青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

百又ビルでの奇蹟!~三番街シネマ

2023-01-28 | 昭和の映画館

イースクエア茶屋町・・・僕には「百又ビル」と言わないと分かりません。(笑)

このビルの4・5・6階に三番街シネマがありました。1975年に「シネマ1」がオープン。2階席もあった大きなハコでした。そして「シネマ2」1977年には「シネマ3」がオープンし、僕らは三番街シネマという正式名称では呼ばず、「百又」もしくは「シネマ・ワンツースリー」と呼んだものです。下の写真は看板が真っ白ですが、ここに「百又」と書かれていました。

映画のチラシブームの真っ只中にオープン。よく窓口にチラシだけを貰いに行ったものです。オープン当初はナビオ阪急が出来る前の北野劇場やOS劇場等の大きな単館の映画館に慣れていたので、1つのビルに3つもあるスクリーンも小さな映画館は、同じ料金を払うなら損・・なんて思ったものでした。

おまけにボーリング場やビリヤード、ゲームセンターもある百又ビル。映画を観てたらボーリングの音が聞こえて来てうるさいという、まことしやかな噂まで流れていました。

しかし、僕はここで沢山映画を観ました「007私を愛したスパイ」「マイウエイ」「人間の証明」「アーバンカウボーイ」や「カリギュラ」なんていうものまで。

「13日の金曜日」「プロ野球を10倍楽しむ方法」「13日の金曜日パート3」は3D映画でした。「プロジェクトA」「黄昏」「ヤア!ブロードストリート」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」・・・

「トップガン」「ハバナ」「ハスラー2」「パリ、テキサス」「ジュラシック・パーク」、いろんな映画を楽しみました。(写真はシネマ1)ここは、小さなエレベーターがちょこんとあっただけなので、6階まで歩いて上る下りるなんて普通でした。地下には「ザ・バーボンハウス」というライブハウスもありましたね。ここのステージでドラムを叩いたこともありました。しかし、80年代後半からは仕事が忙しくなり、徐々に映画館に行くことが難しくなりました。

ここで1番僕の記憶に残っていることは・・・1階入り口の右側のテナントには、現在は百又ビル時代からのパチンコ屋が入っています。その前は実はマクドナルドでした。問題はその前。80年代初頭は喫茶店「百番館」でした。マッチの頭が赤ではなく、黒いマッチ。当時の僕はタバコを吸っていましたので、記念にマッチを持って帰りました。

紀伊国屋書店~グランドビルの「ダイガレコード」、曽根崎警察横の旭屋書店本店を回り、「ビッグピンク」に寄ってから、東通り方面に向かって梅田界隈の中古レコード店「LPコーナー」や「ダン」「リバーサイド」と歩き回って、疲れて入ったのが「百番館」。

遠目にもウエイトレスさんが凄く綺麗で見とれていると、その女性がオーダーを取りに来てくれたのですが、これが何と何年も前に僕が憧れたマドンナ!ここでアルバイトをしていたのです。偶然の再会に疲れは吹っ飛ぶし、その日の戦利品が色褪せてしまい、ただただ彼女の美しさに雷に打たれたようにドキドキしたのを今でも覚えています。アルバイトの邪魔をしてはいけないと遠慮しましたが、短い時間に交わした久しぶりの挨拶のような会話が嬉しかった。「どうしてお前が、あんな美人と知り合いなの?」と、友人に訊かれましたが、心から「一緒に勉強してた仲だから」と自慢しました!(笑)

今でもタワレコやジュンク堂に行く際、このビルの前を通ると、この日の奇蹟の再会のことを思い出します。もう30年以上も昔の事ですが、若い時の恋心は今も色褪せません。

そんな思い出の映画館や喫茶店があった場所も、近隣の多くのシネコンにお客を奪われ、2007年9月24日に閉館。最後の上映作品は、シネマ1~「もののけ姫」、シネマ2~「お葬式」、シネマ3~「サタデー・ナイト・フィーバー」でした。

そして、翌2008年6月13日にはこのビルが「百又ビル」から「イースクエア茶屋町」に改名し飲食店舗ビルとしてリニューアルオープンした・・というのは世間の記録で、この日、青春の百又ビルが消えたというのが、僕の自分史における公式記録です。

この地図は1980年代はじめの梅田の地図です。懐かしい名前がいくつも載っていますよ。