第107話 衝動へのカウントダウン

2005年12月31日 13時42分10秒 | Weblog

年の初めにいただいた年賀状を左手に、来年の年賀状を書いていると、
年の初めには予想だにしなかった気持ちの変化に気づきます。
左右に並ぶ2枚の年賀状に時の経過の不思議を感じます。
大晦日、わかっていても今年も終わり…と感慨深く。

今年、劇団カプチーノ第2回公演「しゃべれども しゃべれども」(原作・佐藤多佳子/新潮社刊)を終え、
ご覧になられたお客様からどうしてこの作品を選んだのでしょうか?のご質問をいただきました。きっかけは…
素人OLの劇団旗揚げ一念発起、どうにか第一回公演を迎えたものの、失敗後悔だらけ。
しばらく公演に関するもの台本衣装すべてに触れる事ができずにいました。(※)
そんな時、友人が好きだと言っていた本を思い出し購入、
力がみなぎっていくのを感じながら一気に読みました。
私がこの本からいただいた元気を演劇を通し観客に紹介したい!
次回はこの作品で!この作品しかない!! 熱くなりました。 衝動です。
新潮社への上演許可依頼、舞台監督、演出家~役者への出演依頼、
すべてはこの衝動のなせる技。
公演後打ち上げの席で、演出家の外輪能隆さんがおっしゃって下さった言葉を思い出します。
「ここにいる人たちはみんなとーまさんの気持ちで集まった人たちなんですよ」
人の気持ちを動かすのはやはり人の気持ちなのだとかみしめた嬉しい一言でした。

誰かと出会い、何かに触れ、ある日、突然、思いもよらない気持ちが生まれます。
来年はどんな気持ちが生まれるのか…
見当もつきません。
年賀状年表を横並びにした時、どんな想定外のことがおこっているのか?
大晦日、わからないことの多さに…用心深く?興味深く! わくわく 
新たなる衝動に向かって、カウントダウン。

※詳細?は劇団カプチーノHP、上から4つ目ピンクのボタン回想録「解体心書」をご参照下さい。整理できない気持ちが思うままに散らばっています。
  

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第106話 共鳴の稽古

2005年12月30日 00時05分44秒 | Weblog

友人がサントリー1万人の第九に参加するという。
先輩がフロイデ合唱団「第九」に出演されるときく。
この偶然、今年、私は第九と出会う運命にあるようだ。

12/4、日曜日、1万人の第九をききに大阪城ホールに行く。
到着し会場を見渡すと、観客席を取り囲むように合唱団が着席している。
指揮者は佐渡裕。佐渡さんの汗が見える!こんなに近くで指揮者を見るのは初めて。素敵!
佐渡さんの背中を見つめながら、合唱団の方々は佐渡さんの指揮を前から見ることができるんだな
とうらやましがっている間にオーケストラの演奏が進み、
一斉に1万人の合唱団たちが起立する。伝わる1万人の気合い。
ついに1万人の合唱団たちが、歌い出す。1万人の歌声が体にぶつかって心にしみてゆく。
わけもなく、涙があふれてきた。

12/19、金曜日、フロイデ合唱団の第九をききにフェスティバルホールに向かう。
こちらの席は2階、オーケストラを上から見る形。
普段見ることがないオーケストラ要員の演奏と演奏の合間の様子を見てしまう。
面白がっている間にオーケストラの演奏は進み、
一斉にフロイデ合唱団たちが起立する。1万人の数には満たないが、張りつめる空気は同じ。
ついにフロイデ合唱団たちが、歌い出す。フロイデ合唱団のふくらむ思いが会場の空気に熱をあたえていく。

フェルメールの絵画に音楽の稽古がある。
絵の中に「音楽は喜びの同伴者、悲しみの薬」と記されているらしい。
個々の思いがひとつになるあたたかい空気の振動に心を動かされる。これが涙のわけなのかも。

公演後、友人に感想をきいた。「満足できない。悔しいからまた挑戦したい」と。
先輩にも感想をきいた。「苦しい作業でした。合唱だから個として出てはいけない」と。
私は合唱団ではないが、同じ思いを劇団を通じて経験し、共感できた。

