どこの職場にもご無理ごもっともと上司のいうことに従う御仁はいるのでしょう。是非を判断せずに上司のいうことに従っておれば安心安全という人ですが、学校も例外ではありません。むしろ、教師はイエスマンになりがちかもしれません。
新卒で学校というある種の閉鎖された職場に勤務する教師の気をつけなくてはいけない面はこの事なのかもしれません。自主的判断が要求される仕事なのに上意下達ではいろいろ心配なのではないでしょうか。そこで、今回の短歌はこの経験から・・・。
(5) 何事も指導主事に聞いてと若き教師の新学期なり
みんなで渡れば怖くないなどと自嘲気味に言われることがあります。皆に従ったり、上司の
言うとおり行動することが安心と安泰と考える雰囲気が目立った時がありました。まだ30代の自分より若いのに、自主的な判断ではなく指導主事などのいうことをまだ第一に行動すると思った時期の義憤?でした。
最近は職員会議で若い教員は発言なんかしないよ、ということをよく聞きます。何しろ発言者を校長室に呼びつけるなどという考えられないことをする校長もいるといいます。
物言わぬ教師が教育に携わる危険については戦前が教えてくれているのですが・・・。
(1980年頃)
(6)遅進児に手を掛け過ぎと声高に話す同僚の日毎に多く
教育政策が猫の目のように変わり、新幹線教育、ゆとり教育などが振幅の多いことが続いています。教師もそれに振り回されているのが実情です。新幹線教育と言われる指導要領ができ「できる子はどんどん進め、分からない子はそれなりに」のような意識が広がり始めました。
「すべての子に学力保障を」という気持ちで、算数などの基礎をさまざまな手立てで教えようと同僚と研究を進めているころ、学校にもそんな声が広がりました。それが新しい教育だと。この文科省が流す教育思想は、指導要領、教科書の変更にとどまらず、どう教えるか、子どもをどう見るか、どんな教師がよいのか、など教育のすべてにわたって変更が加えられることになります。
「できない」(遅進児)というときに、その原因をどう考えるのでしょうか。①目標や評価方法が問題。②教え方が問題。③教材が問題。④家庭環境が問題。⑤子どものやる気が問題などと、さまざま考えられます。子どもだけの問題にしてはいけないのにどうしても烙印を押しがちです。今も変わらないことの一つでしょう。(1980年頃)
(7) うつむきて長き時間を耐えるごと黙する者の多き研究会
自由に発言すべき研究なのになかなか発言する人のいない研究会が多く見られました。これは不思議な光景でした。民間の多くの研究会はどうでしょうか。ただ学校では教師たちの研究したいテーマとは別に上から押し付けられたりすることもあり気合が入らないこともあるようです。また、結論を押し付けられるような「研究」でも発言してもという気になりがちでしょうか。
仕事の後半は進める立場になることが多かったので、グループ化して発言しやすく工夫するなどしたのですが、黙って数時間を過ごさねばならない研究会だと本当に苦痛です。
私は夏休みなどには毎年、社会、評価、国語などいろいろな研究会に自費で参加してきましたが、聞くこととともに発言することによって学びも深まることを実感できたのでしたが。(1980年頃)
(8) 机から本箱消えて同僚の姿少なき職員室
ルポルタージュに「教育工場」(鎌田慧著)という本がありました。これは、あの職員室に特有な本や書類が机にのっているような光景が、すっかり様変わりして、塵ひとつない机が並んでいる職員室の光景と、それに見合う教育の効率化が見事に進められている例が各地で進んでいるというルポでした。
1980年代には、これが良しとされて、机には本や書類は置くなということが言われ、机の上をきれいにすることが勧められました。その様子が評価され、なかなか動かさない場合には厳しく言われたりしました。机の下に置けるようにと箱まで作ってくれる学校もありました。
その結果、職員室の見晴らしがよくなったことは言うまでもありません!よい教育はきれいな机からというわけでしょうか。
そんな雰囲気ですから、先生方は職員室に戻ってきて自由にしゃべったりすることも少なくなってきました。
一見無駄に見えるこのおしゃべりなどをすることが、学級で困ったことや良いアイデイアをお互いに交換し合うことができる大切な場なのです。この時期には管理しやすい形式がまず先行したのでした。
