毎日新聞より転載
<中沢啓治さん>「ゲン」から米大統領へ…生前の手紙発見
毎日新聞 5月26日(木)15時0分配信
中沢啓治さん=2012年9月、小松雄介撮影
◇被爆者の声を聞いて
実体験に基づき原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さん(2012年に73歳で死去)が、オバマ米大統領に宛てて09年に書いた手紙が見つかった。核なき世界を訴えた演説への感銘をつづり、広島と長崎を訪ねて被爆者の声を聞くよう求めている。手紙は当時大統領に届かなかったとみられるが、中沢さんの妻ミサヨさん(73)は「夫が『見つけてほしい』と訴えたのかもしれない」と話し、大統領の広島訪問実現を喜んでいる。【石川裕士】
手紙はワープロ書きの1枚で、末尾に手書きの署名がある。09年夏に完訳した「はだしのゲン」英語版を監修した東京都在住の米国人翻訳家、アラン・グリースンさんが手紙も英訳し、日本語のコピーを手元に残していた。
手紙は09年8月20日付。同年4月にオバマ大統領がチェコ・プラハで「核なき世界」を訴えた演説を、「核兵器廃絶に向けた希望の灯(あか)り」と称賛し、演説を歓迎する広島の様子を伝える。07年にシカゴで開かれた原爆展にオバマ氏が訪れたことに言及して「『核兵器廃絶』に思いを至らせる契機になったのではないか」と推察し、「貴方の意思をより強固なものにして他の核保有国の意見をまとめる為(ため)、被爆者の声を聞き、原爆資料館をご覧頂きたい」と被爆地訪問をうながした。
中沢さんは国民学校1年の時、学校の前で被爆。父と姉、弟は自宅の下敷きになって死亡した。原爆への憤りを込めた作品を描き始め、自身をモデルにした主人公・中岡元に作中で「アメリカのバカタレ。広島、長崎で殺した何十万の人にあやまれっ」と叫ばせている。
ミサヨさんによると、プラハ演説後に中沢さんは「これまでの大統領とは違う」と心を動かされ、手紙を書き始めた。「『この人なら被爆者の苦しみを分かってくれる』と思ったのでしょう」と話す。中沢さんは、英訳した手紙と「ゲン」英語版をオバマ氏や家族に届けようと試みた。大統領の家族と親交のある米国在住の女性に送ったが、大統領には届かなかったとみられる。
見つかった手紙を読んだミサヨさんは、「核の恐ろしさを広島で見てもらいたいと思っていたのだと実感した。夫も今回の訪問を歓迎しているはず」と話し、「オバマ大統領は『核なき世界』の実現に努めると約束してほしい」と願った。
◇中沢啓治さんの手紙(抜粋)
米国大統領バラク・オバマ&家族の皆さま
「はだしのゲン」の英訳化が完成したのを機会に、どうしても貴方(あなた)と貴方のご家族に読んで頂きたいと思い、手紙を書きました。
原爆投下から64年の8月6、9日を迎えたヒロシマ・ナガサキは初めて悲願の「核兵器廃絶」が現実の目標になった事を実感し、歓迎しています。それは、貴方の“プラハ宣言”が核兵器廃絶に向けた希望の灯(あか)りになったからです。
2007年の暮れ、シカゴのデュポール大学で広島市が開催していた「原爆展」に、偶然に足を運ばれてご覧になった……という新聞記事を見て深い感銘を覚えました。「原爆展」が貴方の心に触れて「核兵器廃絶」に思いを至らせる契機になったのではないか……と推察したからです。
貴方がおっしゃる様に核廃絶は「生きているうちの実現は難しいかもしれない」極めて困難な課題だと思います。しかし、核兵器を使った唯一の核保有国の“道義的責任”と貴方の意思をより強固なものにして他の核保有国の意見をまとめる為(ため)には、何としても一度広島と長崎においで頂いて被爆者の声を聞き、原爆資料館をご覧頂きたいと思います。
「はだしのゲン」が貴方の決意を世界中の平和を希求する人達(たち)のより確かな目標にするための手助けになることを心から祈ります。
2009年8月20日「はだしのゲン」原作者 中沢啓治