私にはたまたま演劇だったが、誰かの気持ちを少しでも感じることができる体験を経ていたことが嬉しかった。
確か…
画家パウル・クレーの言葉に「人を感動させるには、まず自分が感動しなければならない」
(みたいな言葉)があった(と思う)
来年はそれぞれの何かで「自己満足」できればいいなと思う。

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第105話 家内制手工業

2005年12月29日 00時57分40秒 | Weblog

結婚したら…年賀状は私たち初めてのお正月を…の写真入り印刷にしよう。
それまでは手書きで頑張る!などと誓いを立てたばかりに、
今年も手書きの真っ最中です。
私はその年の初めにいただいた年賀状を見ながら、来年の年賀状を書くのですが、
一枚一枚、その方との思い出にひたり、心にわきあがったつぶやきをコメントにしていきますので、
年賀状に埋もれながら年を越し、新しい年を迎えてなお思い出にふけっていること多く、
毎年、年の始めから後ろ向きだったりします。

手書きの場合(不器用な方なので私の場合になるのでしょうか)、
心の中で唱えながら書いていきます。
…ありがとうございました。…心よりお祈り申し上げます。
繰り返し、唱えます。
今、右手のペンだこが久しぶりに赤みをおびています。
公演を観にきて下さったお客様のお顔を直接見て、お礼の言葉を申し上げる機会には恵まれませんが、
お客様直筆のアンケート用紙を見つめながら感謝状をしたためていきます。
紙に体を向け、左手を添え、右手に力を込めて書いていく。片手間にはできない。
枚数を重ねる手の痛みに反して、心は穏やかです。 これ、言霊でしょうか?

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第104話 愛する者の死を前に

2005年12月23日 10時53分30秒 | Weblog

12月に入って訃報が立て続けに届いた。

それはあまりにも突然で、
思い出したように死を意識し、その恐怖を前にあわただしく忘れていこうとした時、
残された彼女から連絡が入った。家から一歩も出られないと。
共に二人のことは知っていたが、彼の彼女とは知らなかった。
彼女の家に向かう途中、突如愛する人をなくした彼女のかなしみを想像してみたが、
私には想像できなかった。
どう励ましてよいのかもわからぬまま、彼女の家のベルを押した。

将来を誓い合った矢先の事故…
扉をあけると、部屋にはお酒と煙草の香りが停滞していた。
私は再び彼の死と向き合った。
この現実を前に彼女にかける私の言葉のうすっぺらさに
落ち込みながら、非力に彼女を抱く。
どうして彼が死ななければならなかったの?
その問いの前に、私は言葉を失った。

失った言葉をずっと探していたが、
人が何の為に死ぬのかなんてわからない…
けれど、人が何の為に生きるかは探すことができる。

数日後、彼女から短いメールが届いた。
おにぎりと卵焼き、おいしかった。ありがとう。
彼女は生きている!

どうか次のあたたかく晴れた日には外に出て、日の光を浴び、深呼吸して下さい。
空を見上げて下さい。
どう生きていくのか? 時間がかかっても。
生きていきましょうね。

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第51話 太陽に負けた北風(改訂版)

2005年12月13日 20時13分25秒 | 創る(フィクション・ノンフィクション)

太陽に 負けた北風は あれくるいました。 ひゅ~ ひゅ~
街中の人たちが 北風に会うと かけあしで逃げていきます。
街中の 窓がぴしゃり 扉がばたん
北風は とくいになって 大笑い。 ぴゅ~ ぴゅ~

そこへ 雲とおしゃべりを終えた 太陽が やってきました。
すると、街中の人たちが いっせいに窓をあけ 太陽にむかって 微笑みかけます。
北風と いっしょに 笑ってくれる人は ひとりもいません。
最初は おもしろがっていた北風も だんだん さびしくなってきました。
北風は 太陽にほほえみかける 街の人たちをみて 逃げだしました。

北風は 街のはずれの 丘の上まで やってきました。
丘の上には おおきな木が 一本 立っていました。
やあ 北風くん こんにちは
北風は 返事をしません。
そればかりか ようし こいつの葉っぱという葉っぱを 全部 吹き飛ばしてやるぞ
北風は いきおいをつけて 木にぶつかっていきます。 ひゅ~ ひゅ~

