おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

「りょ」

2019年08月30日 | 絵日記


雨は若干降っているような感じはするけど、一応やんでいるようなので昼から買い物に。
・・・しかし、朝にどうしても銀行に行きたく、雨の中をバイクで走ってびちゃんこになった。(カッパもかぶっていたけど下がはいてなかったんだな)
出た時、一時的にほとんどやんでいたんだけど、全部用事が終り再びバイクに乗ったらすごい雨が・・・。
本当はこの時に買い物もして、昼ごはんも食べて帰るつもりだったのに、あまりに濡れていたのでこのまま店に入るのをためらわれて、一旦帰ってきて自宅でご飯は食べた。
このところ、家でもゆっくり食べられるからいいんだけどね。


まだ、天気悪いな~。

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息子の様子はどうだとしつこく聞くので
「自分で連絡入れてよ」と言ったら、やっとLINEを送るようになった。
でも、返事が「りょ」しかかえってこないと。
「りょ」と言うのは、「了解の意味」
たまに小さい「ょ」を打つのも面倒なのか「り」だけで返ってくることもある。
主に若者が使うと思うけど、SNSやネットの世界ではこういった「用語」と言うのは生まれるものだと思っているので、私には違和感はない。
話の流れで、まあそうかと思うし、長くネット関係を見ている私にはわかるが、オヂサンには、この言葉は理解できない。

で・・・

こういったのに慣れていないオヂサンは、ラインで送るメッセージが息子には意味不明らしい。
で、とりあえず「りょ」だと。
せめて2行にしてやってくれと裏で交渉。


返事が返ってくるのをずっと待っているんだな。


あはは~~、2行だ。

私とはLINEで会話しているんだけどな~。
多分、打つ速度が劇的に遅いのでおとーさんとは会話にならないのかと。

ファミリーでグループも作っているんだけど、息子と私の会話に入れないと常々言っている。

おとーさん、義父によく似てきた。
義父もこんな感じの人だった。
一生懸命、携帯のメールも覚えてせっせと孫たちにメールを打っていた。
ただ、「題名」のところに本文を書いてしまうので、途中で途切れて意味不明ってのがよくあったけど。
息子からの連絡が一番の楽しみなんだろう。
まあ、ちょっとそれも行き過ぎるとどうかなと思うし、自分は自分の父親にあまり連絡入れなかったのにね。

それにしても息子は、上司や先輩には送ってないだろうな・・・。
それと「了解」と言う言葉自体、上司には使わない。
「承知しました」や「かしこまりました」だと思う。
ちょっと心配。

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お食事中。



では、また来週~~。
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くるくる、くりくり

2019年08月28日 | 絵日記


朝、小降りのうちに買い物に行ってきた。


が、昼から妹から「メガドンキにいかない~」と電話が。
朝に行かなければ良かった・・・。

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伯母のお葬式の時に。
うまくアップに出来ずにこんな風にくくる。
ずっとお団子にしているから、久しぶりに見たのか。
最近「凪のお暇」ってドラマがあってその主人公の髪の毛に近いという(あそこまでくりくりじゃないけど)

こんな髪の毛だから・・・



「ひどい髪の毛」と言われた時は、かなり傷ついた。
多分、時間かかったからかと思うし、なんだか途中でこの美容師さんが不機嫌になったのがショックだった。
もう、ここには行かないと思った。(でも、ここ結構評判が悪い美容室だとあとから聞く)
大体、濡らして切って乾かすと美容師さんたちが思い描いた髪型から大幅に外れているらしい。
それから、また切る手間がきっと嫌なのかと。


大体、妹の髪もなんかここに通っている時はぱさぱさのような気がして嫌な予感がしていた。
洗ったら元通りよ。

もうどうでもいいやと近所の安い(1600円ぐらい)の美容室に。


多分、この人一時的にだけここに働いていたんじゃないかと思う。
だって、腕が良すぎた。
でも、この後も会社辞めるまでこの美容室に行った。
安いから「速さ」を求めるのか、結構大胆に切る人が多く少しのゆがみなども気にしないのが、私の髪の毛にあったというよりましだった。
この美容師さん以上に出会う事はなかったし、そこの他の人も「まし」ってだけで全然仕上がりが違った。
あの人はいずこへ。