<中沢啓治さん>「ゲン」から米大統領へ…生前の手紙発見
毎日新聞 5月26日(木)15時0分配信
中沢啓治さん=2012年9月、小松雄介撮影
◇被爆者の声を聞いて
実体験に基づき原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さん(2012年に73歳で死去)が、オバマ米大統領に宛てて09年に書いた手紙が見つかった。核なき世界を訴えた演説への感銘をつづり、広島と長崎を訪ねて被爆者の声を聞くよう求めている。手紙は当時大統領に届かなかったとみられるが、中沢さんの妻ミサヨさん(73)は「夫が『見つけてほしい』と訴えたのかもしれない」と話し、大統領の広島訪問実現を喜んでいる。【石川裕士】
手紙はワープロ書きの1枚で、末尾に手書きの署名がある。09年夏に完訳した「はだしのゲン」英語版を監修した東京都在住の米国人翻訳家、アラン・グリースンさんが手紙も英訳し、日本語のコピーを手元に残していた。
手紙は09年8月20日付。同年4月にオバマ大統領がチェコ・プラハで「核なき世界」を訴えた演説を、「核兵器廃絶に向けた希望の灯(あか)り」と称賛し、演説を歓迎する広島の様子を伝える。07年にシカゴで開かれた原爆展にオバマ氏が訪れたことに言及して「『核兵器廃絶』に思いを至らせる契機になったのではないか」と推察し、「貴方の意思をより強固なものにして他の核保有国の意見をまとめる為(ため)、被爆者の声を聞き、原爆資料館をご覧頂きたい」と被爆地訪問をうながした。
中沢さんは国民学校1年の時、学校の前で被爆。父と姉、弟は自宅の下敷きになって死亡した。原爆への憤りを込めた作品を描き始め、自身をモデルにした主人公・中岡元に作中で「アメリカのバカタレ。広島、長崎で殺した何十万の人にあやまれっ」と叫ばせている。
ミサヨさんによると、プラハ演説後に中沢さんは「これまでの大統領とは違う」と心を動かされ、手紙を書き始めた。「『この人なら被爆者の苦しみを分かってくれる』と思ったのでしょう」と話す。中沢さんは、英訳した手紙と「ゲン」英語版をオバマ氏や家族に届けようと試みた。大統領の家族と親交のある米国在住の女性に送ったが、大統領には届かなかったとみられる。
見つかった手紙を読んだミサヨさんは、「核の恐ろしさを広島で見てもらいたいと思っていたのだと実感した。夫も今回の訪問を歓迎しているはず」と話し、「オバマ大統領は『核なき世界』の実現に努めると約束してほしい」と願った。
◇中沢啓治さんの手紙(抜粋)
米国大統領バラク・オバマ&家族の皆さま
「はだしのゲン」の英訳化が完成したのを機会に、どうしても貴方(あなた)と貴方のご家族に読んで頂きたいと思い、手紙を書きました。
原爆投下から64年の8月6、9日を迎えたヒロシマ・ナガサキは初めて悲願の「核兵器廃絶」が現実の目標になった事を実感し、歓迎しています。それは、貴方の“プラハ宣言”が核兵器廃絶に向けた希望の灯(あか)りになったからです。
2007年の暮れ、シカゴのデュポール大学で広島市が開催していた「原爆展」に、偶然に足を運ばれてご覧になった……という新聞記事を見て深い感銘を覚えました。「原爆展」が貴方の心に触れて「核兵器廃絶」に思いを至らせる契機になったのではないか……と推察したからです。
貴方がおっしゃる様に核廃絶は「生きているうちの実現は難しいかもしれない」極めて困難な課題だと思います。しかし、核兵器を使った唯一の核保有国の“道義的責任”と貴方の意思をより強固なものにして他の核保有国の意見をまとめる為(ため)には、何としても一度広島と長崎においで頂いて被爆者の声を聞き、原爆資料館をご覧頂きたいと思います。
「はだしのゲン」が貴方の決意を世界中の平和を希求する人達(たち)のより確かな目標にするための手助けになることを心から祈ります。
2009年8月20日「はだしのゲン」原作者 中沢啓治