新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

湿度が高く…不快!な中、空調の効いたナゴヤドームへ…ナゴヤドームの中もめちゃ不快!??でした…2019・6・29…中日・阪神戦!

2019-06-30 08:07:41 | 阪神タイガース
なんなの…



この湿度の高さ…
いくら梅雨時と言えども


むわん!!として

不快!不快!!
めちゃ不快!!



そんな中…ですが…



ここにいけば!!
ここにいけば!!


きっと


空調の効いたところで
この私の感じる不快感を吹き飛ばしてくれるに違いない!!!



そう信じて…
そう信じて…



久々のナゴヤドーム


中日・阪神戦!!!

はい!
私は真の??真の??
「虎党!!」
阪神タイガースファン
でありますからね…





この日は
土曜日のデーゲーム
さらには
昨年度最下位の阪神タイガースが
そこそこ今のところ
頑張っているということもあって
チケットも大人気…



ドームへいけば
いつもこの席を手に入れたいと思ってる
ビジター応援席、レフト外野応援席のチケットは
私が気づいた時には
完売!!







ということで
今回手に入れたのが
久々のパノラマ席…





この光景


小学生の頃
遊んでた「野球盤」を思い出しちゃいますなあ…



この角度から
「消える魔球」を
(地面の下に転がるという画期的???なものだったけど)
使って…対戦相手の友達をきりきり舞いしてた思い出が…笑



そんなしょーもないことを懐かしく思いだしながらも


野球盤をしていた小学生のときには


呑もうとしたことはなかった
チューハイに手を出しながら










さてさて
阪神タイガースの先発は
青柳投手…




けっして
「消える魔球」を使って
中日ドラゴンズ打線をきりきり舞いせーよ!!

とは
さすがに
思わないけど…



フツーに
投げてもらわないと…泣…


四球2連発のあとに
加藤選手という
1割台の8番バッターに
タイムリーヒットを打たれるという





2戦級のピッチャーが失点する典型的なパターンで
あっという間の
2失点…



さらに…
エラー表示はされないけれど…
糸原選手の実に拙い守備…

プロ野球の守備にしては
実に情けない…


目に見えないミスを2度重ね
(実際は見えてるけど…)


そしてタイムリーを打たれ…

2回裏にて
あっという間の
5失点…






めちゃめちゃ打たれてる
そんな
印象もないだけに…
5失点は…

会心の一撃を打たれたときよりも
この湿度の高さと同様…不快!不快!!





四球の連発に
拙い守備で…
満塁ホームランを打たれたよりも
重い!重い!!5失点…が2回裏と言った序盤戦に…


青柳投手…
実に情けない…




青柳投手って
なんとなくのイメージですけど

いったん…点をとられると
「やめられない とまらない」かっぱえびせん状態…になる傾向があるように思う…
(連打を食らうイメージがある)


まさに…この日も…
打たれ打たれ
得点をとられるのが
「やめられない とまらない」状態…泣


ここで…この苛立ちを…



「あおやぎ」であいうえお作文をば…


…あおざめるほど
…おおいに打たれ
や…やられっぱなしで
…ぎゃくじょう(逆上)したくなる!!




心から思う
「もう2度とナゴドになんか行くものか!!」



この歳になると
もの忘れが多く
この決意…まったくもって…持続しませんけど…苦笑



青柳投手
4回でノックアウト…



…打線は
その前も…その後も

拙攻!拙攻!!


外も不快だけど
ナゴヤドームも不快!不快!!








もう…

正直に言うと


2回に5点取られた時点で
もう…負け確定のような雰囲気が漂う!漂う!!!




今の阪神打線には…
逆転できそうな…気配が全くしなくて




チャンスらしいチャンスもなく
拙攻!拙攻!で「0」「0」を重ね…


島本投手で
またまた失点


ここで








「しまもと」で、この苛立つ気持ちを…あいうえお作文で



…しっかりせい!
…まったくもって打たれ過ぎ
…もっともっと
…とっくん(特訓)だ!!




そうそう…
唯一の…
この日の…
唯一の…


楽しみと言えば
トラッキーとタイガースガール






でも
5階席なので
まったくもってよくみえませんがな!!












ああ…この一方的な試合展開

ストレスがたまる!たまる!!
職場でもたくさんストレス溜めてるのに
ナゴドでもストレスをためるなんで…



ここで、この苛立つ気持ちを…「ストレス」で、あいうえお作文をば…


…すげえ!打たれてる
…とら(虎)の投手…点を「とら」れすぎ
…れいてん(零点)に打線も抑えられ
…すげえ!やられっぷり!!



ラストは
外もドーム内も
この一言で締めくくることのできる


不快」であいうえお作文をば


…不甲斐ない」
…カキン!カキンと打たれ過ぎ」
…いい加減にしろよ!!」








「もう2度とナゴドになんか行くものか!!」



(この想い、いつまで引きずるのかな…このところ、加齢とともに…もの忘れが激しいんだよね…笑…きっと明日になったら忘れてるかも…)



少なくとも
今日は…行きませんよ!!
(チケットがないから…ね…)

お金払って
イライラして…

最悪(さいあく)でした…



…さんざんな目にあった
…いかんときゃよかった
…あきれた!あきれた!
…くろうしてチケット手に入れたのに…


 だらんゲーム…
 さってるぜ!!阪神の攻撃と守備…

でも…きっと


 りかえし、またナゴドに行くんだろうな…



「もう2度とナゴドになんか行くものか!!」

と今は思っていても…苦笑




関ヶ原の戦いの史跡めぐり…東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡から、田中吉政陣跡、細川忠興陣跡、そして岡山烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡へと

2019-06-29 07:45:40 | 歴史史跡
関ケ原の戦いの史跡めぐり…




天気予報では
曇りのち晴れ…
ということで出かけたのに…



着いてみれば
関ケ原の戦いが起きたときのように
霧がかかっていて
雨脚も…小康状態だった…
と思いきや…
突然めちゃめちゃ降ってくる…




そんな悪天候の中…




東軍の陣跡を巡る…



まずは
JR関ケ原駅から近いところにある


東首塚



関ヶ原の地に布陣した兵数は
東西両軍を合わせて約17万人
わずか半日の戦いに
約8千人の死者が出たと言われている…



徳川家康は現地で首実検をおこなった後
多くの遺体の処理を
この地を治める竹中重門に命じた



そこで造られたのが

この
東首塚である…



西首塚より現在の規模は大きいいものの
東海道線の工事の際には
多くの白骨がでたとか…
当時の規模は…今のこの整備された
東首塚よりも…ウンとウンと広かったのでしょうね…



唐門が塚の脇に…






これは昭和17年に移築されたとのこと…


唐門をくぐれば…

山王権現社本殿
これも唐門と同じく昭和17年に移築されたとのこと…










戦没者の供養堂になっているとのこと…





首洗いの井戸






ここの井戸水で武将の首を洗って…
徳川家康が首実検(床几場)したとか…



その後に
葬られた首塚…























首級墳碑








碑に書かれていた文字は
完全に消えていました…


なんでも


東首塚だからといって
東軍の武将の供養というわけではなく…
東西関係なく
埋葬している可能性も高いとか…



なんせ…行ったときは
土砂降りでして…
武士の無念が雨を降らしてるように
錯覚しちゃいそうなシチュエーションでした…


お会いしたことのない
武士の方々ですが…
ただ…ただ…
合掌…






その東首塚のすぐ横には

松平忠吉・井伊直政の陣跡がありました…










東軍の先鋒は、福島正則隊でしたが
徳川家が先陣を切ることが重要だと考えた
井伊直政は、松平忠吉とともに抜け駆けし
宇喜多隊に火縄銃で発砲

そこから
関ヶ原の合戦の火ぶたが切られたんですね…


さらには
戦いの終盤島津義弘が
「島津の退き口」といった
敵陣突破して退却を試みた際

井伊直政、松平忠吉隊が追撃
その際、直政、忠吉とも負傷したのは…有名な話…








時空を超えて


妄想に浸りたいものの
激しい雨…

まるで合戦前の天気のように…


紫陽花に叩きつける雨を眺める
心の余裕もなく
車に避難…







さてさて
松平忠吉と井伊直政の陣跡から最後陣地へ向かう途中の
歩道にあるのが


田中吉政の陣跡



徳川家康が最後の陣を張った場所になる陣場野公園の南側にありました…
















石田三成隊と激しい戦を交え


石田三成が敗走後、三成を探し出したことでも有名な武将
田中吉政

実際は
石田三成とは同じ近江出身で仲が良かったらしく



実際に石田三成を捕らえたのは田中伝左衛門、そして沢田少右衛門ですが

その護送にあたっていた時、田中吉政との有名な話が…


石田光成は
生きたまま捕らえられた時


三成が腹痛で苦しんでいたところ
吉政は、腹痛に良いという理由でニラ粥を勧め、三成はそれを食したとか…

さらに石田三成は滋賀県は木之本町の山中で捕縛される時に
「他の者に捕らえられるより、貴殿に捕らえられたほうがいい」

と田中吉政に言い
自分を捕らえた功績を吉政に与えようと思っていたとか…

ニラ粥を食べながら
石田三成は
田中吉政をニラんでいた訳ではないようです…



私は
この時…空を見上げてニラんでましたが…




だって
この日の天気


「天気予報、曇りのち晴れ!」って言ってたやん!!



さてさて
この田中吉政の陣跡のすぐ横が
陣場野公園



首実検(床几場)の行われた
徳川家康の最後の陣跡ですが


激しい雨…
激しい雨…
のために
ここは後でみようと…回避…




続いては
細川忠興陣跡









細川忠興…
よりも…その奥様
ガラシャ…の方が良くご存知な私…



石田三成は、上杉征伐で東征した大名の妻子を人質にする作戦を実行
その際、細川忠興の妻、正室ガラシャは人質になるのを拒み
家老に自分を殺させ屋敷に爆薬を仕掛けて火を放った…



この事件で細川忠興の三成への憎悪は膨れ上がり
この関ヶ原の戦いでの
石田三成との激しい戦闘へと「線」として繋がっていったのである…



忠興の怒りは凄まじく
関ヶ原では自ら望んで三成の正面に陣取り、終始石田隊と激しく戦ったとか…


そんな細川忠興陣跡は

細川忠興の石田三成への恨みつらみの想いとは裏腹に



ほっこりと…




真四角の人口池があったり






雨に濡れた


パンダの遊具があったり






関ケ原の戦いの優劣を図るかのような??


シーソー???






西軍が…ここから転げ落ちたような
滑り台???が






この
住宅地の中にあって…


この滑り台で
滑らなくても
足元が雨でぬかるんで
スベリそうな…
そんな…どしゃぶりの雨の中…







続いては
岡山(丸山)烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡へと
軽四を走らせる…


この行き止まりの
駐車場に軽四を停め






この写真の左手の道を
なにも疑わず登る…



…何も考えずに登ると
左手に…お寺がみえてきた…







ここは
瑞龍寺





ここで…初めて気づく


岡山(丸山)烽火場をいつの間にか通り過ぎていたことを
…というのは…これ以上進む道がなくなっていたのよ…



慌てて戻る!戻る!!!