で、会社辞めたのでケチケチの一環として自分で切るようになった。
あんまり美容室でカットするのと変わらないし、後で「ここだけ長い」と思ったら自分で修正するし。
くるくる、くりくりなので多少歪んでいても、巻いたらわからなくなる。
昔は、自分でストレートパーマもあてていたが(美容室ですると時間がかかるのと高いので)最近はくるくるのまま。
特に朝がひどくておとーさんには「なんだ、そのベートーヴェンみたいな頭は」と言われる。
ブラシでといて、オイルをつけて少しましにする。
今は長めにしていて(重さが出てくるくる、くりくりの防止になる)、アップにするのが一番楽だし夏は暑くない。
なのでこれでいいのだ。

でも、姪が最近出来た980円美容室に行っていたんだけど、真っすぐな髪の毛はやはり美容室によって仕上がりが違うみたいで、ちょっといいところに行くとこの980円とは雲泥の差の仕上がりでかわいくなった。
だから、妹には姪はもう少しいいところに連れて行ったら・・・と言っている。

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雨なので窓があけてもらえず不機嫌。



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ケチケチ道を極める_6 メニュー

2019年08月26日 | 絵日記

今年はピーマンがたくさん出来た。
夫婦二人の食卓にちょうどいいぐらい。

鷹の爪も栽培中。


収穫してザルの上で乾燥させる。

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前回の続き

ケチケチメニューを

オムライス・・・きっと家族は気付いていないだろう。
給料日前に出てくるのを。
玉ねぎと鶏むね肉を細かく切って炒めチキンライスを作り、それを10個98円の卵を使ってくるむ。
卵は大体、1人前につき2個(息子のはちょっと多い)

ケッチャプをかけてもいいけど、余って冷凍していたハヤシライスとかカレーとかを上にちょっとかけると味が変わって美味しい。

鶏むね肉はもも肉より息子が大好きで、業務スーパーで2キロ入りで売っているのを2パック買い(4キロ)冷凍していた。(一応国産らしい・・・2キロで確か900円前後)
なのでむね肉メニュー多し。

この他にも焼き鳥、フードカッターを使ってチキンナゲット、つくねなどなど。
チキンカツは、衣をつける為かなりのボリュームに。
そうそう、とり天なども定番。
天ぷらは家であげると安い。
うちではとり天と野菜天(かぼちゃ、サツマイモ、なすなどその時あるもの)が定番で高い材料は使わない。

魚は高いのでアラとかをよく買った。
本当はサバが安いんだけど、息子がサバでアレルギーがあるから買えなかったので。
息子は鮭のカマの部分とか好きで、魚を食べるのが上手になった(笑)

奮発すると言っても材料費は、大体1000円もかからない(安くで材料を買うので)
それに仕上がったら翌日の弁当に少しのけておくし。

ところが、肉じゃがは息子の大好物で・・・。



あはは、肉を全部息子がさらえてしまう。
関西の方では、肉じゃがの肉は牛肉が定番。
東の方では、豚肉を使うと聞き作ってみたけど、うちには不評だった。
だから、牛肉で作るから肉はちょっとになる。

でも、糸コンとジャガイモに肉の風味がしみていて美味しいよ。

3人家族なのにかなりの「量」がいる。
女の子ばかりの子供がいる友達には「○○飯店」(大量に作るから)と呼ばれていた。
やっぱり女の子はあまり食べないらしい。
でも、息子は細くてこの大量の肉やジャガイモはどこに消えて行くのかと思っていた。
作った私は、大量に作りすぎて気持ちが悪くなり、いつもあまり食べられなかった。
特に揚げ物の時なんかは、ほとんど食べられず。

こんな事を繰り返し頑張っていた。
最初は楽しかったんだけどな~。

次回は、何故美容院に行かなくなったか?
まあ、節約の事もあったんだけど・・・。

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コブちゃん、嘘のように大人しい。


決して、元気がないというわけではないし、それなりにうるさいし、遊ぶ時は遊ぶ。
食欲はすごくあり、便通もよし。
ただ、うるさい季節が終わっただけ。

やれやれだ。

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ケチケチ道を極める_5 キセキ

2019年08月23日 | 絵日記


今日は、市役所に行く用事が・・・というより市役所に行けば、キャッシュコーナーがいろいろとあり、一度に銀行の振替の用事が済む。
おまけに図書館が隣接しているので、ここで一旦一服できるし。

