新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

有村架純さん演じた「瀬名(築山殿)」の首が葬られていた岡崎市祐傳寺を参拝する…

2024-06-02 00:39:47 | 歴史史跡

2024年
NHK大河は「光る君へ」、当然ながら、街の観光も滋賀県、京都を中心に「光る君へ」一色ですが
未だに2023年大河「どうする家康」を引きずってる私

2023NHK大河「どうする家康」

私にとって、このドラマの主人公は
有村架純さん演じる「瀬名(築山殿)」であった…

もう「瀬名」の最後、小刀で自ら首を斬り、倒れ込む場面
クライマックスのような感動で
目頭が熱くなる想いだったのよ…

有村架純さん演じる「瀬名(築山殿)」がお亡くなりになってから、
しばらくは

クリープの入れない珈琲
いや、タコの入ってないタコ焼き、アーモンドの入っていないアーモンドチョコレートのようだったのよ

となれば、有村架純さんこと

「瀬名(築山殿)」のお墓に行って
手を合わせたい…

おそらくNHK大河「どうする家康」で
有村架純さんが「瀬名(築山殿)」を演じなければ
手を合わせたい…なんて思わなかったと思うけど

さて
有村架純さんこと
「瀬名(築山殿)」のお墓は

浜松の西来院にあって、そこにある築山御前月窟廟には行きました!
手を合わせましたけど

頭は、首は、岡崎市の八柱神社の境内にある!
八柱神社に首塚がある!

もちろん、ここにも足を運んで、

有村架純さんこと
「瀬名(築山殿)」の首塚に手を合わせましたけど

もともと

有村架純さんこと
「瀬名(築山殿)」の首は

祐傳寺で葬られていて

その築山殿の首が、後々

八柱神社に移されたようで

 

だったら

祐傳寺にも足を運んで
もともと、
有村架純さんこと

「瀬名(築山殿)」の首があった場所にて手を合わせなくちゃ!

 


おそらくNHK大河「どうする家康」で

有村架純さんが「瀬名(築山殿)」を演じなければ
首を追いかけたい…なんて思わなかったと思うけど

首に…頭に…手を合わせたくて
祐傳寺へと

岡崎市役所のそばにある祐傳寺
山号は根石山

真宗高田派のお寺
四足門の立派な楼門の上部に鐘楼があるこのお寺

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もともとは築山殿の首は織田信長の首実検を受けた後、当時の岡崎城代の石川数正が、ここ祐傳寺境内に御首を埋葬し、築山神明宮を勧請たそうな
その後、八柱神社に改葬されたんだとか

楼門に並ぶように、道路沿いに、質素な石柱門

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その奥に、すぐ本堂がみえる

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合掌

その前に、手水鉢
ここで、手を浄めてから

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ここの手水鉢…な、なんと
壁面に獅子の顔
そこから水が
なんか、古代ギリシャっぽい!
ただ、壁面は大理石じゃなくて、コンクリートっぽい壁面だったけど

狭い境内、裏手は墓地

ちょいとした日本庭園ふうの池に、でっかいコイが、泳いでいました!

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まあ、私も有村架純さんこと

「瀬名(築山殿)」にコイしてるようなものなので

こうして、瀬名(築山殿)のお墓を、浜松や岡崎へと追いかけて

これは、コイコイでも、しつコイ!汗

さてさて

有村架純さんこと

「瀬名(築山殿)」の首塚があったところは、と言うと

質素な石柱門の裏側に、ひっそりと五輪塔が

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これが、首塚

今は、もう埋まっていないけど、想像以上に質素

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私の心に浮かぶのは、瀬名さんのホンモノのお顔を知らないので
有村架純さんのお顔でしたが
合掌…
そう、手を合わせな


徳川家康の最初の正妻である瀬名(築山殿)は悪女だったというイメージを一新した有村架純さんの演技が素晴らしくて
この瀬名(築山殿)を中心に
「どうする家康」ならぬ
戦国の世に翻弄された悲劇のヒロイン
「どうなる瀬名」の視点で
大河ドラマをみてきた私

有村架純さんの「瀬名」の演技は素晴らしくって
心から「消せない」…とか言いつつ
山本譲二さんの「みちのくひとり旅」の歌詞じゃないけど、「せなで断ち切る」ならぬ「せなを断ち切ら」なくちゃ!

毎週欠かさず、録画せな

えっ、テレビみて、ゴロゴロしてないで、運動して、痩せないかん!って
ほかっといて!

いちいち、うっせーな


オヤジギャグは、まかせなさい!(笑)


旧松山藩主の子孫久松伯爵の別荘、大正時代に建てられた洋館「萬翠荘」に行く…

2024-05-27 05:55:39 | 歴史史跡

「坂の上の雲ミュージアム」からみえた…素敵な洋館

「萬翠荘(ばんすいそう)」

に立ち寄る

「萬」は「よろず」 「翠」はみどり 「荘」は「やかた」

松山城の麓の緑の森の中に佇むお屋敷

「萬翠荘(ばんすいそう)」


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大正時代に建てられた洋館「萬翠荘」

洋館だけに大正ロマンの風をようかんじました…(よう感じました…)

萬翠荘は、1922年に旧松山藩主の子孫久松伯爵が別荘として建設し、迎賓館として使われた別邸
平成23年には国の重要文化財に指定されたとのこと

入り口には旧管理人舎が建立
門番の詰め所で宿泊も出来るように作られているよう…
この管理人舎も国の重要文化財


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さて、道をどんどん登っていくと

夏目漱石の最初の下宿があった場所との案内看板が
夏目漱石が松山にやって来た時、最初に下宿したのがこの場所にあった小料理屋であったとのこと
夏目漱石の「坊っちやん」の主人公は、「山嵐」に勧められて、「山城屋」から「町はづれの岡の中腹にある至極閑静な家」に移る…主人は骨董を売買する「いか銀」…その下宿のモデルになっているのが、「裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」と漱石が綴っていた、ここにあった「愛松亭」(小料理屋)のこと