そもそも…
駐車場で軽四から降りた…
この左の道を登っちゃいけなかったのよ…







駐車場から
もっと左の竹藪の中の道を進んだ先にありました…














なんか
この竹藪の中の道をこうして
進むだけでも…関ヶ原の合戦気分が漂ってきていいですなあ…




気になっていた
土砂降りだった雨も
このときだけは小康状態…


その途中にあった

金刀比羅神社










説明板によると

東軍武将、生駒一政公が黒田長政・竹中重門とともに陣を構えた
この地において
必勝を期して讃岐から持参した金刀比羅宮の御神像を松の枝にかけておいたそうな…
関ヶ原の戦いの後、住民がそれをもらいうけ、祭祀したとのこと…



さらに進めば
関ヶ原の街が
眺望できるところに…


ここが

岡山(丸山)烽火場
















「ここは黒田長政と竹中重門が布陣した場所でして…」


ほうかほうか…」












開戦を告げる烽火が上がった場所で


ほうかほうか…」



烽火だけに…
ほうかほうか…」と頷いてみるも



そもそも
ここ岡山烽火場
「おかやまほうかじょう」と読むのではなくて
「おかやまのろしば」


烽火は「のろし」と読むそうな…汗




ここにくるまで
道を間違え…さらに…読み方を間違える…

なんだか…
私の本領発揮…みたいな…感じですが…


さてさて
関ヶ原の戦いの決戦場石田三成陣跡、笹尾山を望む眺望は
霧がかかって
雲行き怪しく

まるで…関ケ原の合戦のときの天候にそっくり…












…当時の想いに馳せようかと思いきや…
めちゃめちゃ雨が降ってきた…
風も伴って…


のろし」ならぬ


あらし」のように…


天候「わろし」…
(古語で「よくない…の意」)





「そんな中、この関ヶ原の地で…400年前、「のろし」もとい…「ころし」あったんですよ…」


ほうかほうか…」…汗




だから…烽火は「ほうか」じゃないってば!!


もう「ほうかっとこう!!」(ほかっとこう!!)…汗






















関ヶ原の戦いの史跡めぐり…奥平貞治のお墓に行く!

2019-06-28 00:01:39 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり


前回すべてを観て廻ることができなかったので
別日に

出直しの関ヶ原

天気予報では
曇りのち晴れ…
ということで出かけたのに…



行く途中には
こんな
きれいな虹もみられたのに…







着いてみれば
暗雲立ち込めてきて…



どしゃぶり!!
どしゃぶり!!
そんな悪天候の中…
…泣



向かったのは


奥平貞治の墓




















奥平貞治は、徳川家康と内応の約束していた小早川秀秋の態度を監視するために

松尾山へ



小早川秀秋の裏切りの後には

小早川秀秋の寝返りに嫌気がさして
離脱した松野主馬隊のかわりに
松野隊を率いて



松野隊の先頭に立って西軍・大谷隊と奮戦するも
討ち死したとか…
そんな
…東軍で戦死した数少ない武将の一人…



おお…徳川家康からの信頼が厚かったんだろうな…とか


おお…小早川がなかなか松尾山から動かなくて、なかなか寝返りしなくてドキドキしただろうな…とか…


おお…離脱した松野主馬隊のかわりに松野隊を率いて必死だっただろうな…とか…



おお…おお…おお…



と驚かないでくださいな…



つい…つい…おお…貞治…と口にしたくなるから…




スミマセン!
オチが…汗…読売ファンではないのに…


関ヶ原の戦いの史跡めぐり…西軍の島津義弘陣跡に行く!!

2019-06-27 07:05:56 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…

前回、前々回に続いて今回も…西軍の陣跡を巡る…


東軍の陣跡は
街の中に…ぽつんと石碑と案内看板があるだけで
当時の面影を妄想するのは
なかなか困難であるけれども
西軍の陣跡は
山の中、森の中にある場合
が多くて


東軍の陣跡よりも
ウンと…ウンと…妄想に浸りやすい…



さてさて今回
まず紹介するのは

島津義弘陣跡









この石碑の島津義弘の名の上にある「小池」というのは
ここの地名だそうな…





ここから
敵中突破した
「島津の退き口」と呼ばれる

鳥頭坂まで
約3.5キロ


普通で考えると
生き残った西軍の武士たちが多い
伊吹山の方へ向かって逃げようと思うことが
常識的だとは思われるが




彼は
あえて、東軍の武士の多くいる
軍勢に果敢にも向かっていき、
その戦場を横断するかのように脱出を図った…



その間

約3,5キロ


その約3,5キロを



「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法で…




島津隊は退却の最中
退路に銃を持った兵士を数人座らせる…
彼らが敵の指揮官を狙撃し
怯んだところで突撃する…



それを何度も繰り返す中で…
時間稼ぎをし
その間に
大将、島津義弘を逃げさせるといった作戦をとる…



火縄銃と槍刀で武装した兵士たちが
小集団として本隊から離脱

座禅を組み座り込んで
火縄銃を構え、敵の指揮官を狙撃敵撃
撃った直後に槍や刀に持ちかえ敵集団に突っ込み死ぬまで戦うという



その戦法を繰り返し
最後の戦いの場所となったのが





「島津の退き口」と呼ばれる




鳥頭坂



ここでは

島津豊久が…最後の砦となって

その
「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法で

討ち死したか
あるいは…そうとうな負傷を負った場所
であり



もちろん

多くの薩摩武士が…ここで…討ち死した場所…であり



その結果…伊勢西街道へと
逃れ
最終的には
島津義弘は生きて九州の地に戻れることができた…



その
前方の東軍の中を敵中突破で突抜け
南宮山と松尾山の間、前日来た道を南に抜けるという。
前に退くという前代未聞の「逃げ戦法」
その十中十死の島津隊の勇敢さをクローズアップした
この退却戦を


「島津の退き口」と称された
その最終の決戦場所は
「鳥頭坂」とばかり思ってましたが…




な、なんと!!
驚くことに


「島津の退き口」は関ケ原駅近くの
「観光交流館」にもありました…???




な、なんと
そこの倉庫???が…











この倉庫を開けたら

時空を超えて

島津義弘が隠れているような気がしてならなかったけど…笑

さすがに
「捨て奸」食らっちゃたまりませんからね!!…笑
絶対に開けません!!



というよりも
勝手に倉庫を開けたらあかんでしょ!!






