青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

幻の駅 ~万国博中央口駅・万国博西口駅

2022-01-30 | 昭和・懐かしい北摂の風景

1970年のこんにちわ ♪~日本万国博覧会に行った記憶は、僕の友人達もそれぞれ持っているのですが、ほとんどの人が覚えていないのが、万博にどうやって行ったか?自家用車で、バスで、電車で行ったと口々に言うのですが、では質問です。

万博会場にどうやって電車で行ったの?

そう、今でこそモノレールが万博公園まで通っていますが、1971年以降、万博前には中国自動車が走っていて、線路は全くありません。線路が無ければ電車は走れない。

答は、万博開催中のみ電車を走らせたのです。

大阪万博は1970年3月15日から9月13日の会期中183日間で、のべ6421万8770人の来場者数を記録しました。これは国際博覧会史上2位。これだけの人を捌くのに、電車が無ければお話になりません。

大阪市営地下鉄は、当時最も北にあった駅は「江坂駅」でした。万博に併せて千里ニュータウンが開発されており、江坂より北には「北大阪急行電鉄」の建設が決まっていたので、仮駅の千里中央駅を建設し、江坂ー千里中央間の南北線を建設。そして、万博開催中は中国自動車道の敷地を借りて、万博に「万国博中央口駅」を作り、千里中央駅(仮駅)とを結ぶ臨時線である「会場線」を造りました。開通は万博開会直前の2月24日。昭和のパワーを感じます。

これがその千里中央駅(仮駅)と万博会場を結んだ北大阪急行会場線の写真です。写真右奥に見えるのが、中国自動車道の上り線用地に設置された「万国博中央口駅」。写真左上はガスコンビナートではなく(笑)フランス館で、順に太陽の塔の大屋根、三菱未来館、日本専売公社の虹の塔が写っています。左の土手の上に出来ている大行列は、アメリカ館に入るためのものです。

万博開催時にはこの電車が、ラッシュ時並みの最小2分半間隔で運転され、梅田駅から万国博中央口駅までを24分で結びました。とにかく混雑していたのを覚えています。子供の僕が生まれて初めて経験した寿司詰め状態のラッシュでした。

こちらは現在の大阪モノレール山田駅付近から撮影された写真。

万国博閉幕後の1970年9月14日、会場線は廃止され、万博開催中に完成していた「現在の千里中央駅」が開業しました。会場線廃線跡のうち地上部分は中国自動車道上り線に転用され、トンネル部分は資材置き場として現存しています。

阪急電車にも「幻の駅」があります。

阪急千里線の「南千里駅」と「北千里駅」の間、南千里駅から2.2kmの地点に1969年11月10日から1970年9月14日まで、臨時駅の「万国博西口駅」を設置。こちらは約900万人が利用したと言われています。

1970年の大阪万博は、北摂を大きく開発しました。現在予定されている次の大阪万博や、カジノなどは大阪をどう変えるのでしょう?大成功に終わった1970年万博のように成功して欲しい。間違っても昨年の東京五輪のようなイベントにはして欲しくないと、心から願っています。