今は、この奥にカフェがあって「漱石珈琲店愛松亭」として営業されていました…


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夏目漱石のお手紙の内容が、この看板に
夏目金之助とは、夏目漱石の本名とのこと

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夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した時、その離れの二階立ての建物に下宿していた夏目漱石…その建物が、ここ萬翠荘本館の裏に復元されていたそうで
その建物は「愚陀仏庵」

晩年、喀血した直後、療養のため松山に帰ってきた正岡子規が、52日間、ここで居候し、夏目漱石と一緒に俳句作りに精を出してたと言われる建物「愚陀仏庵」

松山空襲で焼けてしまったものの
1982年に、愛媛県が、その建物をここに復元していたけど、2010年の豪雨によって全壊してしまったそうな…
ちなみに、「愚陀仏庵」という名前は夏目漱石の俳号「愚陀仏」からとも言われているとか…

さて、本題はその先にある
フランス風の洋館

「萬翠荘」

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玄関には皇族用の人力車が…
私、皇族(こうぞく)ではないけど…
むしろ、仕事等イロイロなことに、こうそく(拘束)されながら、こうそく(梗塞)等の健康に気をつけている私ですけど…


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さてさて、皇族(こうぞく)気分を味わいつつ

館内へと…読者のみなさんも、後続(こうぞく)してくださいな

入ると、目を惹きつける
大階段の上の
ステンドグラス

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帆船が大海原を航海しているデザイン

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「アメリカ式ステンドグラス」とのことで、ガラスの色彩がグラデーションなのが特徴
日本最古のステンドグラス工房である大阪の玲光社を設立した木内慎太郎の作品であることが平成22年になって分かったとのこと


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ステンドグラスの光に吸い寄せられる虫のように
2階にあがる!!


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2階の一室には
「萬翠荘」の模型

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「萬翠荘」に関する解説パネルがずらっと…

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この「萬翠荘」
ミステリー映画「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」の舞台になってるんですね…


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映画予告映像ダイジェスト版も流れてる

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「日本有数の資産家」の「異様な佇まいの洋館」として劇中に登場している
この「萬翠荘」

映画では瀬戸内海に浮かぶ周囲から孤立した人を襲う魔犬の伝説の島にあった洋館の設定だったけど



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「その屋敷は何かおかしい」
「萬翠荘」が暗闇の中から浮かび上がると、実にミステリアスに

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2Fの角部屋は朝食専用室
昭和天皇も朝食を摂られたお部屋で、そのテーブルとイス

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差し込む光が優しすぎる


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窓の外を眺めながら、高貴な気分を味わう私…
朝食はでないけど…笑
って、もう午後3時やがな…って、夕食もでないけど…


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と、ここで「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」のようなミステリー??

不審者の顔が浮かび上がる???
どこかで、みかけたような顔だけど…

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さて、
大階段を上がってすぐの部屋は昭和天皇の肖像(左側は皇太子さま時代)の飾られた貴賓室

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この貴賓室から先程紹介したステンドグラスが、実に色鮮やかに見えます

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暖炉は大理石で…その上には、ベルギー製の大鏡…いやあ、懐かしきフランスを感じる装飾品の数々…
懐かしきフランスを感じる装飾品の数々…懐かしきフランスを感じる装飾品の数々…と、ぶつぶつ(仏仏)呟いてみる
フランス(仏)だけに…ね



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この部屋の隣は奥様の居室

窓外の光景を眺めながら奥様気分??

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この奥様の居室に写真が飾られていたのが


映画「ソローキンの見た桜」
に関するロケ写真展

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この映画は、松山城二の丸庭園が恋人の聖地と呼ばれているエピソードの元となっている壮大な恋愛劇がテーマとなった作品
いやあ、この映画憶えてる!!
感動したなあ…

日露戦争時代、ロシア人捕虜の収容所のあった松山市の看護師とロシア人将校の恋愛映画…
戦争が終わり、将校はロシアに帰って、その看護師とは別れ別れに…
いやあ、泣けた!泣けた!!今、こうしてパネルを眺めていても…
あ、さすがに、泣きはしませんなあ…
ただ、もう一度、みてみたいと思いました…

その隣の小部屋

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その隣の部屋には「愚陀仏庵」に関するパネル展示のコーナー

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夏目漱石の住んでいた「愚陀仏庵」に、52日間、正岡子規は、ここで徘徊、もとい、俳諧しながら、共に暮らしていたようで…


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夏目漱石の文学は、その徘徊、もとい俳諧に、大きな影響を受けたようで

 

はい、そーいえば、正岡子規記念博物館の館内に「愚陀仏庵」の一階部分だけは復元されてましたね

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この地には、部屋のみならず、建物そのものが復元されていたのですが


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松山豪雨で2010年7月に倒壊


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そんな「愚陀仏庵」のジオラマが…

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この方は、正岡子規でしょうか


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2階にいるのが夏目漱石かな

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夏目漱石を背後から

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ジオラマ全体像

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さて、1階の「謁見の間」は展示会開催中で、よくみれませんでしたが


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圧巻なのが天井のシャンデリア
いやあ、実に高貴!高貴!!

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さてさて、今回のブログ、一晩かけて、文章を練り直しました…??

それって、「萬翠荘(ばんすいそう)」ならぬ、「晩、推敲(ばんすいこう)」やないか!

 

いや、このお屋敷、水曜日の夜に行った方がいい??