さてさて



この日…

全部の合戦跡を廻るつもりでいたけれど
ここで…悲しいかな…日が暮れそうな感じで…時間切れ…





肝心の小早川秀秋の松尾山に登ることは
また別の機会にするとして



島津義弘将軍が退いたように
ド将軍???も同じように
伊勢西街道に向かい…退いたのでした…





その時の
私は空腹でして




それを

「島津の退き口」
ならぬ

「(昼飯)喰わずの退き口」



というとかいわないとか…笑





ああ…お腹が空いた!!…苦笑













関ヶ原の戦いの史跡めぐり…西軍の陣跡…宇喜多秀家陣跡と小西行長陣跡と関ケ原の戦いの開戦地と…

2019-06-26 06:10:20 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…


前回に続いて今回も…西軍の陣跡を巡る…


東軍の陣跡は
街の中に…ぽつんと石碑と案内看板があるだけで
当時の面影を妄想するのは
なかなか困難であるけれども
西軍の陣跡は
山の中、森の中にある場合
が多くて


東軍の陣跡よりも
ウンと…ウンと…妄想に浸りやすい…



さてさて今回
まず紹介するのは


西軍の副大将
宇喜多秀家の陣跡…











開戦地にめちゃ近い


天満神社の境内にありました…














なんでも

1万7000人もの兵力を率いて
戦った宇喜多秀家


このけして広くない境内に
1万7千の兵が…ひしめき合ってる図を勝手に想像しちゃいましたが…






…何も武士が境内の中でひしめき合って、おしくらまんじゅうしている必要性は全くない訳で…




この場所に
1万7千人の武士がいたことが信じられないくらい
ひっそりとした境内の片隅に
宇喜多秀家の陣跡の
石碑がありました…










宇喜多秀家隊が
対戦したのは福島正則隊
必死に…一進一退の応戦を繰り返すも

小早川秀秋の裏切りによって
状況は一変…



宇喜多隊は…味方だと思っていた
小早川隊が襲い掛かってきたことに
さぞかし…


った…
うきった…
うきたった???に違いない…



もう…小早川隊が襲い掛かる前から


うきた(宇喜多)…もとい…


いきた(生きた)…気がしなかったに違いない…


さらには


うきたい(宇喜多い)…もとい…


なきた(泣きた)い気持ちだったに違いない…



小早川の裏切りを知り
小早川隊が…
速攻で襲ってきたのをみて
宇喜多(うきた)秀家は

「もうきたか…」と呟いたに違いない…


読者のみなさんは
このしょーもない
オヤジギャグの連発に…


もう…うきた(宇喜多)…


もとい…



もう…あきた(飽きた)と思われるので

次の陣跡へ…




小西行長陣跡











東軍の田中吉政・筒井定次と戦い…
真っ先に開戦の狼煙をあげたのが
小西行長隊…


さてさて
その目の前には
開戦地の碑が…








関ヶ原の戦いは…
決戦当日の八時過ぎ松平忠吉・井伊直政らが物見と称して
福島隊の猛将可児才蔵を騙し、宇喜多隊に発砲したのがきっかけ…


と訊いていたので


となれば…
開戦地は宇喜多隊のいた
天満神社の辺りかなともちょいと思ったけど…


いやいや
どうやら小西行長の陣は
天満山の中腹に陣をはったらしいんですが…
後に村人らがここに大きな溜め池を設けたため
当時の陣地は池の中に没したと『関ケ原合戦図志』に紹介されているとか…



となれば
松平忠吉が宇喜多隊に発砲したのがきっかけ…というのも
頷ける!頷ける!!



この開戦地で

時空を超えて
この時…実は…私も戦っていた…????








それは…
腹痛と…苦笑…




ここのそばにあった
小西行長の陣跡を通り過ぎた
西田運動広場の
トイレ…

めちゃ綺麗だったのです…
進んで使用したくなるような…




私の
小西行長の陣跡…に行った印象…


それは…


トイレがめちゃキレイ!!
その一言に尽きる…笑




小西行長の陣跡のトイレが
キレイだったことで…
腹痛を我慢することなく…
私は…勝利したのである!!



勝った瞬間ふと時計をみた…


そして
小西行長の陣跡をみて呟いてみた…


10時か…(じゅうじか…)」









????

この高度なオチ…
分かってもらえたかな????



小西行長は
キリシタン大名だったのよ…笑











関ヶ原の戦いの史跡めぐり…西軍の陣跡…大谷吉継陣跡とお墓と…小早川秀秋のいてた松尾山を眺めることのできる眺望地へと

2019-06-25 06:26:14 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…


今回は…西軍の陣跡を巡る…



東軍の陣跡は
街の中に…ぽつんと石碑と案内看板があるだけで
当時の面影を妄想するのは
なかなか困難であるけれども

西軍の陣跡は
山の中、森の中にある場合が多くて




東軍の陣跡よりも
ウンと…ウンと…妄想に浸りやすい…




今回まず紹介するのは


平塚為広の碑…









大谷吉継陣跡や大谷吉継墓がある藤川台の東麓にある
平塚為広の碑…






正直ここに来るまで
平塚為広って誰???って感じで
まったくもって知りませんでした


…ので
ぐぐってみると

盟友である大谷吉継の配下として参戦

身体の不自由な大谷吉継に代わって
大谷軍を指揮したこともあり…


小早川秀秋および脇坂らの寝返りによって苦戦に陥り、奮戦も虚しく戦死したとのこと


為広が吉継に送った辞世の歌

「名のために捨つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば」



それに対しての

大谷吉継の返歌

「契りあれば六つの巷に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」



二人は
武将と家臣といった関係以上の友情で
結びついていたのかもしれませんね…




私の妄想の中で浮かび上がる



あの世で…そう…あの世
大谷吉継と平塚為広が酒でも飲みながら
語り合っている姿が…



あのよ…俺、小早川秀秋は裏切ると思ってたんだよね…」

あのよ…だから、じっと小早川秀秋のいた松尾山をみてたのよ…」

あのよ…でも俺、視力悪かったじゃん…
あのよ…だから、こっちへ攻めてくるのを気づくのが遅かった気がするんだよね…」




あの世で…そう…あのよ…って…あのよって…呟きながら…苦笑




続いては
藤山台の山道を行く!!