ずっと雨が降っているのかと思ったら、10時過ぎにはあがってきたので良かった。
まだ、降るようだけど買い物も終わらせることが出来た。

本当の意味での日常が戻って来た。
ここ数日実家に行く以外は昼は家でとっている。
とっているというか取れるようになった。
また、書けるようになったら書き記したいと思うけど、ずっと家で食べるのが嫌で家に居るのが嫌だった。
なんとかしないとなーと思っていたけど、やっとそれも終わりになった。
それも急に。
夜はこの6~8月初旬にくらべ比較的よく眠れるようにもなった。
だから、ちゃんと考えてみようと思う。

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前回の続き


いつも私のピンチを助けてくれた人。
恩人だと今でも思っている。
出来るかどうか不安だったが、今までやってきた仕事の集大成みたいな仕事だった。
エクセルと画像処理などの知識はある。
タグとかの知識もある。
倉庫とかの事情もわかる。
データの吸い上げとか取り込みの仕組みもわかる。
一度面接に行き、大体の事を聞くだけでスタートできた。

ただ、やはり最初はわからない事だらけだった。
確かにパソコンの知識はあるけど、そこで扱っている商品の知識がない。
スポーツ用品のメーカーだった。
幸いだったのは息子が陸上をしていた事。
購入をする事もあったので、すこーしだけわかったが。

工夫を重ねて最後は自分で少しチェックなどの、簡素を組むことも出来るようにした。
何より「在宅」がありがたかった。


仕事を始めて1年半過ぎたときに母が事故にあった。
そこから長期の入院や通院、そして相手側の保険会社との交渉、そして弁護士に依頼して示談。
書くと一瞬で終わるけど結局これに4年かかった。
この仕事を始める前から義父も入退院を繰り返していたし。
在宅でないと親の事が出来なかった。
収入は、息子の仕送りにすべて消えたが、何もないより楽になった。

しかし・・・。


腱鞘炎悪化。
もうどうしようもないぐらい。
この仕事だけが原因ではない。
長年事務仕事をしていて、元々悪かった。
割りばしが一番持てないの。
小さい手なのですごくいろんな事が負担がかかる。
肘がつかえると悲鳴があがるほど痛い時があったし、二の腕はなんか変な筋肉ついてパンパンで重くて痛い感じ。
病院に行っても「使わないのが一番」と言われるし・・・。
原付のハンドルやブレーキをかけるのも痛いし、冬は手袋をしていたらまわせないので危険になった。
これ以上ひどくなったら手術なのかな・・・と思っていた時・・・


8月ごろに電話がかかり12月で終了と聞く。
1月から息子の引っ越しで忙しくなるなーと思っていたところだった。
2月の末には息子が戻ってきて、3月はいてまた引っ越し。
それと、もう仕送りが必要なくなる。
息子には私の収入以上の出費があったため、私の仕事がストップしても、そこまでの影響はなく。
本当に何て言うタイミング!と思った。
もし、この1年前に同じ電話がかかってきたら、慌ててパートの仕事を探していただろう。

残念なのは残念だった。
手の事さえなければ、こんな好きな仕事はない。
事務仕事をしていた時もデータ入力だけならいいのにと思っていた。
このころ、画像作成などは必要なかったけど、エクセル学ぶついでに独学で出来るようになった。
5年半も働けたことは感謝しかない。
こういった仕事って日々、新しくなる。
なので、ちょっと多分データの作成や取り込みなどが最初からかなり旧式だなと思っていたので、実はもうそろそろだとは思ってはいた。

今、なんでこうやって再び書いているのかというと、今仕事をしていなくて、ちょっとしばらく家に居るのが嫌でずっと出ていたから。
息子が出てからもうすぐ丸5ヶ月になるけど、そろそろ引き締めないとと思ってきて、節約をしていた頃のことを思い出してみた。
前のように体の調子が悪くなるようにまでしなくても、それなりに少ししないと。