 

それ、「萬翠荘(ばんすいそう)」ならぬ「晩、水曜(ばんすいよう)」やないか!


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「心もよう」「少年時代」「傘がない」

それって、「萬翠荘(ばんすいそう)」ならぬ「陽水、そう!」やないか!

 

この無理無理のオヤジギャグ、この暗闇から浮かび上がるお屋敷同様

「何かおかしい…(笑)」…汗


愛媛の名城、松山城へ行く…その5…最終章

2024-05-26 06:06:32 | 歴史史跡

愛媛の名城、松山城へ行った話の続き

今回が最終章

 

続いては北隅櫓の2階へと

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北隅櫓の内部

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が並ぶ…並ぶ

なにか「もんだい」(だい)でも???

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その家紋の解説板

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葵紋付火事頭巾

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防災頭巾のようなものなのかな…


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012 武 鎧 甲冑の文化

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このコーナーでは、いくつかの甲冑が並べられていて


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続いては松山城の天守へと…

ここでは松山城の守備の強固さが感じられる映像がリアル体験でみれちゃう
「VR松山城」

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おお、敵が攻めてきた!!

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しかし隠門から武士が…敵の背中側からやってきて
敵を蹴散らす…


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うわー、私の運命は…

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バーチャルでよかった…笑

さて、ミニスカートご法度の階段を上って


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天守最上階の3階へ


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天守というのは、籠城時に使うためにある場所で、普段は使用しないのだが、この松山城は、天守の1階から3階まで畳を敷くことのできる構造…ってことは籠城戦でも負けない造りのようで…

おお、姫が…笑
城主になった気分で

妄想の中で横に姫を思い描いて

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もう一度、繰り返すよ…天守というのは、籠城時に使うためにある場所で、普段は使用しないのだが、この松山城は、天守の1階から3階まで畳を敷くことのできる構造…ってことは籠城戦でも負けない造りのようで…
なので、再度、妄想の姫を横にはべらかせて…笑


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バカは高いところに登りたがる!バカは高いところに登りたがる!
この眺望に大満足


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おお、金ぴかじゃないけど、シャチホコ

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ご覧のように、畳が敷けちゃうんですね…

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よくミエたので、阪神タイガースのミエちゃんポーズで
思い切り逆光…

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さてさて、ミニスカートご法度の階段、転げ落ちないように
慎重に…慎重に…

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一気に天守から駆け降りる…転がり落ちなくてよかった…

さて城から出て、帰路へ

まずは
「内門」
天守と玄関多聞櫓の間に建つ一重櫓門

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仕切り門内塀
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「仕切門」
一間一戸脇戸付高麗門、本瓦葺

内門(内庭入口)との間の小広場は桝形の構えとなっていて、ここでは天守をはじめ、内門上の渡り櫓とその西の玄関多聞からの射撃が集中するような構造に…

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「天神櫓」
本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったから、この名称に…

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最後に天守を見上げ、松山城を後に…


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行くときに出合ったひとりぼっちの「よしあきくん」
来た時と同様、雨に濡れて佇んでいました

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あ、裏は平面で…手抜きだったのね…笑


愛媛の名城、松山城へ行く…その4…

2024-05-25 06:24:49 | 歴史史跡

だらだら書き綴っている

松山城のブログ

さっそく続きをば…

寛永12年松山城下町絵図

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歴史004 五重から三重
三重県生まれの私、えっ三重県へ??と誤読しちゃいました
ここからのパネルをみれば松山城保護の歴史がわかる!!

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大正11年に別荘として萬翠荘を建設した久松定謨伯爵から、松山城保護のために松山市に寄付したようで

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建造物35棟が国宝に


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ロープウェイ開通
私よりウンと年上でした

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リフト開通…

私は、リフトじゃなくて…フトリすぎ…汗


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放火、空襲、そして、もう一度放火により焼失したんだそうな…
ほうか、ほうか…とパネルをみながら頷く私

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建造物復興

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平成の大改修

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そして2002年には築城400年
ってことは今は…築城422年
けっこう中途半端…の周年…笑

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歴史005 花開く文化

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松平定長着用の鎧
鉄板黒漆塗紺絲素懸威最上胴丸

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松平定直直用の鎧
鉄切付五枚胴紺絲威具足


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火縄銃体験
重たい…感想はそれだけ


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歴史006 天守焼失

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007…ジェームス・ボンドではありません!!

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歴史008 天守再建

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三の門南櫓東側の鬼瓦

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葵の紋が刻まれています

これらが展示されている場所が
南隅櫓

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そして、たぶん櫓???
じゃなくて、多聞櫓

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長持
いい言葉です…エコを感じる言葉ですね

これは、収納具なんだ


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私の人生も長持ちするといいなあ…

長餅を喉に詰まらせて、あの世に逝くのは御免やで

多聞櫓の出窓から覗いてみる…
たぶん、敵どころか…誰もいません!

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天守と他の櫓とは口状で繋がっていまして


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松平家と久松家の家紋

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鎧 地面頬


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戦場で顔面を守るための防具
笑いを取って、油断させてから攻撃するのかな…


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石落
石を落とす以前に石をここまで運ぶことも大変だろうな

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ここからストーンと落とす…
おお、会心のオヤジギャグ


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こちらは
狭間(さま)

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行ったのはなのにサマー
さまざまな狭間(さま)…どちらさま

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松山藩主久松家家紋所打付鎧

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さてさて、またまたスカートご法度の階段を上って

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櫓の最上階



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弓矢


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もうデカい!デカい!!こんなのが突き刺さったら…即死でしょうな

天守の最上階にもありました

なのに「サマー(狭間)」

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眺望を楽しむ


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おお、絶景ですな!!