ちょっとした
森林ハイキング



…といっても


山道は

登って…登って…
ひたすら登ってばかりだけど…


着いたと思ったら
まだこの先…だったりして…








大谷吉継の…
当時の武士の苦労が僅かながらも
実感できる…




こんな山道を
鎧をきて…
あの重そうな火縄銃を担いで
登ったんだよな…


それも…
こんなふうに道も整備されていないのに…





約15分ほどは登っただろうか…


ついに到着

大谷吉継顕彰碑










大谷吉継の墓









 
その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っていました…










大谷吉継隊は

前面から東軍
側面からは東軍のスパイのような行動をみせた脇坂隊
後ろからは裏切った小早川隊が襲いかかり
包囲され、壊滅!!


大谷吉継はこの時
なんでもハンセン病を患っており
敵に首を渡すことを恥として


自害したとのこと…


その際

側近の湯浅五助に首を討たせ


湯浅五助は吉継の首を陣から離れた場所に埋めたそうな…



しかし埋め終わった直後に、敵である藤堂高虎の軍の配下、藤堂高刑にみつかってしまう…


ここで湯浅五助は藤堂高刑に

「私の首の代わりに、大谷吉継の首をここに埋めたことは秘してほしい」


と懇願し



藤堂高刑はそれを承諾して
五助の首をとったとか…

その後
徳川家康のいる本陣に赴いた
藤堂高刑は湯浅五助の首を差し出したところ…


その際…
大谷吉継の首は??と尋ねられるも

藤堂高刑は、大谷吉継の首を差し出せば
大手柄であったにもかかわらず…
湯浅五助との約束を頑なに守って
大谷吉継の首のことを語らなかったとか…



歩くことさえままならないハンセン病を患いながらも
この山中で戦い抜いて
最後まで武士道を貫いた大谷吉継


大谷吉継の命を
自分の首を差し上げても主君大谷吉継の名誉を守り貫いた
湯浅五助



そして

徳川家康に
大谷吉継の首の在り処を知ってたはずだ!と問われても
「湯浅五助との約束なので、家康さまであっても言えません!!」と
武士道をまさに貫いた藤堂高刑



三者三様の
ドラマがこの地にあって
私のような妄想歴史マニア…にとっては
ただ…お墓が…顕彰碑が建ってるだけの場所なのに…


実に感慨深い…



また頑なに口を割らなかった藤堂高刑を非難することなく
「武士道」を貫いたことを感服してか
徳川家康はこの藤堂高刑に褒美として槍と刀を与えたとか…


藤堂高刑の主君
藤堂高虎はこの藤堂高刑を敬い、
大谷吉継の首を埋めた関ヶ原のこの地にお墓を建てたとのこと…


敵方の
藤堂高虎がお墓を建立…

藤堂高虎も
大谷吉継に生きざまに感銘を受けてたのかもしれません…


なんたって
私も…この地で
妄想に浸りながらも
感銘を受けているから…???



さてさて
お墓からまた林の中を
5分ほど歩いたところにあるのが


大谷吉継の陣跡







この地で


前面から東軍
側面からは脇坂隊
後方からは裏切った小早川隊が襲いかかってきたんだ…



さらに
もう少し進んだところに
ある松尾山眺望地









おお…
小早川秀秋のいた
松尾山がみえる!みえる!!







ここで
小早川秀秋の動向を気にしながら
東軍と戦っていたのですね…




ここで
私…
大谷吉継になることができました…???…笑


顔をハメないと
湯浅五助に首を討たれた状態になったまま
立ってる気がしたので…
ここは顔を出さないと…


それにしても
顔を出して写真を撮れば
実に弱そうな…汗
武将ですが…










大谷吉継になったつもりで
松尾山を眺める…




小早川秀秋に裏切られ
あの山から小早川隊の1万3千の兵が襲い掛かってくる図を想像してみる…


近すぎる!近すぎる!!





秀秋の兵1万3千が
この山を下り突撃…
その大軍を麓まで撃退すること三度



遂に総崩れとなり
吉継は自刃することとなる…




なんか顔出しパネルに顔を出して
松尾山を眺めていたら


攻寄る
小早川軍隊の兵の声が聞こえてきたような…



大谷が、ここに、おったに…(大谷が…ここに、おおたにおったに…)」


汗…




その後の展開は
歴史の史実とおり…


あれれれ
大谷吉継の首がない!!!









自害したときは
そばに
湯浅五助が…そばに


おったに!!」(大谷!)…汗











関ヶ原の戦いの史跡めぐり…脇坂安治陣跡に行く!!

2019-06-24 05:42:47 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…

名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとにある
ひっそりとした森の中にある









「脇坂安治陣跡」









小早川秀秋隊が寝返ることを知ると



脇坂安治は

近くを守っていた、朽木元綱、赤座直保、小川祐忠とともに、東軍に寝返り
大谷吉継隊・平塚為広隊らを追い詰め、壊滅させたとか


そもそも
この脇坂安治隊


小早川秀秋が寝返る…裏切るかも知れないと

そもそもが
大谷吉継とともに
小早川秀秋の監視役として
ここに配置され

西軍は…この脇坂安治隊が
小早川秀秋がもし寝返ったならば
大谷隊とともに迎え撃つ計算…だったのに


大谷吉継としては
想定外の出来事…だったんでしょう!!





実は
この寝返った4武将の中で
一番処遇が良かったのはこの脇坂安治


というのは
同じように裏切った
小早川秀秋や
朽木元綱、赤座直保、小川祐忠の3武将と違って

初めから,寝返ることを
東軍、徳川家康と内通、約束してたらしいんだな…

東軍・藤堂高虎による手はず通りに…



だから
裏切りとか
寝返りとは違う…


まるで
スパイのような動きを
スパイのような動きを
スパイのような動きを

関ケ原の戦いでみせた


脇坂安治

そうだ!

