青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

失われたアーケード ~消えゆく“服部阪急”商店街

2022-01-25 | 昭和・懐かしい北摂の風景

シャッター商店街・・・消えゆく街の商店街が、こう呼ばれるようになったのは、いつの頃からだったでしょう。

阪急宝塚線・服部天神駅を下車、線路の西側に昔からあるパチンコ屋「服部会館」のある一帯は、「服部西商店会」という名の商店街でした。その目抜き通りを西に少し歩くと、左側にアーケードのある「服部阪急商店街」がありました。今もこの商店街はあるのですが、「ありました」と書いたのは・・・

現在ではこのように、アーケードが無くなってしまったからです。(左が往時の写真・右が現在の写真です。)

ここ「服部阪急商店街」は、昭和37年(1962年)に全蓋式アーケードを持つ商店街としてオープンしました。僕が子供の頃には大勢の人手で賑わっていたものです。

このアーケードのある写真にしても撮影したのは平成で、かなりお客さんの姿を見なくなってからのもの。それでも営業しているお店の数は、まだ結構ありました。

服部にも大型スーパーが沢山出来ました。この近くの渡辺病院前のテニスコートは「ニッショー服部西店」となり、その後「阪急オアシス」にリニューアル。この商店街を抜けて、駅側に歩けば「ライフ服部店」があります。地元の商店街の収益がダウンするのも時代の流れかも知れません。

そして、老朽化もあり、2015年にアーケードは撤去され、青空商店街として生まれ変わりました。

昔も今も変わらず営業しているお店もありますが、多くは閉店となり、今は本当に寂しい商店街になってしまいました。昔ながらのお店には、いろいろな品物があり、中にはスーパーや100均では手に入らない品物が少なくありません。

そういう品物は、インターネットやホームセンターで買うことが出来ますが、お年寄りには距離が遠かったり、ネットショッピングは敷居が高かったり・・。誰もが品物を手に取って確認し、楽しく買い物が地元で出来る。そういう社会は、もう帰って来ないと痛感します。何が便利で快適なのか?それを考えなければならない「時」が、近い将来やって来るでしょう。

「安ければ良い」・・そういう社会の求めに従って、物の値段がガラパゴス化して来た日本。日本人はiPhoneの値段が高いと言いますが、欧米では所得も上がっているので高いとは言われていません。モノの価格が抑えられ、同時にここ数十年給料も上がらない日本。安かろう悪かろう物をつかみ、買い物の楽しさを味わうことが明らかに減っていると僕は思います。

オーディオ機器等の、大人の趣味の玩具も種類がどんどん減って、昔はあったものが入手出来なくなっています。ゲームばかりが次から次へと発売されていますが、あれがあれば楽しく過ごせるの?僕には全く理解出来ません。