おお、誰もいませんなあ

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おお、天守の入り口にも誰もいませんなあ

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ぐるっと廻って眺望を楽しむ私

そう、バカは高いところに登りたがる!バカは高いところに登りたがる!


今度は、小天守の2階へと


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さて小天守の階段を降りて

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次回が、松山城最終章…お楽しみに…


愛媛の名城、松山城へ行く…その3

2024-05-24 05:52:51 | 歴史史跡

松山城に行った話の続編

早速続きをば…



本丸にて


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これは馬具櫓
太鼓櫓と同じように、二の丸方面を守る二層の櫓
松山城唯一のコンクリート造りの再建建物で
現在は本丸の防災を含む管理事務所になっているよう


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玉薬土蔵跡
玉薬土蔵は、弾薬を貯蔵・保管していた建物の跡
土蔵を周囲より少し高いところに造ることによって、火薬の敵である湿気を防いだそうな

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松山城の案内看板
ちょいと地味

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広々とした本丸…山の上をこんなに平らにするには大変だったことでしょう!!
「エー!!」悲鳴があがっていたことでしょう
「えひめ(エー、ひめぃえひめ(愛媛)だけにね)

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本壇(ほんだん)
いよいよ城の中に…
ちなみに昨夜はのんだん??(吞んだん??)

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ここは紫竹門と、その壁

紫竹門は本丸上の大手と 搦手 ( からめて ) を仕切る門で、本壇上の小天守の南真下に北面して建つ、一門一戸の脇戸付高麗門

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敵だったら、もうここで、石をぶつけられてそう…

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そして「一の門」

本壇入口の虎口に西面して建つ最初の門で、脇戸付高麗門、本瓦葺
この「一の門」の前面は桝形になっていて、小天守をはじめ四周の櫓から銃火が集中され、本壇防衛上最も堅固に築かれた箇所

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「二の門」

松山城は、江戸時代最後の城郭建築
城郭建築とは敵の侵攻を阻み、要塞のように城を建築する様式のこと

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ここにいたら鉄砲や矢や石ころがここから降ってきたことでしょう

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本壇配置図


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そして
「三の門」
「三の門」は、一の門・二の門と異なり、脇戸を省略した高麗門で、本瓦葺

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その「三の門」の南櫓

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「筋鉄門」

天守と小天守の間に建つ一重櫓門

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その「筋鉄門」の東塀

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東塀のここから、鉄砲やら石ころなどで攻撃できる造りとなっています

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まさに鉄壁の守りを兼ね備えた城でして

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「小天守」

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「小天守」はロ字形平面形の連立式天守東南隅に建つ二重二階櫓
外側に当たる東南二面には庇付の石落しを備えてあって


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多聞櫓…
たぶん櫓??と疑っている訳ではなくて
「多聞櫓」
小天守と南隅櫓をつなぐ一重多聞櫓

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「南隅櫓」
ロ字形平面形の連立式天守 西南隅に建つ二重二階櫓

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十間廊下

十間廊下は南隅櫓と北隅櫓をつなぐ一重多聞櫓
多聞櫓…たぶん櫓??

もう、その件はええっちゅうねん!!

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天守の地下にあるのは
「穴蔵」
ここから天守の中へと

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ミニスカートはやめた方がいいと思われる急な階段
絶対、みえちゃいますよ
松山城(まつやまじょう)で、まるみえ嬢(まるみえじょう)になってしまいますよ

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そんな急な階段を上って
天守内部の展示をば眺める


城史

職場でたいしたことをしないのにいばってる
それ、上司(じょうし)やないか…

彼女とS〇Xしてたら、あの世へ逝っちゃった
それ、腹上死(ふくじょうし)やないか!!

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出窓の外に敵がいたらイチコロ…そんな内部の造りを楽しみながら

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またまたミニスカートご法度の階段を上って

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そこには槍やら刀やらがずらっと…


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歴史001 城をかまえる

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歴史002 城下町の建設

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歴史003 政庁の充実

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はい、今回も、長くなっているので、次回に続く…

続きは明日まで「まつ山城」!!


愛媛の名城、松山城へ行く…その2

2024-05-23 05:27:57 | 歴史史跡

ロープウェイで山頂駅で降りて

松山城へ…

前回のブログの続きをば、早速…

 

まずは松山城を

マップで確認
ここからも随分歩くようで

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ここからが
「登り石垣」

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サルに注意しながら

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そしてみえるは、この圧倒されるほどの石垣の壮大さ
この「登り石垣」
これは、
ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させてつくられたもので、この方法によって山腹から迫る敵の侵攻を防ぐという、まるで戦国時代の城のような石垣でして



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もう城址マニア…こういった石垣マニアの私にとっては、半日でもここに立って眺めていられるくらい…
それはそれは、凄い石垣でして
時空を巻き戻せば…ここで落っこちた人たちもきっと多くいてることでしょう…


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♩見上げてごらん、城の石垣を~


首が疲れる~


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このあたりは
「待合番所跡」

待合番所は東雲口からの登城道と二之丸からの登城道の合流する地点に、警備のために設けられたもの

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この辺に待合番所はあったようで…
妄想で待合番所を建立してみる…
妄想城マニアなので…
妄想の中で建立した待合番所はプレハブ小屋みたいだったけど…笑

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城の防御壁、七曲りなど、もう鉄壁の守り、岡田監督の目指す阪神タイガースの守備を彷彿させるような守り…あ、佐藤輝くんは、よくエラーをするけど…


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二ノ丸史跡庭園、黒門口登城道の方も行きたいけど、往復35分かかる上に、生憎の本降りの雨…なくなく諦める…

