麻生氏が優越感と差別意識にまみれた政治家であるにもかかわらず、許容されているのは、大衆の差別意識に支えられているからと辛氏は言います。
「差別」は富や資源を手にするために格差を設けて、それを合理化するためのものだから、理由づけは何でも可能であると。「だから」「朝鮮人だから」「沖縄だから」「女だから」・・・などと。「麻生太郎とは、日本社会が生み出した差別の結晶であり、差別による旨みが骨の髄までしみついた人間の典型だろう。」とまで評しています。
なぜ、私がここまで彼をこの本から特筆するかというと、今の安倍政権のもとで、この時期の発言と同じような「しもじも」を見下すような言動が極端に見られるからです。
財務省のトップとして、薄ら笑いのような態度で、トカゲのしっぽ切りのようなことをしています。「佐川が佐川が」と言って改ざんの責任を押し付けていましたね。福田氏の問題では「セクハラ罪という罪はない」といい、隠ぺいや改ざん、セクハラなどを覆い隠す発言を平気でして、自分は責任をとろうとはしていません。それどころか、これらの責任者の彼が、隠ぺい改ざんの調査をするという、マッチポンプのようなことをやり首相と一緒になって国民の目を欺こうとしています。10数年前の発言と同じように、新たな差別が起きてもその中で差別する側に立っています。
おすすめです!
このような今日に直接つながる内容がいっぱいの著作です。もちろん、野中氏のやってきたことや書かれているすべてが容認されるわけではありません。それでも「差別」を軸に日本人を考えるのにとても参考になるし、今の政治家を支えている人々の課題も見えてくる本だと思いました。
なお、この本の著者の野中氏は今年4月に逝去しました。マスコミの伝える評価はさまざまですが、今日の強権的な安倍政権とは相いれない保守的な政治家という見方が多いようです。
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