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果物、完璧な味と香り、色とかたち




わたしの好物はお鮨と果物。

果物はなんでも大好き、柑橘系には目がない。

ライムも、ほら、この美しい緑の皮の色、表面のぷつぷつ:精油を貯める袋(油胞)、ここにナイフを入れたら袋が裂け、揮発性、可燃性の液体が香りたつ。油胞の中にはリモネンなど、柑橘系の精油成分が凝縮されているのだ。

続いてナイフに力を込めると、果汁がしたたりはじめる...

爽快!




果物のかたちそのままのケーキでした。
by Cedric Grolet。
パリ本店がロンドンのホテル・バークレイにも去年出店した。もうパリまで食べに行かなくていいのだ(わざわざでも行きたいけど)

わたしはもちろん日本のケーキすべてが世界一だと思っているが、Groletのケーキがその頂点と言って過言ではない。
Groletさんはインスタ上で魅惑的で破壊的に甘いクロワッサンやビスケットで有名になったものの、原点はこの果物の形のケーキ。全く甘くない。日本人もびっくり。お茶よりもむしろお酒に合いそうと言えばいいだろうか。

ライムは皮の質感まで完全に再現してあり、割ると中からライムが出てくる...
タルトシェル、ライム・ガナッシュ、ライム・ジェル、ライム・ペースト、アーモンドとタラゴンのクリームなどなどから構成されている...

今の季節は他に洋梨、桜&グレープフルーツなど。

もうすぐやってくる大好きなフランボワーズやさくらんぼの季節も待ちどうしい。




わたしは写真集(ケーキの本)も持っている。いつか挑戦するのだ(無理)。

ケーキ作成の様子が動画にも上がっており、ケーキを作っているというよりは、陶芸やガラス工芸をしているように見える。




こちらは洋梨。
ムースの中には、洋梨果肉のざらっとした舌触りまで再現されている。
こちらも割ると中から洋梨が溢れだす。




桜&グレープフルーツ。
意外な味がする。美しいだけでなく、大変美味なり。




ロンドンのケーキ屋さんといえばもう一軒おすすめがあるので後日その話を熱く語らせてください。
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kissinと『反抗的人間』





昨夜、ロンドン・バービカンでのキーシンのリサイタルは、怒りではなく、抵抗...ではなく...

そうだな、Rebel(カミュ『反抗的人間』の反抗)的リサイタルだった。


カミュの『反抗的人間』は、もちろん反乱と革命を扱ったものであるが、

「極限の状態に置かれ、判断基準に正誤のマニュアルがなときでも、なおそれでも人間は最適解を下すことができるのか」

という最高に厳しい問いをわれわれに投げかける。


このリサイタルはキーシンの下した最適解なのかも...


彼はロシアのウクライナ侵攻をテーマにトリオを作曲し、現在の彼の音楽活動はすべてウクライナの勝利に捧げられると述べている。
ロシアのウクライナ侵攻によるショックは、モスクワ出身の彼を否が応でも政治化したのである。
(新聞で見聞きしたことによると、去年、キーシンは肩を痛めたそうだ)


リサイタルはバッハのクロマティック・ファンタジアとフーガに始まり、続いてモーツァルトのピアノソナタ9番。

クロマティック・ファンタジアとフーガは、大天使ミカエルの怒りの剣のように美しかった。

モーツアルトは(これはいつも思うことなのだが)、モーツアルトに挑むキーシンの無益な戦い...とでも言えばいいのか、いっこうに観客のはしくれであるわたしの方には伝わってこなかった。


しかし、休憩をはさんで鳴り響いたショパンのポロネーズ5番! これぞ聞きたいキーシン。

序奏の不気味さ、じょじょに音が増え、主部に突入していく様子は、天国の門が開いて大天使ミカエル率いる天の軍団が一気に解き放たれたかのような音だった。
と、思うと、整然と進んでいく天使の群れ...そして中間部の悲しみさえ誘う優美さ。