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さて、いよいよ本丸へと…


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これが天守じゃないよ!おそらく太鼓櫓


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これは
「戸無門」

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本丸の大手入口の最初に設けられた高麗門

藩政時代から戸無門の名で呼ばれ、鏡柱に扉を吊る肘壺の痕跡もないので、創建当初から扉のなかった門らしい…

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戸無門をくぐると
すぐ「筒井門」

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実は、そのすぐ横に隠れた門
「隠門」がありまして

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「戸無門」を通過して、目に付くのは「筒井門」
その奥に「隠門」があるとは思えない…これは、侵入者の注意を「筒井門」に向けさせ、そこを破ろうとする敵を「隠門」から打ち出て、背後から襲う戦略だったようで…
へー、鉄壁な守りなんだ…凄い!!と思いながら
つい「僕、かくれもん」とドラえもんふうに呟いてしまう私

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「筒井門」、「隠れ門」をくぐったところの眺望

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バカは高いところに登りたがると言いますが
まさに、私、そのとおりの性格なので…テンションがあがる!上がる!!

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ここから転げ落ちたら、あの石垣…まっさかさま…と思うと、ビビッて近寄れない…

この建物は
隠れ門続櫓

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これは、松山城由来の解説板
松山城は、愛媛県松山市にある城で、別名を「金亀城」
金亀城」とは加藤嘉明が1602年に起工した松山城築城の際、山麓の内堀の深い淵に「金色の亀」が潜んでいたという話がその由来だそうな

また標高132m、比高約90mの勝山に築城されたことから「勝山城」とも言うそうな…備中松山城とか伊予松山城と呼ばれることも…

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「太鼓門」
本丸大手の正門
筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えて造られた門


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さて本丸へと

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「太鼓櫓」

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本丸からの眺望は絶景ですな…



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バカは高いところに登りたがる

そんな私が、もう大満足

降り注ぐ雨なんて、全然気にならない

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おお、あれは瀬戸内海か…

本丸には井戸跡が

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松山城は、勝山の峰を埋め立てて本丸の敷地を造ったときに谷底にあった泉を井戸として残したそうで、この井戸は、直径2メートル、深さ44メートルあって、当時の技術では掘ることができないほどの深さの井戸で
なんでも、20年かかって作り上げたらしい…

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本丸にぽつんと佇む「よしあきくん」


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ここは、ご一緒に…

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さて、松山城

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松山城が築城されたのは、1627年
加藤嘉明という戦国武将が築城をしはじめる…

加藤嘉明は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の家臣となり、「賤ヶ岳の戦い」では大活躍…「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれるように…

その後、家康側についた「関ヶ原の戦い」で加藤嘉明は、20万石の武将となり、1602年に松山城の築城を開始…
この築城途中に
築城を命じた当の本人である加藤嘉明が幕府の命令で会津に移ってしまいことに…
で、代わりに松山の地を治めることになったのは、蒲生忠知…
この忠知の時代に松山城の二之丸まで完成したが、忠知は参勤交代の途中で病気により逝去…
その後
松平定行が城主となってからは、本壇の改築が始まる…
そして、3年かけて三重の連立式天守が完成した
…連立式天守とは、メインとなる天守の周囲に小天守や櫓を配置した形式のこと…防衛力が高いのが特徴…
戦国時代の城ではなかったんだ…こんなに防衛力が凄いのに…

秋だというのに暖かい日が続いたせいか
桜の花が咲いていました

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まだまだ、松山城ブログは続くよ…

 


愛媛の名城、松山城へ行く…その1

2024-05-22 05:21:15 | 歴史史跡

このブログの読者ならお分かりかも知れないけど…

私は

城マニア

それも…ただの城マニア…ではなく…

むしろ城址マニア
…でありまして…笑


土塁などの遺構などが残っていれば…
それを手がかりに…
想像して…勝手に城を心の中に描いちゃう…ような…


妄想の中で…築城し放題…笑

の城址マニア

 

…じゃなくても

愛媛の松山を観光するなら、ほとんどの人が

立ち寄ると思われる

松山城に行く

松山城へは東雲口登城道など四つ徒歩で行ける登城道があって
当然城址マニアの私…

歩いて登りたかったんだけど
お腹廻りの贅肉を減らすために歩いて登りたかったんだけど
この日は生憎の雨…
スベッテ転がり落ちては大変だーってことで



迷いもなく、ここはロープウェイで…

乗り場近くには
夏目漱石の「坊っちゃん」と「マドンナ」が…
この像をみて、多くの小学生が、松山城の城主は「坊っちゃん」なんだと
勘違いしてるに違いない??

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ここがロープウェイ乗り場
リフトでもいけるようですが
生憎、この日は雨のため、リフトは運休


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ロープウェイ乗り場のハコモノの中に入れば

正岡子規と秋山兄弟
「坂の上の雲」ですな
どーして正岡子規だけ横向いた写真なんでしょう??

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子規の子守唄
誰か歌ってくれないかな…
しき(指揮)つきで…(このオヤジギャグがいいたかった…)




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「よしあきくん」の顔ハメパネル
顔をハメれば、「よしあきくん」の後ろに跨って乗れちゃいます

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こちらは立体「よしあきくん」
ぱっと見、「広島東洋カープ」の「カープ坊や」ならぬ
新しいキャラ「カープおじさん」かな…なんて思えたりもします…

♩今日のカープは勝ち勝ち勝っち勝ち~

「よしあきくん」の戦はどうだったんでしょう…

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おお、これが松山城
この石垣…もうマニアにとってはたまりませんなあ…

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現存12天守の一つである
松山城

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コインロッカー
「1番」はもちろん、松山城

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松山城天守の古い鯱が、ここ、ロープウェイ乗り場のハコモノの中に…