脇坂安治は
日本の「ミッションインポッシブル」


イーサン・ハントだ!!???






笹尾山にて
石田三成が家臣・島左近に言った…



「なに、脇坂安治が東軍と内通してたのは本当か!!??」



島左近は…
石田三成に向かってこのように言ったとか言わないとか…



イーサン ホントだ!!」



島左近は
石田三成のことを
「イーサン」と呼んでいたかどうか???は
定かでないけど…



万一、島左近が将軍、石田三成を
馴れ馴れしくイーサンなんて、気軽に声を掛けてしまったとするならば…


島左近は
心から思ったに違いない


しまった(った)!!」と



そんな…こんなで
脇坂安治のスパイ行為??で
西軍は壊滅的になり



石田三成は最後に
きっとこう叫んだに違いない!!


コーサン ホントだ!」と


降参 本当だ!」



ただ…森の中に陣跡の碑があるだけだのに


まさに妄想が
やめられないとまらない
かっぱえびせん状態の私
なのです…苦笑










関ヶ原の戦いの史跡めぐり…本多忠勝陣跡、西首塚、藤堂高虎・京極高知陣跡、福島正則陣跡へと…

2019-06-23 06:15:02 | 歴史史跡
関ヶ原の戦いの史跡めぐり…
続いては関ケ原町の街中をウロウロと

最初は東軍の武将の陣跡を攻めようかと


今回まず紹介するは


本多忠勝陣跡


もう…驚くことに

民家と民家に囲まれた場所に
ありました…

この近くに住んでたとして
こんなところで
武将がたくさんこぞって
ドンパチやられたりしてたら
ろくろく寝てもいられないだろうなあ…と思えるような



民家と民家に囲まれた
細い路地の片隅に…
民家の裏庭のような小さな敷地にありました…



















「徳川四天王」のひとりに数えられた徳川家の重臣である
本多忠勝



本多忠勝は
松平・井伊隊の敵だった島津隊に向かって進撃したとか…


さらには


西軍敗戦後の
島津隊による敵中突破

を食い止めるため、
井伊直政、松平忠吉らと共に戦い




本多隊は烏頭坂
で島津義弘の甥、
島津豊久を討ち取るという手柄をあげたとかあげてないとか…
(どっちやねん!!)



まあ一言でまとめるなら


本多忠勝
ただ勝つ」のみ???


なんだこのしょーもないボケ!!

このボケに


ただ…喝!」


…をば…汗




続いて寄ったのは


西首塚












当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により
関ヶ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬した場所



石碑をよく見ると首塚ではなく胴塚と書かれており



首のみならず
胴も埋葬したのでしょうね…


西軍の兵が西首塚に
東軍は東首塚にそれぞれ埋葬されているとの説もありますが
西軍はおそらく相当な死者が出たと思われることから
東西区別なく埋葬している可能性も高いのかも…


現在は
周囲30メートルほどの
小さな塚ですが
JR東海道本線の敷設の際に
埋葬されていた白骨が大量に出たところから
当時はもっと広い相当な規模の首塚だったんだろうなって…



つい…つい…
妄想してしまう!!!



ここは本多忠勝になった気持ちで???


ただ…ただ…喝!…
じゃなくて


ただ…ただ…合掌!!






続いては
藤堂高虎・京極高知陣跡



驚くことに
関ケ原中学校の敷地内にありました…



















私は
実は
藤堂高虎は…西軍の武将だったのでは
とずっと誤解していました…



だって
藤堂高「虎」




「虎」といえば
阪神タイガース…
「西」に決まってるので…苦笑



藤堂隊・京極隊は、戦いが始まると大谷吉継が指揮する諸隊と戦い
藤堂高虎から調略を受けていた脇坂安治らも寝返り
さらに寝返った小早川秀秋の隊とも合流し、東軍を勝利へと導いたとか…




いやあ…
関ヶ原中学校で…勉強させていただきました…


ところで
京極高知といえば


AV女優あいだももさんと結婚し
別れた後は
高島礼子さんと再婚
覚醒剤と大麻所持の容疑で逮捕された???



???

それ
高知東生さんやないか!!



もう…1回…
この関ヶ原中学校で
歴史の勉強をした方が…



はい…ここの案内看板で勉強させていただきました…


京極高知

関ヶ原の戦いの功により丹後国12万石を与えられ
のちに宮津城主に…
それが京極高知なんですね…



藤堂高虎は東軍
京極高知は覚醒剤と大麻所持はやってない…




今まで勘違いしてた??
こんな大切なことを2つ学べた


ここ関ヶ原中学校のこの地にて


勉強させていただきました…笑



続いて紹介するは


福島正則陣跡











住宅地の中
春日大社の境内にありました…












東軍陣地の中で
一番西軍陣地に近く、さすが猛将福島正則といった感じがします…
秀吉にかわいがられていた大名でありながら
関ヶ原の戦いでは石田三成とは対立関係にあったため
東軍として参戦!
井伊・松平隊に抜け駆けされ
一番鉄砲の功名を井伊隊に横取りされるや
福島正則自ら鉄砲隊を指揮して、宇喜多隊に一斉射撃を浴びせる…