次回は、ケチケチしていた時のケチケチメニューを。

***********************************************************************:
在宅の仕事をしていた時に、うらやましがられて紹介してほしいと言われることが度々あった。
私自身、紹介していただいたのでなんとも言えないけど、たまたま私は今までやってきた仕事と自分が独学で得た事があっていて、ほぼ1度の面接の時だけで後は電話などの指示を聞きながら出来たので紹介していただいた方には、仕事の事ではお聞きした事はない。
でも、ちょっといろいろとあって「もし私が紹介したら」私が教えないと駄目なのか?という疑問がうまれた。
エクセルはちょっと使えるけど、関数の知識がないとか、画像の作成はしたことがないとか・・・。
自分の仕事だけで最初は精一杯だったので、申し訳ないけど話をはぐらかしてお断りさせてもらった。
一から自分で勉強されて、やってられる人もいるとは聞いたが、多分「紹介して」と言う人は、人任せになりそうで。
それと、自宅でするという事は「隣に同僚、もしくは先輩がいない」・・・つまりは「教えてくれる人が隣にいない」って事。
凝り性なんで、わからない事は最初に徹底的に最初調べた。
用語がわからないので検索しまくる。
自分で資料も作り、シーズン初めには構成表も独自で作る。
「隣の同僚」は私自身しかいない。

仕事が終ったので書くけど、最後はいろんな技?を使いかなり早く出来るようになっていた。
でも、これを人に教えるのは難しい。
それと今まで早くできるようになったと書くとちょっと誤解が生まれた事があって、仕事の事はあまり書かないようにしなくてはと思った事があるので。
簡単じゃないのに簡単だと受け取られることもあると学ぶ。
文章だけだと難しい。

また、こんな仕事があれば・・・と思うけど、まず手を治すのとその前に絵を描く時間を。

コブちゃんは普通になった。


ウロウロ・・・ニャーニャー
起きている限り、ウロウロして鳴いている。

これで普通。
普通じゃない時は、かなりうるさかった。

ち・・・近い。



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ケチケチ道を極める_4

2019年08月21日 | 絵日記


なんとなーく秋の気配を感じる。
気温もそこまで高くなくなる。

まだまだ暑いのかもしれなけいけど、一番暑かった時と去年よりましなような気がする。

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このころ、本当にいろんな事にカリカリしていた。
息子が去年だったか、「お母さんに手がボロボロだから病院に行きたい」って言っただけですごく怒られたと言っていたが、私はまったく覚えていない。
ただ、確か受験などのストレスでアトピーがひどくなっているのがわかり月の半ば頃(比較的いろいろと余裕ある)「さっさと行きなさいよ」と言っていたのは覚えていた。
それなのにギリギリになって、おまけに月末に行ったものと思える。
段々思い出してきた・・・給料日1日前だった。
月末・・・ああ乗り越えるのに大変だった。
でも、結局怒りながら一緒に連れて行った。
病院にかかる金額が意外なほど安かったというのだけ覚えている。

やりすぎだと思うけど・・・こうしないと乗り越えられなかった。
自分が少々調子が悪くても病院にもかからなかったし、この頃からずっと自分の髪の毛は自分でカットしている。
癖毛で美容院に行っても一緒だというのもあるし、美容院が嫌いってのもあるけど(これは後で書く)


息子が生まれて(6月生まれ)すぐに長年、学資保険をかけていた。
満期になり、いよいよ使う時が来た。
私立の受験料高い。
ただ、うちは息子に確実に受かりそうなところで自分の行きたいと思う一番近い(それでも遠い)大学を受けてもらった。
息子の友達など、この受験料だけで25万ぐらいいったのだとか。
うちは全然低いけど、それでもケチケチして貯めていたお金が一気に飛ぶ。
それに受かったら入学金20万(返ってこないよ)

