青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

関大前 ~変わりゆく学生街!

2022-02-08 | 昭和・懐かしい北摂の風景

大学受験の朝の光景・・・先日関西大学受験の70年~80年代の光景をご覧頂きました。本当に大学生活の日々の光景より、あの受験の朝の景色の方が、今も心に残っています。入学してからの部活の日々、授業、学び舎のことも忘れませんが、当時と現在を比べて本当に変わったと思うのは、学生を取り巻く環境です。

ここは関大の正門前です。関大前通りの南側の店舗が写っているのですが、昭和45年~昭和46年(1970年~1971年)当時で、左側が「オーム書房」その右が「進々堂書店」。僕がここに通っていた80年代に入った頃の、コピー代が1枚30円~50円という時代に、いち早く「10円コピー」を取り入れたのが、このオーム書房でした。当時は新刊を扱う書店も関大前には多くありましたが、古本屋も本当に多く6軒はありました。

この写真は2010年代に母校を訪ねた時の写真で、同じ場所をもう少し正面から撮影したものです。左側にはさきほどの書店はもうありません。右手の「フジヤ文具店」では、文房具だけではなく、いわゆる「虎の巻」を販売していました。訳本が出ていない英語の教科書(ペーパーバックや専門書)を英訳したものをコピーして、安価な製本をしたものを販売していました。勿論学生がアルバイトで翻訳したもので、僕もやりましたが、結構な実入り(アルバイト代)になりました。

関大前通りが普段と違い、受験の日にはこんなに人で溢れました。

当時は喫茶店も学生が困らない程度に数軒ありました。ジャズ喫茶や、カップルやグループが使いやすいお店がありました。そういうお店で流れる洋楽ロックやジャズで、音楽を覚えたものです。70~80年代にそういう音楽に詳しい=格好良いという一種のファッション的な感覚もあったと思います。

ところが上は、2007年の関大前のマップです。見事に飲食店一色になっています。これが現在では更に居酒屋や飲食チェーン、ラーメン屋に取って代わっています。「学生街」という言葉から感じる雰囲気など、もう全く消え去ってしまいました。

その代わりに現在では、大学構内が便利になっています。学生食堂は昔と違い充実し、スタバまで学内に出来ています。勿論ATMどころかコンビニも数店、学内にあります。学生街は世俗化してしまいましたが、大学構内は充実の一途で、今の学生が羨ましくなります。

ただし、正門を潜れば左手に広がっていた関大名物のグラウンドは、今は図書館になって消え去りました。学内に足を入れた瞬間に聞こえる運動部の練習の声は、今はもう聞こえません。しかし、沢山の体育館が競技別に作られていますし、綺麗な陸上競技場のようなグラウンドも新設されています。

上の写真の真ん中の建物は、僕が学んだ時代は図書館でした。今では博物館として残っています。正門を入り、左手に坂道を登った所にあり、この図書館の向こう側が文学部・法学部でした。当時は早稲田や慶応と変わらない偏差値で、法学部は東の中央大学と肩を並べ、多くの司法試験合格者を輩出していました。

僕が学んでいた当時の「第1学舎1号館」です。現在は綺麗なレンガ模様の大きな校舎に変わっています。

大学は僕が学んだ頃とは随分様変わりし、今の方が羨ましく感じる部分もあれば、「こんなの嫌だ。昔の方が遥かに良かった」と思う点も数多くあります。ただ、それぞれの時代において学生たちが思い切り学び、身体を鍛え、仲間と集い、青春を謳歌出来ればそれで良い。いや、それが出来なければならないのです。ここ2年のコロナ禍による、人と触れ合えない社会、アルバイトの出来ない環境、リモート授業で学び舎を利用できない環境こそが、あってはならないことです。

大学生に限らず、学生の皆さんには全てにおいて頑張って欲しい。2度と帰って来ない青春時代を大切にして頂きたいと心から願っています。