境内にある杉の木は
関ヶ原合戦図屏風にも描かれている
有名な天然記念物

月見宮大杉











樹齢800年余り…
ということは
約400年前の
火縄銃を使ったこの戦いを
このの木は…みていたのでしょうね…

宇喜多隊への一斉射撃を


「いくらなんでも、やりすぎ(杉)とちゃう!」って思ってたのかも知れないし…


戦禍に囲まれて

過ぎ(杉)たことは、くよくよしてもしゃーない」って思ってたのかも知れないし…



御神木
御神木…と思って触れてみる…




そんな「杉」
私に語り掛けたような…






「あんた!呑みすぎ(杉)とちゃう!!」…汗











関ヶ原の戦いの史跡めぐり…桃配山と…山内一豊陣跡と…

2019-06-22 01:02:56 | 歴史史跡
岐阜県は
関ヶ原…



関ヶ原の戦いで
関ヶ原の地名は知ってても
そこが何県にあるのか知らない人もいてるかもしれないから

このブログに遊びに来てくれてる人の
教養が少しでも身に付いていくようにと


岐阜県は
関ヶ原…

岐阜県は
関ヶ原…


と繰り返し



今回のブログは
その
関ヶ原の合戦跡をめぐる旅

ここ最近のブログにも書いたけど
島津義弘の「島津の退き口」なんて
興味が注ぐし



自害せざる負えなくなった
大谷吉継のこと…



その原因となった
裏切りの小早川秀秋のこと


などなど…




史跡を巡って

妄想しながら
420年前のことに
想いを馳せるには…絶好の



私のような…
妄想歴史マニアには
タマラナイ場所…



今までにも
笹尾山石田三成陣跡や
桃配山徳川家康陣跡など
有名なところは
ちょこっと…足を運んだことがありますが…



この機会
関ヶ原町にある
関ヶ原の戦い跡を完全制覇しよう!!と
関ヶ原の戦い跡を完全制覇しよう!!と
関ヶ原の戦い跡を完全制覇しよう!!と





そう目論んで
町の中をあちこちウロウロした
旅の記録をば…ここから何回に分けて
報告します…



とか言いながら
すでに
「島津の退き口」鳥頭坂のことは
ブログにアップしてるけれどね…


まずは
…ここは以前にも行ったことがありますが
東軍は
徳川家康の最初の陣跡
桃配山へ











桃配山という山の上なので
この山??を登る!登る!!!
といっても
割と…すぐに…
陣跡についちゃうけど…









ここは672年に起きた壬申の乱のとき
大海人皇子(後の天武天皇)野上の行宮から
ここ不破の地に出陣して
この場所で名産の桃を全兵士に配った伝説があるそうな…



だから
桃配山って地名がついたんだって


ってことは
栗を配ったら
栗配山
だったんだろうな…


柿を配ったら
柿配山
だったんだろうな…



万一
思いやりを配ってたら

「心配山」…



戦いに勝てるかどうか
心配…ってことは…

大海人皇子(後の天武天皇)は
壬申の乱で
大友皇子に負けて
歴史が変わっていたかもしれないな…


おお…得意の妄想癖が…苦笑



なんでも
徳川家康は
この大海人皇子(後の天武天皇)の勝利に
験を担いで

この地に…陣をはったそうな…


そーいえば
2019年6月13日に書いたブログ記事
「コモエスタ(美濃)赤坂??…赤坂にある関ケ原の合戦の岡山本陣跡…そして安楽寺に行く!!」
の記事で紹介した

美濃赤坂の岡山本陣跡にも
同じように
大海人皇子の験を担いで
その地に…陣をはったようで…



徳川家康は
きっと
大海人皇子のことがめちゃ好きだったんだろうな…ということ???が
思い描かれます…



なんでも
この石…
徳川家康が座ってたようで











ひょっとしたら
大海人皇子が桃を配るのに
使ってた石かも知れないけど…


ここは徳川家康になった気分で
石に座ってみる…






もし…
もし…時空をこの瞬間超えて
大海人皇子が配ってる桃を私のお尻で
潰してたらごめんよ!ごめんよ!!

おおいにあやまっておく!!




おおあやまりの皇子


もとい…



おおあまの皇子



だけにね…



汗…汗…気を取り直して…と
ここから…石田三成陣営…
笹尾山をみようとしますが…
老眼の私にでも
ちょいと遠すぎて…遠すぎて……






続いては
桃配山を下りて
家康の陣跡の一番近くにある陣跡

山内一豊陣跡


関ヶ原宿の看板のある






これは

六部地蔵









痛みの酷い病気を治してくれる
お地蔵さまだとか…


これから
関ヶ原の戦い跡をあちこち歩き廻るから
足の痛みが起きませんように…と…


さらに日々抱える
この腰の痛み
頼むよ!!


ついでに…ヤマのよーな仕事からくる
心の痛みも…???
頼むよ!!





と合掌した

六部地蔵を通り過ぎて


山内一豊陣跡

「桃配山」からもほど近い
旧中山道松並木が並ぶところにありました…
















徳川家康の近くに
陣をはったということは
おそらく徳川家康からの信頼は相当厚かったんだろうな…
ということが想像される…



関ヶ原の戦いにおいて
有名なのは
山内一豊の
妻千代の密書のこと

千代は家臣に自分の書いた手紙と
三成からの勧誘の書簡を預け
関東に遠征している一豊の元に送らせます


妻からは
三成からの勧誘の手紙は封を開かずに
家康に差し出し
自分からの手紙を読み上げて
家康に聞かせてほしいと…

そこには三成が挙兵したことを知らせが…


このことが
山内一豊への信頼を厚くさせたようで…


そうそう
関ヶ原の戦いから
時代は遡るけど






「内助の功」



という言葉は、山内一豊の妻・千代が
お金のなかった一豊の馬を買うために
持参金の黄金十両を差し出し
その馬が織田信長の目にとまり、夫の出世を助けたという話から来ているとか…


さあ…
ここからは
実際に武士たちが戦った戦場跡
関ヶ原の街の中へと


車をぶっとばす…????



それ
「「内助の功(ないじょのこう)」やなくて


「ない!じょこう(徐行)」やないか!!!


あ、実際は
道路交通法をちゃんと守って…笑


















「栄ミナミ音楽祭2019」…ナディアパークの2Fアトリウムのステージで小松原沙織さんのライブ!