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子規のララバイ

さあ 眠りなさい疲れきった体を投げだして青いそのまぶたを唇でそっと ふさぎましょう~

 それは
聖母たちのララバイ


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子規のララバイは、目を閉じず、しっかり目を見開いていますなあ…

四国最大の名城、松山城のマップ

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城主だった「よしあきくん」
自分の居城に向かって
「いざ、松山城に出発じゃ!」のセリフに、ちょいと違和感を感じたけど
「いざ、松山城に出陣じゃ!」じゃないから、よしとするか…笑

さあ、松山城

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こんなに「よしあきくん」がみられるのも、ここだけ…笑

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ミカンジュースとのコラボ
「アルミ缶の上にあるみかん」
あ、このオヤジギャグをただ言いたかっただけ

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おお、松山城…
天女が飛んでますなあ…

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では、ロープウェイで松山城へ
ロープウェイで行くと、2分半…あっという間

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城跡マニアとしては、天気が良ければ、この下の横の登山道を歩いてみたかったかな

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と山頂駅に到着


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松山城を詠んだ正岡子規の句碑

「松山や秋より高き天主閣」

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さあ、いよいよ松山城ということで

続きは明日に…

 

みなさんも、明日、私が記事をアップするまで

「まつ」山城…

 

お後がよろしいようで…


道後公園になっている湯築城址を散策する…後篇

2024-05-14 04:57:14 | 歴史史跡

さっそく道後公園になっている

湯築城址のレポの続きをば

 

おそらく、等身大人形をおいた「武家屋敷1」が好評だったんでしょう??

続編なる建物がありまして

それは


「武家屋敷2」




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礎石を基に復元されたよう

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でも
こちらには、等身大人形はいません!!

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中は、パネルやら、出土品やらが展示されています…

中世発掘のパネル

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さまざまな職人たちのパネル
鍛冶師やら鎧師やら

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大工道具
もうツッコミどころのないほどのお堅い展示パネル

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松山城址から出土した瓦
もともとは、湯築城にあったものかも…

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「関ヶ原の戦い」の頃の松山市内の遺跡から出た出土品

私だったら、どれも不燃物で捨てちゃいそうな展示品の数々

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中世発掘(はっくつ)
パネルを読むのに疲れてきて、じゃっかん、退屈(たいくつ)になってきつつある私

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武士の必需品
ぶしょう(武将)もとい、ぶしょう(不精)してると、持ち歩くのを忘れちゃいそう

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鍛冶の遺物

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礎石抜取跡
ここに礎石があったようで

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建築に関する遺物
釘とか壁土とか鉄斧とか

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…運ぶとき、どうか、わらないように…と出土した瓦を大切に運んだんでしょうね
…とか言いながら、当然、すでに割れちゃってるので、瓦の欠片ですけど…


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そして航空写真のパネル

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以上、「武家屋敷2」を後にして、その後、どんなに探しても「武家屋敷3」は見つかりませんでした…

「帰ってきた武家屋敷??」もありませんでした…ウルトラマンじゃないんだから…苦笑

 

さてさて

さらに内堀にそって歩いてみる…


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一瞬、石垣か?と勘違いした、巨石

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続いて向かったのは
「外堀土塁」が切り取られて、貼り付けられて展示してある

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「土塁展示室」へと

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中に入ると外堀土塁断面構造が貼られていまして…

土塁の構造を内側から見られる、実に珍しい展示室
もう、この土塁以外、この展示室には何もない…


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あ、解説パネルはあるよ!

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へー、一度に土を盛ったんじゃなくて
なんだか、地層(ちそう)を勉強してるみたい…

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地層(ちそう)…地層(ちそう)…地層(ちそう)
時間はまもなく…夕方5時…
この後ホテルに戻れば
地層(ちそう)…ならぬごちそう(御馳走)が待っている!!


お腹も空いたし、ホテルへと向かうことにするか…


さてさて、戻る途中にみつけたのが、これ

石造湯釜

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ここに湯釜があって、湯築城の城主がこの場で温泉に浸っていた…ということではなくて
この湯釜は、道後温泉の浴槽内の湧出口に設置されていたもの
直径は166.7cm、高さが157.6cmの円筒形、花崗岩製の湯口
この湯釜は、温泉の湧出口に設置するもので、明治時代まで使われていたよう
なんでも奈良時代のものなんだそうな
湯釜の宝珠には、河野通有の依頼で、「一遍上人」が「南無阿弥陀仏」と刻んだとか


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「ほろほろと 椿こぼるる 彼岸かな」
正岡子規の句の看板が、石造湯釜の横にありまして

だったら、松尾ドショウ
石造湯釜の横で一句、詠むことにするか…

「ポカポカと お湯がこぼるる 悲願かな」

句の意、念願の道後温泉に浸れた喜びをストレートに…ちょいと熱かったけど…笑

ちなみに、この湯築城跡(道後公園内)
正岡子規記念博物館があります…

だからといって、勘違いしないでね
湯築城の城主は、正岡子規(しき)ではありませんよ!!

ええっ??そんなの、まさおかしき???…もとい…じょうしき(常識)だって…
失礼しました!!…笑

 

 

PS…この後、この歳になると、起きてしまうハプニングが待ってました…

道後温泉駅まで足を進めると、カバンを手にしてなかったのに気づいたのです…

どーやら、「土塁展示室」に入った時、コフンじゃないのに「コーフン」して写真を撮りまくっていたときに、置き忘れた可能性が…

慌てて戻るも、夕方5時までで、展示室には鍵がかかっている…汗

そこから「湯築城資料館」まではソコソコの距離があるんですけど、「湯築城資料館」も、もちろん閉館してるんですけど

あかりが灯っていたので、呼び鈴をならしてみると、オジサンが対応してくださいました…私が、忘れ物が届いてないか尋ねると届いてないという、置き忘れた可能性を伝えると、わざわざ、「土塁展示室」まで一緒に歩いてもらって鍵を開けてもらいました!!