ピアノってこんな音が出るのなら、もうピアノじゃないんじゃないか、というような驚き。天使軍団の中に巻き込まれ、連れ去られ、体温が2度くらい上昇するような。法悦とはこういうものかと。

ショパンの祖国ポーランドは、18世紀から19世紀にかけ、周囲の大国プロイセン・オーストリア・ロシアなどによって侵攻され、分割され、消滅する(分割は20世紀の5次まである)。ショパンの作品には祖国の悲劇を表したものが多い。
このポロネーズは、ショパンによるポーランドの同胞との連帯の表現であり、キーシンはこのポロネーズを演奏することにより、プーチン政権に対する彼自身の抵抗を反映する。今後はこの曲をすべてのリサイタルで演奏するそうだ。


ラフマニノフに捧げられた後半は、モーツアルトとは打って変わり、まるでその中から生まれ出てきでもしたかのように、自然に一体化し、あるいは本能的に、見えた(聞こえた)。


アンコールは3回。Morceaux de Fantaisieから。昨日はロンドンの地下鉄や電車の路線が軒並み激しいスト中だったため、時間に限りがあった。いつもは5回6回、応えてくれるんですがね...

アンコールの最後を飾ったのは、ラフマニノフ本人が(世界的な人気のため)嫌っていたプレリュード。モスクワだけでなく、ロシア全土の教会の鐘が鳴り響く。
これは弔意。
もちろん最高に素晴らしかった!



Johann Sebastian Bach Chromatic Fantasia and Fugue

Wolfgang Amadeus Mozart Piano Sonata No 9 in D major
1. Allegro con spirito
2. Andantino con espressione
3. Rondeau: Allegro


Frédéric Chopin Polonaise No 5 in F sharp minor

Sergei Rachmaninov ‘Lilacs’ from 12 Romances, Op 21

Prelude in A minor, Op 32 No 8
Prelude in G flat major, Op 23 No 10

Études-tableaux, Op 39:
No 1 in C minor
No 2 in A minor
No 4 in B minor
No 5 in E flat minor
No 6 in A minor
No 9 in D major
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あのころ、october 14




先日、ロイヤル・バレエでヴァージニア・ウルフの三部作Woolf Worksを見た。

その時に、このように書いた。

「ヴァージニア・ウルフは、『登場人物たちの背後に美しい洞窟を掘る』ことによって、過去を『現在の瞬間』に浮かび上がらせるこの手法を、『トンネル掘りのプロセス』と語っている。」




その次の日、まったく不思議なことに、2人の方からほとんど同じ内容のメールを受け取った。
まるで過去につながるトンネルの奥から浮かび出てきたような内容だった。

神戸の異人館街に昔あったレストラン&カフェOctober14について2021年に書いているが、何か他に覚えていることはないだろうか、と。

そのメールを読んで、過去が『現在の瞬間』に駆け上ってきた。




2023年。わたしはロンドン南方にある、まさに北野の異人館街に建っているようなスタイルの家の中にいる。

ここにいながら、1980年代も終わりの頃、神戸の港と市街地が眼下に広がる異人館の中のカフェOctober 14にいて、紅茶を飲みながら本を読んでいる(気がする)。
その時に感じていた、空間的に広がるような時間の感覚と、急くような期待感、美や世界への憧れが、蛇口を開けたように溢れ出てきたのである。

今も昔も、異人館街には何か自分が探している時空間や、期待感や、憧れががあるような気がする。
しかし、実際に行ってみても、探しものの後ろ髪さえつかむことができない。それでも毎度、行かずにはいられない。

「何か有るようで何も無い、何も無いようで何か有る」という禅の言葉を思い出す。




先週、ウィーンのオーストリア応用美術・現代美術館MAK見学はたいへん興味深かった。

世紀末ウィーンで発達した「用の美」に従するインテアリアや雑貨の常設展示と、川俣正さんによるアジア展が開催されていた。川俣さんの展示では、ヨーロッパに輸入された日本の伊万里や屏風などの文物が、透明のトンネル状の展示室に置かれていた。

19世紀の西洋のインテリアや雑貨が神戸や横浜を介して日本へ入って来、日本の文物がヨーロッパへ渡ったことが可視化されている美術館。
神戸港が外国に向けて開港され、外国人居留地が区画されたのは1868年(以後1899年まで)。北野には異人館街ができはじめた。そのころ、英国はビクトリア朝、オーストリアは華やかなりし世紀末ウィーン...