2019-06-21 07:00:44 | ライブ
「栄ミナミ音楽祭2019」

矢場公園にて
「ケイタク」
千綿偉功さんと
連続してステージを楽しんだ後は
当然飲みたくなるのは…苦笑



まだ、真っ昼間ですが…
まだ、真っ昼間ですが…
まだ、真っ昼間ですが

ご機嫌な音楽が肴になるとなれば


やっぱビール



颯爽と

コンビニに買いに行く!!!




千綿偉功さんのステージが
終わって




次の私の楽しみは
矢場公園のステージで



次の次の次に歌う…
要は
約1時間後に歌う…


伊藤秀志さんと三浦和人さんとのデュオ
「八事交差点」
だったんですが…




そのビールを買った後
ちょいと館内だったので
強烈な日差しもないので
何気なく立ち寄った
ナディアパークの2Fアトリウムのステージで
歌ってたのが

小松原沙織さん



実は…全然知らなかったんだけど
まったくもってどんな歌い手さんなのかも知らなかったけど…
みるのも…完全な…お初だった…んだけど…


思わず足を止めちゃって
じっと見入っちゃった…



のが

小松原沙織さん



ステージでは
なんとも摩訶不思議な…魅力を放っていて
彼女の魅力に思わず…惹きこまれたというか…


あの…軽快な…ご機嫌な音楽

ちびまる子ちゃんの歌…

B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」

を…鍵盤の弾き語りのスタイルで


フツーに明るく元気に歌うんじゃなくて


ジャズっぽい…
優雅な…アレンジで
しっとりと…しっとりと…
歌っているのよ!!


さらには
素晴らしいのは…
歌を歌っているときの絶妙な間…
言葉と言葉の間の余韻を
自身が楽しむかのように…

そして
サビでは抑揚をつけて
見事に高らかに歌い上げる!!!



いやあ…
なんかめちゃめちゃ惹かれるものがあって
思わず…立ち止まっちゃって
聴き入ってしまった訳



栄ミナミ音楽祭には
2年ぶりの出演とのこと
東京からきました…と語って



次の曲は


「これが私だから」


語り掛けるような
絶妙な間を活かして…繰り出される歌詞…
歌の中盤の躍動感…それはなんともいえぬ独特の世界観


後半にいくにしたがって
ときどきシャウトしたりと
唄に抑揚をつけて

歌の後半は…急展開…
実にドラマチックな展開へと…



まるで
映画をみているかのような
摩訶不思議な世界観…


♪私はあなたと一緒にいたいだけなの~





と叫ぶ!叫ぶ!!
シャウトする…

そして
静かなサウンドで
エンディング…



この1曲に
「起承転結」
映画のような…ストーリーが
浮かび上がり…
そのストーリーはうねりをもって
歌の中で…展開していくのよ!!!


それは
もう圧巻のステージ



今回で栄ミナミ音楽祭には3回目の出演であること…
で毎回ここを通るたびに
ここで歌いたいと思ってたこのナディアパークのこのアトリウムで歌えてうれしいと語り

さらに
いろんな曲を作ってるんだけど
みなさんの生活に寄り添った親近感の湧くような曲もいろいろ作ってると語って
その中で、私と卵との思い出の曲をと…



「卵はうまく割れない」

これまた
なんとも言えない
摩訶不思議な世界観…

たかが卵をテーマに
こんなに熱く??歌うなんて…驚!


小松原沙織さんの描く
独特な世界観に惹きこまれる!惹きこまれる!!



疾走感溢れるサウンドにのって




♪卵はうまく割れない~





と…このサビのフレーズを
繰り返し…熱く歌う!歌う!シャウトする!!

その歌の抑揚は
もう圧巻で…



歌の後半は
卵での料理を次々と語って…

歌のラストは
♪卵はうまく割れない~

…とびしっと決める!!


たかが卵がうまく割れないだけのことなのに
歌を聴いてて
興奮してくるような…このゾクゾク感
凄すぎる!!


MCは
物販の紹介…
「卵はうまく割れない」の楽譜が売ってるそうで
英才教育にご活用くださいと…笑



だいぶ日が落ちてきてイイ感じになろうとしています
まだ時間的には早いかも知れませんが
きっとみなさん、好きな方も多いと思います…お酒の歌を…



あれれれ??私が手にしているコンビニ袋に入ってる
ビールを見透かされているのかな…なんて思いつつ


「酒がうめえ」




ジャージーな
優雅なサウンドにのせて
歌われる言葉は
その優雅さとは程遠い「酒がうめえ」…


自然発生する手拍子…


本当に酒が呑みたくなる…笑
そんな歌…



なんか曲の雰囲気とは違って
唄はあか抜けていて
どこまでも「開放的」で
歌の中で「静」と「動」の目まぐるしい展開が
実にお見事で…




物販の紹介
ここでは「酒がうめえ」の曲にあやかって
「酒がうめえ手ぬぐい」を作ったと紹介して

先月からスタートした
CBCラジオの深夜番組「小松原沙織の夜間飛行」
毎月第4日曜日深夜25時
音楽の生演奏もある1時間番組
ぜひ聴いていただけたらと語って
ラストの曲は


「花が似合うよ」





しっとりとしたバラード
情感込めた独特な歌の世界
後半の盛り上がりはドラマチックで

初めてみたけど
何度も味わって聴いてみたいと思えるほど

メロディーラインは
優雅で…美しく…


で…ライブは終了




なんか一筋縄ではない…
摩訶不思議な世界観…を放つ
癖になる歌の世界…

小松原沙織さん!!
今年の栄ミナミ音楽祭で出会えた
初めて知った
素敵なアーティスト

これからチェックしようと…



ただこの歳になると
なかなか人の名前が憶えられないので…
というよりも
すぐに忘れちゃうので…苦笑





忘備録のつもりで
今回
このブログに書き残してみたんだ…



これで…絶対忘れない!!???







…か…どうかは実は自信がなかったりするけど
少なくとも
彼女の歌を聴いた後に呑んだ
ビールのおいしさは絶対忘れない…


なんせクソ暑い日だったんで…





一言

「酒がうめえ」

…笑