やっぱり、そこに置き忘れてありました…閉園時間ギリギリだったので、やはり私が置いたと思われる場所にカバンがありました…鍵をかけるボランティアのおばさんは、中まで覗かずに鍵をかけちゃったようです…だって、貼られた土塁以外何もない展示室ですから

一緒に歩いてくれたオジサンには、もう、ホントに感謝、感謝の一言に尽きて

「湯築城資料館」にお勤め、もしくはボランティアのこのオジサンが道後温泉の湯のように温かくて、道後の人って温かいなあと旅のありがたさを、しみじみと痛感した次第

一緒に歩く途中では、「日本100名城」に選ばれているとか、もともと動物園だったので、さほど土がいじられることなく、その後いろいろなものが出土した「湯築城」の歴史なども、語ってくれて…

もう、私の中ではオジサンの温かさも加味して、最高の、道後「湯築城」散策になったのです…

 

一言、もう一度、言わせて、道後の人は温泉のよーに温かい!!!

 

 


道後公園になっている湯築城址を散策する…前篇

2024-05-13 05:39:01 | 歴史史跡

私のライフワークである???
(いつから??)

城址を巡るシリーズ…

なんせ
私「城マニア」でありますので…

それも…ただの「城マニア」ではなく…

石垣や土塁などの遺構をみて
古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…

「妄想城址マニア」


妄想の中で
築城し放題…
妄想の中で…
姫に囲まれ放題???


…笑…である私が道後に行ったときに
ここは外せないと思った城址が

今や「道後公園」になっている

「湯築城」

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明治時代になってからは公園や植物園として整地され、さらには昭和の時代には動物園だったんだって…

でも1987年、動物園が移転したことをきっかけに発掘調査が行われ、イロイロな遺物や遺構が発見されたことで、2002年には国史跡となり、日本100名城や日本の歴史公園100選にも選ばれている

この「湯築城跡」

城址マニアの私が、当然、行きたくなる訳でして

さてさて、湯築城は、中世に伊予国の守護であった伊予国守護河野氏が約250 年間にわたって本拠としていた城でして
伊予国守護河野氏は源平合戦で源氏方として功績を挙げたことから、鎌倉幕府の有力御家人として伊予国の支配権を確立し、室町時代以降、伊予国守護河野氏の伊予統治の中心となる

戦国時代には河野弾正少弼通直が湯付堀(外堀)を築き、二重の堀と土塁をめぐらしたより堅固な城となった…
しかし、1585年に豊臣秀吉の四国攻めによって、河野氏最後の城主河野弾正少弼通直は、小早川隆景に湯築城を明け渡し、ついに河野氏の伊予支配は終わる…
その後、秀吉配下の大名福島正則が城主となるが、やがて、国分城址に居城を移したため、廃城となったよう


江戸時代には、関ヶ原合戦での戦功が認められて入国した加藤嘉明が、松山城を築造し始める…その際に、湯築城の建材が使われたんだって…

公園をぐるっと一周してみる
石垣や天守がなくて、小高い丘を中心とした地形を利用した平山城


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公園として整備されちゃっているので、そのまんまじゃないけど、内堀と外堀および土塁らしくものが分かるし、私のような「妄想城マニア」にはたまらないこの湯築城
もう歩いているだけで、テンションがあがる!あがる!!

内堀&内堀土塁


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堀マニア、土塁マニアにはたまらない!

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植物園、動物園だった時代があるので、そのまんまではないけど…
まあ、街の中の城址で、公園となっても
こんな感じで遺構が感じられるのは嬉しい限り

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見ようによっては、土塁のような
動物園工事の際に、積み上げられたものかも知れないけど

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堀にはかめ
めちゃ歓迎してくれてるかのよう
「やっとかめ」???初対面やないか

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内堀に沿って歩くと、日本庭園らしいこの光景

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湯築城とは関係ないけど
道後湯之町の初代町長として道後温泉本館の建築の実現に努力した伊佐庭如矢さんの頌徳碑

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さてさて、続いては公園内、即ち、城址内にある

「湯築城資料館」へと

元々この区域は、現在は砥部町にある「とべ動物園」の前身・道後動物園があった場所でして、この動物園が移転された後、ここらへんを発掘したらいろいろな出土品があったようで、どうやら、それらが展示してある…そんな「湯築城資料館」
ここ嬉しいことに、入場無料!!タダ!タダで入れちゃう!!

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ハコモノの手前には
顔ハメパネル
河野弾正少弼通直をイメージしてるのか福島正則をイメージしてるのかわかりませんが
べっぴんさんを口説こうとしている単なるエロオヤジと化していますなあ…



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さてさて「湯築城資料館」
入ると、足元がガラス張り
そこは「最大土坑」といって
巨大なゴミ捨て場があったらしい…
ちなみに、これは復元のようだけど…

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湯築城址のジオラマ

すなわち、道後公園のジオラマ
どうせ、復元模型をこうして作るなら
湯築城の建物があった状態のジオラマがみたかったけど
復元できるだけの資料が残っていないのかも知れないな

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発掘の際に出土した陶器や食器などが展示されており、城主の河野氏の概要などもパネル等で分かりやすく…備前や瀬戸などで製陶されたものが数多く出土されており、河野氏の海上交易の凄さを感じますなあ…

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目玉と思えるほどの馬鹿でかい大甕
これ、備前焼の大甕

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湯築城の構造が書かれている解説版

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湯築城について、もっと詳しくなれる解説板


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「湯築城資料館」のそばには
「土塀」まで復元されてて…一応、驚いてみる!!「どへぇ~い!!」…汗

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続いては復元「武家屋敷1」へと
この武家屋敷は発掘で分かった当時の建物の基盤に基づいて復元したお屋敷
おそらく500年前の武家屋敷は、こんなふうだったと
この「武家屋敷」もタダで覗けちゃう!!

