青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

大学入試!~生涯忘れない光景!

2022-02-01 | 昭和・懐かしい北摂の風景

いよいよ入学試験が本格的になる2月に突入しました!コロナ禍とかごちゃごちゃ言っても仕方がない。

受験生の皆さん、全力を尽くして下さい。今、全力で頑張って下さい!合格を祈っています。

僕の母校・関西大学の入学試験も今日から始まりました。関大受験の皆さん、関西大学は広いキャンパスを持つ、歴史ある学び舎です。人生でも輝く4年間の青春時代を送るのに、これ以上の環境はありません。ぜひ、ご入学される日を、OBとしてお待ちしています。

僕は現役時代、実は志望校は他にあり、関西大学は滑り止めでした。結果は関大は文学部・法学部、甲南大学共に合格しましたが、志望校は不合格。浪人をしました。当時は浪人してでも少しでも偏差値の高い大学に入り、上場企業への就職を目指すのが普通でした。

1浪して2度目の受験の年。関大は1年前に続き、文学部・法学部共に合格するも、志望校にはまたしても失敗しました。家にお金の余裕が無かったので、予備校にも行かずに「宅浪」していましたが、熟考の末、2浪の道を選びました。どうしても行きたい大学があったからです。

写真は関大・受験日の光景です。校門内から関大前の目抜き通りを撮影したものです。ぎっしりと人が通りを埋め尽くす光景は、毎年2月の風物詩でした。僕はこの光景を今も忘れません。学生時代はおろか、仕事のリタイアの時期に差し掛かっても、青春時代のこの光景は脳裏に焼き付いています。寒かった気温、張り詰めた空気感、受験生の地面に響くような足音・・。

入試会場に向かう受験生の中に、顔を隠したヘルメット姿が見えます。学生運動をしている連中がビラを配っていたのです。当時はいろんな大学で見られた光景でした。無理に突き出したビラを持つ手が当り、揉み合いになったこともありました。顔を隠してコソコソしか運動出来ない連中が、将来を賭けて入学試験に及んでいる日に、その張り詰めた緊張感ある空気を破ることが、僕には心底許せなかったからです。

さて2浪しながら、成人式にも恥ずかしくて行かず、アルバイトで入学金も全額貯めて挑んだ3度目の受験も、関大文学部・法学部、関西学院大学文学部には合格するも、志望校は落としました。余程志望校には縁が無かったのでしょう。さすがに後が無く、僕は関西大学の文学部に入学しました。(関学よりも僕の学部学科は、偏差値が上だった。)4年間の授業料を全部アルバイトで稼ぎながら(奨学金制度はありましたが、借金が嫌だったので日雇いの仕事や家庭教師で稼ぎました。)も、柔道部で4年間を過ごしました。授業も出ました。中古車ではありましたが自動車も買い、このブログに書いているような場所に行きました。4年間、悔いがないほど好きなこと、やりたいことをやり遂げました。とにかく毎日が分刻みのスケジュールで、寝る暇もありませんでした。でも、楽しかった。

それでも、僕の脳裏に焼き付いているのは、充実した黄金の4年間ではなく、この2月1日からの受験の日の朝の光景です。人の波が学内に流れ込む景色です。自分が頑張った成果を形にする勝負の場。緊張し、不安を抱えながらも夢を持ったあの日。不思議なもので、今となっては第一志望校受験の光景は、あまり覚えていません。(笑)

現在の同じ場所からの景色ですが、この目の前の道路が人で埋め尽くされる。みんな受験生です。

本当は高校も志望校に行くことが出来なかったので、関大に入った時もガッカリしていました。でも、関大は僕にいろんなことを教えてくれました。卒業時には英語はペラペラ、柔道は黒帯。就活では当時の電電公社、サントリー、伊藤忠商事、国家公務員、全ての就職試験に合格しました。ただし、苦手のドイツ語の単位を3年間落とし続け、卒業が危ぶまれて青い顔をしていました。今でも、卒業できるかどうかの夢を毎年1回は見ます。(笑)

人生で絶対に忘れられない光景を3つ挙げるとしたら、この受験日の朝の大学前の光景はその1つです。