青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

もう1つの大阪万博を知っていますか? ~中華人民共和国展覧会!

2022-02-04 | 昭和・懐かしい北摂の風景

今日2月4日は「立春」です。旧暦では1年の始まりであり、暦の上ではもう春です。明日からの週末は大寒波が・・と言われていますが・・。

そして、今日から北京で「冬季五輪」が開催されます。バッハ会長の銅像を北京市内に作ったり、どうも中国のすることはズレているような気がします。ズレていると言えば、日本のマスコミ報道にも首を傾げます。メダル云々で、相変わらず五輪を盛り上げようと言わんばかり。五輪を国威発揚の手段ではなく、完全に個人のものとして考えることは出来ないのでしょうか?僕はこのタイミングでプーチン大統領と習首席が会談を持つことの方が気になります。

中国と日本はかつて国交がありませんでした。1964年の東京五輪は日本が金を多く獲得しましたが、中国はボイコットして不参加でした。そして東京五輪開催中に、中国は核実験を断行しました。台湾が中華民国として、東京五輪に参加していたことへの嫌がらせだったのでしょう。

同じように1970年の大阪万博にも、中国は参加していません。「いやいや、参加していたよ」という人は記憶違いです。大阪万博開催時には、日本と中国の間には依然国交が無く、台湾が中華民国としてパビリオンを出展していたのです。

万博の2年後、日中国交正常化があり、昭和49年(1974年)になって万博記念公園で、中華人民共和国展覧会が開催されました

上の写真、太陽の塔の手前、お祭り広場にテント張りの会場が設営されています。他にも当時残存していたテーマ館の旧展示部分や、その周囲の売店部分をメイン会場として、1974年7月13日から8月11日まで開催されたのです。テントの前には「中日両国人民は子々孫々、友好的につきあってゆこう」と書かれた大看板が掲げられています。

中国はその後も、1977年名古屋港など日本各地で中華人民共和国展覧会を開催しています。

太陽の塔は、万博会期後に残されたことも含めて、大阪万博の圧倒的なシンボルとなっています。塔の右手からはエスカレーターが大屋根につながっていました。塔は今もありますが、大屋根は昭和53年(1978年)に解体されました。

僕の後輩には「子供の頃から太陽の塔は知っているけど、大屋根は見たことが無い」という人も多いのですが、そんな人に限って子供の頃にエキスポランドで遊んだ時の写真を見ると、後方に大屋根と共に太陽の塔が写っています。(笑)

ほら、こんな風に(笑)「これ、何?」と大屋根を指さすと、「え?何これ?あったんや!」と驚くの何の。(笑)覚えていないと言えないくらい、十分大きな子供なんですけど。