ざわざわざわ~ どうしたんだい? きたかぜくん 
木が 北風を 見つめます。
きみには ぼくが みえるのかい?
もちろん みえるよ。 木が ほほえみかけます。
それにね きみにであうと ぼくは うたをうたうことができるんだ。
遊びにきてくれて ありがとう。 さわさわさわ~
北風は うれしく なりました。
照れながら 木に こんにちは といいました。
君の名前は? 木が尋ねます。
ぼくの名前は、フューイ。
フューイ! 素敵な名前だね。 ぼくはビッキー。
フューイとビッキーは いっしょに 笑いあいました。 
その日から 毎日 フューイはビッキーに会いにいきます。

ある日 遠くに沈む夕陽を ふたりでみていると フューイの目に涙があふれてきました。
びゅ~ びゅ~
フューイ どうしたんだい?
太陽くんは あかるくて つよくて あたたかくて みんなに すかれている。
きみだってそうさ。
ぼくなんかいなくても 毎日 小鳥くんやリスくんたちが 遊びにきてくれる。
それなのに ぼくは ぼくは びゅ~びゅ~
フューイ きみには ぼくにはない すばらしい ちからが あるんだ。
ぼくは きみのように どこでもすきなところへ とんでいけない。
ぼくは きみのように 世界中のみんなに あいにいけない。
フューイ ぼくは そんなきみのことが大好きなんだよ。
フューイは 涙をふいて 笑いました。
ビッキー きみには ぼくにはない すばらしい ちからが あるんだ。
ぼくは きみのように 世界中のみんなの 目印にはなれない。
ぼくは きみのように みんなを支えることができない。
ビッキー ぼくも きみのことが大好きなんだよ。
フューイ ありがとう。
ビッキー ありがとう。
この夜 ふたりは 前よりも もっと なかよしに なりました。

そんな ある日のこと 太陽くんは ごきげんななめ
というのも 約束した時間に 雲くんがあらわれず カンカンに おこっていたのです。 
街中のみんなが 下をむいて 歩いています。

よし ぼくたちの出番だ。
フューイが やさしく こどもたちに ささやきます。
ふ~ ふ~ こっち こっち。
こどもたちは その心地よさに おおよろこび。 こどもたちが フューイを おいかけてきます。
フューイは こどもたちを ビッキーの待つ丘に あつめました。
すると ビッキーは 手を 空にむかって おおきく ひろげます。
わ~ ここに おおきな ひかげが あるぞ 
こどもたちの笑顔をみた ふたりは おおよろこび。
ふたりは こどもたちのために うたをうたいました。

こどもたちが かえったあと フューイがビッキーに ささやきました。
こんど 太陽くんもいっしょに みんなで あそばないか?
そいつはいいかんがえだね。
さわさわさわ~
ふたりは こえを あげて わらいあいました。

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第103話 ラブレターの言い訳

2005年12月07日 00時44分15秒 | Weblog

私は私の顔を知らない。
きっとこれからあなたが私の顔を一番よく知る人になるんだろうね。
あなたが笑っているのを見て、私も笑っていると気づくぐらいにしか
私は私の顔を知らない。

あなたに出会うまで、私は私の顔が嫌いだった。
そんな私にあなたが好きという気持ちを分けてくれたから、
私は私の顔を好きになれた。

もしもこれから先…
私、どうしてお父さん似じゃなかったの!なんて子供に泣きつかれたら?
どうしよう…

あなたはパパの顔が大好きなのね。
だったら、大好きなパパの顔がよく見える方がよくない?
隣にいるママからはパパの顔がよ~く見えるよ。
不思議なことに、パパはママの顔が好きなんだって。
あなたが生まれる前から。
たぶん、これからも、きっと。
これからも、ずっとママはパパの隣にいるし、パパもママの隣にいてくれると信じてる。
ねえ、大好きな人の、大好きな顔で生まれた方がよくない?

こんな言い訳でもしよう。



※『愛することを恐れるべきではない私、愛されていることに気づくべき私』
(豊川悦司著・マガジンハウス) を読んだ。何気なく手にとって購入したが、
私が男ならこの本にチョコレートでも添えて好きな女性に送りたい、そんな本でした。



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