本当に何にケチケチしていたんだかって金額。


息子の住むところは、受験前に決めた(最近は、こうなっているらしい。これにはびっくりした。合格の連絡は先に不動産屋からあるというたまげた結果に)
一から全部揃えないといけない。
かなりきっちり金額を出し、自分としてはかなり完璧だと思った。
いや、今見ても完璧だ。
大体予算が決められているからその中におさめないといけない。
その中で、息子に不自由をさせないようにと親として必死で考えた。
家族でも何回も話し合った。
息子の祖父母からの支援もあったけど、それでも使える金額は限られている。
自分は大学に行ってないけど、「今」の世間の状況はネットで簡単に調べられるし、この「新生活」と言うのは、私が独身の頃会社でお客に提案してきた得意分野だ。
でも、ずっとカリカリしていたんだな。
いろんな人からの「お節介なアドバイス」が素直に受け入れられなくなっていた。
「そんな事わかっている!」と思う気持ちが怒りに変わった。
普段は、「知らないふりして聞いておくのは自分のため、実は自分が知らない事があるかもしれない」と考えて知っている事でもふんふんと聞くようにしている。
それが、ずっとギリギリの状態だったので聞けなくなった。
でも、私がわからないであろう「的確なアドバイス」をしていただける人もいた。
これには感謝しかない。


引っ越し業者に頼まなかったので、2回ほど行き現地で調達もした。
なので4月はかなり忙しかったし、5月の連休にも行き不便なところはないかチェックをした。
それが終ると途端に暇になった。
自治会は3月で任期が終わったし。

「奇跡」の事は、また次回に。

息子には本当は大学の「寮」に入ってもらうつもりだった。
しかし、この息子が行った大学がある土地は非常に賃料が安く、息子が
「バイトして家賃ぐらいは稼ぐので一人暮らしをさせて下さい」と言ったのとそれと少し前に「寮」は良くないという事を聞いていたのでちょっと私も躊躇していた。
この情報はまったく間違っていたと後でわかった。
息子も後日「なんで僕、寮が嫌だと言ったんだろう。高校生の僕は馬鹿だ」と反省。
いくら家賃が安いとはいえ、寮の金額とは全く違う。
これがあったので、あまりにもギリギリでは言うので金額が大きくない程度で奨学金を借りる事にした。
ただ、寮に入るのはかなり早い時期に申し込まないといけなくて、もしかして申し込んでも一緒の結果だったかもしれない。
私が一旦就職をしてから、一大決心をして専門学校(本当は大学に行きたかった)に入り直し、お金では苦労したら息子にはそこまでの苦労はさせたくなかった。
しかし、自分ちの経済状況はわかっていて欲しかったんだけど・・・。

結局、奨学金を借りる事で息子家賃は4年間まったく払わず、バイトしたお金は遊びに消えた。
ただ、大学院の2年はお金を出す代わりに(私のかけていた保険を解約した。多分進むであろう大学院のために隠し玉で置いてあった)、もうこれ以上奨学金を借りず最初の約束は守ってという事にして、家賃は自分で払う事に。

ただね、息子は今就職をして今月の給料がおとーさんを越えた(笑)
ギリギリでカリカリしても頑張って良かったのだと思う。
息子にいろいろとあきらめさせて、自分たちの生活に余裕を持たせることは簡単だった。
それでも、この不況の中で自分たちのようにギリギリになる事を将来避けさせたい、これはどこかで切っておかないとと思った。

将来の事はわからない。
私だって、バブル崩壊があり、震災(阪神大震災)があり、不況があり、リーマンショックがあるなんて予想も出来なかった。
私たち夫婦はそのたびに苦境に立たされ、自分たちに「手に職」をないのを嘆いた。
だから、息子には同じ道を歩いてほしくなく、この悪循環に陥るのを切りたかった。
一人息子だから出来た事だとは思うし、息子だって将来の事はわからない。

自分が「好きな事」で収入を得るというのは、難しい。
それは自分が一番良く知っている。
好きな事と出来ることは違う。
息子には大きな意味で自分の得意分野で収入を得る道をずっと考えるようにと話してきた。

これからどうなるのかわからないけど、今のところ希望していた職種につけたようで、資格なども取っている。
収入があるから趣味が出来たり、好きな事が出来る。

それと前回塾の話を書いたけど、もっといい塾や進学塾に行かせれば、もっといい大学に入れたか?ってのは疑問。
もっと上の大学に入ったからと言って今の結果がどうかわからないもの。



ある時息子が「お母さんの名前は『ケチ子』だ!」と言った事を思い出す。
いやいや「ケチ子じゃなくてケ『エコ』よ。エコなのよ」と言い返した。

私の名前はご想像の通りです。

ケ『エコ』がいたので今の君の給料がある。
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