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中に入るとビックリ
B級スポットにありがちな等身大人形が…
500年前の武士の人たちでしょう…

さすがに500年前の人間ってこともあってか、血の気も失せて…顔面蒼白ですなあ

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左奥の人だけ烏帽子を着けていません!!そして不貞腐れているかのように横向いて…
帽子(ぼうし)をどこかに置き忘れてきたのでしょうか…


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もの忘れ防止(ぼうし)に心がけなきゃ!

…と言っているような


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この図でわかりました…
子を忘れて、不貞腐れている感じのこの方は
坊(ボー)さん…ボーとしてなくても、おボーさん


この…お勝手(台所)にいる方は使用人とのこと
どうりで、武士がかぶるような帽子がない訳だ

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この方は(そうしょう)、連歌の師匠とのこと

目つきがちょっといやらしい…
なにか悪だくみを相談されて、そうしょう…もとい、そうしようと頷いているみたい


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庭には、穴ぼこが

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さらに、こちらは

円形石積遺構
井戸にしては浅すぎる
やっぱ、トイレ跡でしょうか…

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残念ながら、解説文は風化して判読不能

こちらは、排水溝の復元

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以上「武家屋敷1」を後にして

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内堀の土塁


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綺麗に草が刈られています…あまりにも綺麗すぎる土塁
これも、復元でしょう…

 

この後は

「武家屋敷2」…武家屋敷の続編へと???

 

といったところで、ブログが長くなっているので

今回は、ここでおしまい

また明日!!!

 


「道後温泉本館」にある皇室専用浴室「又新殿」を見学する…

2024-05-11 07:49:06 | 歴史史跡

国の重要文化財でありながらも博物館等にならずに
銭湯の営業を続けている

「道後温泉本館」

そこには
全国で唯一、皇室専用浴室「又新殿」がありまして

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もちろん、私、皇室ではありませんので、入浴することなどできないのですが
見学がガイド付きでできるという…
あ、これ、当日じゃなくてWEBから事前予約が必要ですが、前日WEBをみていたら、見つけたので、予約をして
皇室の方々になった気分で???
見学してきました!!

上記の写真の門は

「御成門」

皇室専用の玄関で、御訪問の時だけ開かれるとのこと

御成門の屋根は、下から「軒唐破風(のきからはふ)」「千鳥破風(ちどりはふ)」「起り破風(むくりはふ)」でできているんだって

鬼瓦も三段になっていて、下から「龍」「鳳凰」「湯玉(ゆだま)」





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スタッフのオジサマが教えてくれました

もちろん、私のような一般の民はここ「御成門」からは入りません…その横の受付から
その受付を通り過ぎた待合所(御成門の裏)あたりに置かれていた
鬼瓦

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たぶん、昔の道後温泉本館には、この鬼瓦がのっかっていたのでしょう

さて、ここからは天皇さまが足を踏み入れたという
館内を見学

手前の部屋が御居間(おいま)

御居間は、入浴前にくつろいだりする場所

 


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上記の写真の襖の奥が

「玉座の間」

ここは天皇のみ使用することができる部屋で、金箔地に鳳凰、菊、桐の絵が描かれていて

昭和25年3月19日に昭和天皇が利用されたのが、最後だとのこと
最後の利用が私が生まれるウンと前…
ってことは、70年以上「御成門」は閉ざされたまんまなんだ


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障壁に描かれているのは、鵤(いかるが)と鴲(しめどり)
くすんでいるけど、障壁に貼られているのは金箔
さぞ、きらびやかだったことでしょう

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襖…黒ずんでいるけど、銀箔が貼られているとのこと
金箔はくすんでも、金色なのに、銀箔は真っ黒になるんだ…ってことを今さながらに知った私…

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最も格の高い畳縁
繧繝縁の畳

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さらに高くなっているところには、調度品の数々


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ここからは階段を1階に降りて

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入浴前の脱衣する部屋

洞の間(どうのま)

壁は漆喰
襖の銀箔は新しく張り替えたとのこと
おそらく、昭和天皇が使用したときの部屋の様子に近いはず

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窓外の中庭も日本庭園ふう

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そして、浴槽

「御湯殿」

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浴槽は、御影石(みかげいし)の中でも最上とされる香川県産の庵治石(あじいし)でできていて
実際に入るときには、階段上の部分に腰かけて入浴されていたそうな

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宝珠に彫られた「健歩如故」という文字は、小松宮彰仁殿下の御真筆を浮き彫りにしたものとのこと


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昔は温泉を汲み上げる機械がなかったので、

掘り下げられた浴槽に階段で入るようになっていて

その庵治石(あじいし)でできた浴槽には、大国主命さま、右は少彦名命さまの像が彫られていました…


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昔は源泉がここの真下だけだったので

皇族の方々も一般人も、

この道後温泉本館でしか

入浴することができなかったんだって



最後に紹介するのは
「御厠」

「御厠」とは一度も使われたことのなかった畳敷きのトイレ
…ちなみに使う際には右側が前になり、着物を後ろのところにかける形となるんだって…
中には砂が敷き詰められているとか…

以上、皇室になった気分で、又新殿を後にする



みなさんも「道後温泉本館」に浸る機会があったら
ぜひ皇室専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」にも行っトイレ!!!!

もう一度ゆう、しんで(ん)
行っトイレ!!!!

もう一度言う、死んで(ん)行っトイレ!!!!)…苦笑