英会話BOX 第2章

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氷室京介さんが山田かまちさんへ宛てた手紙

2015-05-24 00:09:15 | 代表の昔の日記(2020年より前)
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1996年中学校3年生だった時に日本テレビの『知ってるつもり?!』と言う番組で、山田かまちさんが特集されていた。

15才だったあの頃、僕は、進路、受験勉強、芳しくない体調、将来への不安などなど、たくさんの事で悩んでいた。
15才という微妙な年齢は、子どもと大人の中間のようなどっちつかず年齢でいろいろな事に対して多感で悩むだけ悩みまくっていた。

そんな時に短く劇的な生涯を送った山田かまちさんの事を知った。
彼が残した文章の数々が本になっていることも知った。
僕は、とにかく彼の文章が読みたくて書店で全て本を買って読んでみた。

僕の稚拙な言葉では、到底表現出来ない程のすばらしい感性と美しさ、そして情熱、時には、葛藤や苦悩が、一つ一つの言葉の中に描かれていた。
衝撃だった。文章でこんなにも豊かに感情を表現できるなんて思ってもいなかった。
とにかく彼の本を読んで読んで読みまくると、なんだか気分が楽になった自分がいた。
本を読むことで自分の中の感情が安定するなんてことがあるんだってその時はじめて知った。

それが、僕が山田かまちさんの大ファンになった瞬間だった。

山田かまちさんの事は、それ以来いつも心の中にあって彼の言葉たちは、今でも僕の拠り所になっている。

15才だったころからさらにあっという間に次の15年以上を生きた僕は、約2年前に群馬県高崎市にある山田かまち水彩デッサン美術館に行ってみた。

15才の頃からその美術館の存在は知っていてずっと行ってみたかったのだけれど、行けずじまいだった。
だから2年前に実際に行けた時は、とても嬉しかった。

彼が書いたデッサン、直筆の文章たち、眺めているだけであの頃の思いなども頭の中で蘇って来る感じだった。

そんな時、美術館の一角に山田かまちさんと一緒にバンドを組んだことがある氷室京介さんが山田かまちさんにあてた手紙があることに気が付いた。

小学生のころから氷室京介さんの楽曲を好んで聞いていたので、山田かまちさんと氷室京介さんのつながりを鮮明に表す手紙は、
感じたこともないような感情を僕に与えてくれた。読んでいくと切なさの中にあるつながりの温かさのようなものを感じた。

そして、僕は、山田かまちさん、氷室京介さんの偉大さを感じた。

会ったことも無いのに人の心を動かすことが出来る人間がこの世に存在していることは、僕にとっての希望になった。

たまに思う。僕に何が出来るのだろうって。しかし、僕は僕で何かできる事があるって信じるようにしている。

出来ることは、限られているかもしれないが、とりあえずやってみるというマインドを持つことにしたから、
やれるだけ、やってみたいと思うから・・・

久しぶりに山田かまちさんの本をペラペラめくりながら、気に入っている文章を読んでいたら、
いろいろ思い出してしまった土曜日の夜だった。

山田かまちさんの本


山田かまち水彩デッサン美術館にあった氷室京介さんが山田かまちさんに宛てた手紙


山田かまちさんが亡くなられていた時に使用していたエレキギター


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