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理想・願望・エッセンス?



Matteo di Giovanni (-1495)
The Assumption of the Virgin around 1474
(写真が下手クソで申し訳ないです)


雨宿り・時間つぶしで、ロンドン、ナショナルギャラリーの1200年から1500年あたりの絵画を集めたセクションへ立ち寄った。

わたしはこのセクションが好きだ。
この時代・地域の人々の「理想」や「願望」「エッセンス」が(他の時代に比べて表現の多様性が比較的狭く)、浮かび上がって来、タイムトラベルをしているような気持ちになるからだ。

ふと、特に魅了されるわけでもない15世紀のマテオ・ディ・ジョヴァンニのこの絵など良い例かと思った(ざっとフィリッポ・リッピやフラ・アンジェリコと同時代)。
芸術はもともとどういう出自なのか、という個人的な問いへの解答としてだ。

『聖母の昇天』。

現実にこのシーンはありえない。聖書にあっさりした記述があるだけで、誰も実際に見たことはない(たぶん)。
ルネサンス時代人が天使の存在を信じていたにしろ、だ。
そして19世紀に写実主義のクールベが、「天使を描いて欲しい? じゃ、天使を探してここに連れて来てよ」と言ったというのは有名な話。

聖母が音楽を奏でる天使に囲まれて昇天せんとしている。
足元には「疑い深い」トーマス(キリストの復活をも疑った)がいて、聖母の帯をつかもうとしている。
頭上にはイエスが手を広げ、その周りには先祖(ダビデ)や預言者(洗礼者ヨハネ)らが聖母を迎えている。

聖母は画家が思いつく最も美しい姿形をし、最も美しい着物をまとっているだろうし、天井のものである天使らもしかり、彼らが奏でる音楽は地上では聞けないような美しい音色なのだろう。

おそらく、存在しないものにありありとしたリアリティーを感じ、描くことによって我々は人間になった。

なぜこういう絵が必要になったかといえば、人間が「時間」の意識を持ったからである。

生きている今現在だけでなく、過去を思い出し、未来を思い描く能力が備わったからだ。人生が苦楽に満ち、儚く、死への不安があるからである。
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