今はどうでしょうか?非教育的な管理面のみの強化へ進んでいないかと心配です。
新卒で学校というある種の閉鎖された職場に勤務する教師の気をつけなくてはいけない面はこの事なのかもしれません。自主的判断が要求される仕事なのに上意下達ではいろいろ心配なのではないでしょうか。そこで、今回の短歌はこの経験から・・・。
(5) 何事も指導主事に聞いてと若き教師の新学期なり
みんなで渡れば怖くないなどと自嘲気味に言われることがあります。皆に従ったり、上司の
言うとおり行動することが安心と安泰と考える雰囲気が目立った時がありました。まだ30代の自分より若いのに、自主的な判断ではなく指導主事などのいうことをまだ第一に行動すると思った時期の義憤?でした。
最近は職員会議で若い教員は発言なんかしないよ、ということをよく聞きます。何しろ発言者を校長室に呼びつけるなどという考えられないことをする校長もいるといいます。
物言わぬ教師が教育に携わる危険については戦前が教えてくれているのですが・・・。
(1980年頃)
(6)遅進児に手を掛け過ぎと声高に話す同僚の日毎に多く
教育政策が猫の目のように変わり、新幹線教育、ゆとり教育などが振幅の多いことが続いています。教師もそれに振り回されているのが実情です。新幹線教育と言われる指導要領ができ「できる子はどんどん進め、分からない子はそれなりに」のような意識が広がり始めました。
「すべての子に学力保障を」という気持ちで、算数などの基礎をさまざまな手立てで教えようと同僚と研究を進めているころ、学校にもそんな声が広がりました。それが新しい教育だと。この文科省が流す教育思想は、指導要領、教科書の変更にとどまらず、どう教えるか、子どもをどう見るか、どんな教師がよいのか、など教育のすべてにわたって変更が加えられることになります。
「できない」(遅進児)というときに、その原因をどう考えるのでしょうか。①目標や評価方法が問題。②教え方が問題。③教材が問題。④家庭環境が問題。⑤子どものやる気が問題などと、さまざま考えられます。子どもだけの問題にしてはいけないのにどうしても烙印を押しがちです。今も変わらないことの一つでしょう。(1980年頃)
(7) うつむきて長き時間を耐えるごと黙する者の多き研究会
自由に発言すべき研究なのになかなか発言する人のいない研究会が多く見られました。これは不思議な光景でした。民間の多くの研究会はどうでしょうか。ただ学校では教師たちの研究したいテーマとは別に上から押し付けられたりすることもあり気合が入らないこともあるようです。また、結論を押し付けられるような「研究」でも発言してもという気になりがちでしょうか。
仕事の後半は進める立場になることが多かったので、グループ化して発言しやすく工夫するなどしたのですが、黙って数時間を過ごさねばならない研究会だと本当に苦痛です。
私は夏休みなどには毎年、社会、評価、国語などいろいろな研究会に自費で参加してきましたが、聞くこととともに発言することによって学びも深まることを実感できたのでしたが。(1980年頃)
(8) 机から本箱消えて同僚の姿少なき職員室
ルポルタージュに「教育工場」(鎌田慧著)という本がありました。これは、あの職員室に特有な本や書類が机にのっているような光景が、すっかり様変わりして、塵ひとつない机が並んでいる職員室の光景と、それに見合う教育の効率化が見事に進められている例が各地で進んでいるというルポでした。
1980年代には、これが良しとされて、机には本や書類は置くなということが言われ、机の上をきれいにすることが勧められました。その様子が評価され、なかなか動かさない場合には厳しく言われたりしました。机の下に置けるようにと箱まで作ってくれる学校もありました。
その結果、職員室の見晴らしがよくなったことは言うまでもありません!よい教育はきれいな机からというわけでしょうか。
そんな雰囲気ですから、先生方は職員室に戻ってきて自由にしゃべったりすることも少なくなってきました。
一見無駄に見えるこのおしゃべりなどをすることが、学級で困ったことや良いアイデイアをお互いに交換し合うことができる大切な場なのです。この時期には管理しやすい形式がまず先行したのでした。
今はどうでしょうか?非教育的な管理面のみの強化へ進んでいないかと心配です。
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