ああ、こういうランプ、こういう椅子、異人館にあるよなあとか、人はこういう未来を夢見ていたのだな、などと...


アドルフ・ロースによる書斎。@オーストリア応用美術・現代美術館MAK



現在は坂の上の異人館の看板を出している、幻のOctober 14に関して思い出をたどる。
わたしが覚えているのは...(もし何か他に覚えている方がいらしたらぜひ教えてください!)


中国大使館として使われていた異人館をそのまま利用していた

カナディアン・シーフード&カフェ(カナディアン・シーフードって何? って感じじゃないですか)
ケーキに定評があった

1階、2階ともいわゆる異人館のムードで、えんじ色のペンキが塗られた板張りの廊下にクリーム色の壁(<記憶に自信なし)

神戸の海と街並みが一望できる2階の窓際の席が常に人気

アクセサリーなどの販売をしていた 
書籍やポストカードもあった(ような記憶)

ポットでサービスされる紅茶800円。4種類
ディナーコースは4000円からの設定

ランチタイムは11:30から14:30
ティータイムは16:30まで
火曜日定休 
078ー241ー6113
(以上具体的な数字は93年ごろの情報。日記が残っているため)

当時の写真も手元に残っており、壁には蔦が絡まり、低めの門が美しく、今の「坂の上の異人館」(上から2番目とすぐ下の写真)とは似ても似つかぬ外見である。

ジュエリー企業4℃の経営が関係していた(確実)。

アパレル企業のワールドが経営に関わっているという話も聞いたことがある(自信なし)。




1995年に発生した阪神・淡路大震災により、異人館の約3割は倒壊・解体されたが、まだ40棟ほどが現存、保存措置が講じられているそうである。

北野の坂道を歩けば、安っぽい飾り付けをした館もあれば、崩れおつるにまかされている館もある。どちらを見ても胸が痛む。

いつかわたしが長者になったら、半壊した建物を含めたら60棟あるという(公開されているのは15棟のみ)異人館のひとつを買い、ファサードや窓枠や暖炉やパーケットの床は残し、近代化できるところは思い切りそうして、ヨーロッパを思いながら生活しよう。
子供に無料で英語や文化を教えたり、逆に新しいことを教えてもらったり。
一角を「ベルギー風カフェ」にして、夫を亭主にしたて、コーヒーとワッフルを出す店をしよう...

名前はNovember 5にしよう。


そう思った翌日、神戸新聞に「北野ガーデン閉館」のニュースが踊った。


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村娘の衣装で春を祝う




ディアンドルDirndl。

ヨーロッパの愛らしい民族衣装。
ジゼルも、スワニルダ(コッペリア)も、ハイジも、マリア(サウンド・オブ・ミュージック)も着用している。バイエルンとオーストリアをはじめ、アルプス地方一帯の伝統的なドレスである。




ウエストをバルコネのボディスでしめつけ、胸を強調、ふんわり広がったスカートに大きなリボン、胸元には白いフリルやレース、エプロンつき...かわいい、かわいい、わたしも着てみたい。




もともとは各国にまたがるアルプス地方の農民の服装だったが、18世紀の宮廷で取り入れられ、19世紀には都会のファッション・シーンを席巻したそうだ。
普通、流行は上から下へ流れるものだが、こういう現象もあるんですね!

18、19世紀にはナショナリズムと自然回帰が大流行した。
典型的な「地元の「田舎」のドレスとして、都会の夏、上流階級の間で好まれたのだ。

フランスの画家ブグローはディアンドルを着た乙女を多く描いており(わたしはブグローが大嫌いだ)、彼の意図はおそらく「純潔」「純真」「素朴」の表現だろう。




実はわたしもディアンドルを着たことがある。
バレエの発表会で村娘役をしたとき、ブルー系のディアンドルのロマンティックチュチュを着た。大切にしてときどき取り出しては眺めていたあの衣装、どこにいったんだろう...

