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woolf works あるいは「いま死ねば、このうえなく幸福だろう」 




マチネ終了後、オペラ・ハウスの暗がりからコヴェント・ガーデンに出たら、ロンドン上空はひさしぶりに青く輝いていた。

その空は、今ロイヤル・バレエで見たばかりの『ダロウェイ夫人』(ヴァージニア・ウルフ著)が、パーティーの朝、花を買いに行こうとロンドンの家を出て見上げた空のようだった。

「なんてすてきな朝だろう。海辺で子どもたちに吹きつける朝の空気のようにすがすがしい。なんという晴れやかさ! 大気のなかへ飛びこんでいくこの気分!」(『ダロウェイ夫人』丹治愛訳 集英社文庫、2007年)11ページ)


ロイヤル・バレエで1日から始まったWoolf Worksは、ヴァージニア・ウルフの3作品(『ダロウェイ夫人』『オルランド』『波』)から生まれた。

ヴァージニア・ウルフ/クラリッサ・ダロウェイ役がMarinanela Nunezで、会場は否が応でも盛り上がった(わたしが見たのは1日のリハーサル)。




小説『ダロウェイ夫人』は、わたしがいまさら解説をするまでもないと思うが、当時注目されていた「意識の流れ」の手法で描かれた、主人公クラリッサ・ダロウェイの一日。

小説の「形」に整理された時系列と空間とはっきりした意見にまとめられた書き方ではなく、われわれ人間の思考がそうであるように、話はあっちに飛び、こっちに飛ぶ。

「万能の語り手」は、登場人物それぞれの意識を借り、その人物がブツブツ語るのを観察し著述し、離れる。
そしてすべての登場人物を「ブツブツ語り」でつなげつつ、固有の人物像を造形していく。
人間は他者との関係においてしか存在できない、関係の糸の結び目のようなものなのである。

そうだ、もしかしたら俳優やダンサーとは「万能の語り手」のようなものなのかもしれない。

ヴァージニア・ウルフかつクラリッサ・ダロウェイ役のMarinanela Nunez...
実在の作家のウルフかつ架空の人物ダロウェイ夫人...


その点においても、舞台装置は秀逸だった。
ゆっくり回転する巨大な窓わくは、過去を眺めるトンネルとしての「窓枠」であり、同時に「本」の形をしているのである。

ヴァージニア・ウルフは、「登場人物たちの背後に美しい洞窟を掘る」ことによって、過去を「現在の瞬間」に浮かび上がらせるこの手法を、「トンネル掘りのプロセス」と語っている。

彼女は「現在の瞬間」を愛した。

「いま死ねば、このうえなく幸福だろう」と。
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