大阪万博のドイツ館では、これを着た金髪の女性がビールを振る舞っていたのも覚えている。




ザルツブルグにも、ウィーンにも、この手のカラフルで魅力的なドレスを売る店はたくさんある。

どこも土産物屋ではない本格的なブティックで、わたしが知らないだけでアルプス地方の人々はこの民族衣装を着る機会が多いのかも。

五月祭では今でも着用するとのこと、今が購入時期、仕立て時期なのかもしれない。
五月祭は古代ローマの祭に起源を持ち、豊穣の女神やニンフに供物が捧げられた。夏の豊穣を予祝するのである。

そういえばジゼルは五月祭で「五月の女王」に選ばれるのだ...




花のような色のディアンドル。
春の到来を祝う。
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ウィーン楽友協会とバレンボイムの永遠





大好きなオーストリアに来ている理由、今回はふたつある。

ウィーン楽友協会 (Musikverein Wien)でマルタ・アルゲリッチのリスト協奏曲第1番を聴くこと。
指揮は年頭に音楽総監督職を辞したバレンボイム。

もうひとつがホテル・ザッハーに宿泊すること...


雪の残る山に囲まれたザルツブルグと別れ、快適な電車に乗って東へ2時間少々、途中でリンツやメルクを通り過ぎ、ウィーンへ到着。




2023年の年明け、ダニエル・バレンボイムはベルリン国立歌劇場ウンター・デン・リンデンの音楽総監督の職を辞した。

火曜日の夜、彼がウィーン楽友協会の舞台に登場するや、観衆はセンチメンタルな大喝采を浴びせかけた。


ブーレーズの揺らぐようなLivre pour cordesで始まり、頭がぼうっとしたあと、舞台にバタバタとピアノが設置され、青い薔薇アルゲリッチが登場。
ピアノのスツールの高さが合わずハラハラした。なぜ誰も合わせて差し上げないの...弘法は筆を選ばないのか、そのまま始まった。




リストのピアノ協奏曲第1番、最初ものすごいミスタッチが(同じ音で2回)あったのだが、決して、決してアルゲリッチはわたしたちを退屈させない...
まるで彼女はいちいち自分の演奏に驚いているかにも見える。大胆で爽快、自分の力に驚きつつバリバリとリズムに乗って突き進む大きな生き物のような演奏だった。
リスト本人が聴いたら絶対喜びそう。


アンコールは年明けベルリンの公演と同じく、ビゼーの『子供の遊び』から『小さな旦那様、小さな奥様』Petit mari, petite femme! を連弾した。
スタンディングオベーションやまず。




インターバル後はこの世のエンドレス、ベルリオーズの「幻想交響曲」。
ベルリオーズ...お好きですか? わたしは...うむ。

当初はチャイコフスキーの「悲愴」が予定されていたものの、バレンボイムの希望でこの曲が演奏されることになったそうだ。

たまたま調べたら

「(リストのピアノ協奏曲第1番)初演は1855年2月17日、ヴァイマルの宮廷で行われた演奏会にて、エクトル・ベルリオーズの指揮と作曲者自身のピアノによって行われた。」そうなのでオマージュなのかもしれない。

が、(失礼な言い方だが)わたしにはバレンボイムが、少しでもこの世での時間を長引かせようとしているように思えた。
音楽は「時間」そのものであるからして。

われわれがこの世の舞台を去った後も楽友協会は存在し、音楽は奏でられるであろう。音楽家こころのー未練ーでーしょおー、と。




終了後は正面のインペリアルのメイン・バアかザッハーのブルー・バアへ行く。
今回はインペリアル。こちらも学友協会同様、ウィーンのチョコレートの包み紙のよう...

そして夜中の街歩きもまた楽しや、ウィーン。
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