中さん

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日記(9.23) 散歩道の木々

2017-09-23 16:31:01 | 日常
9月23日   (土曜日)   少し青空も見えてきたが・・
午後、散歩に出てみる。少々だるい!

雲がまだ多い。湿度が高くなってきたので暑苦しい。
ムクゲの花が咲く。



木槿 (むくげ)~~~
・葵(あおい)科。
・開花時期は、 6/25 ~ 10/15頃。
・中国原産。平安時代に渡来。
中国名を「木槿(ムージン)」と呼ぶ。
 漢字はこの字があてられている。漢名の「木槿」の音読み「もくきん」が
 変化して「むくげ」となったとも・・、
 韓国の呼び方
 「無窮花(ムグンファ)」または「ムキュウゲ」が変化して
 「むくげ」となった、ともいわれる。

 韓国では
 国の繁栄を意味する花として国花になっている

・早朝の3時頃に開花した花は夕方にはしぼんでしまう。「一日花」。

 「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」
  (人の世ははかない、の意)に例えられているが、
 次々に別の花が咲くため長く咲くように見える。

・強い木で、枝を切って地面に刺しておくと
 いつの間にか根づくらしい。
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・8月28日の誕生花(木槿)
・花言葉は「信念」(木槿)
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「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」 野ざらし紀行 松尾芭蕉
 「それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿」 小林一茶
・似ている花 立葵  芙蓉
★韓国では沢山この花が咲いていたなあ~!
 40年前の韓国では 
 綺麗な空と空気・カササギ(鳥)・ムクゲの花などと言っていた。
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葉っぱが奇麗な”桂”の木も木漏れ日に透かして・・

・日本原産。・山地の渓流沿いなど水辺を好む。
・高さは30mぐらいになる。
葉は丸くハート形で、よく目立つ。
 秋、黄葉すると、とても華やかになる。

・材は建築、家具など
 いろいろ利用される。
 京都の葵祭(あおいまつり)
 でも使われる。
・「香りが出る=香出(かづ)」
  から、次第に「かつら」になったといわれる。
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花ミズキも赤い実をつけてコントラスが良い感じだ。



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なんの木であったか?な 青い実がぶら下がっている。

玉すだれが盛んに咲く。


これも彼岸花科だという。
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山に雪をかぶった様に咲く?葉っぱの色!
名前を憶えてもすぐに忘れるこの頃!

キンモクスイも膨らんでいる。

つづく・・>

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日記(9.23)花オクラ「トロロアオイ」

2017-09-23 10:44:48 | 日常
9月23日   (土曜日)   曇り

花オクラ”と言うものをいただいた。

大きな黄色い花でオクラの花を大きくしたもの・・・だ。
どう食べるか?ネットで調べてみた。クックパッドで・・
三杯酢でいただく。シャキシャキして歯触りが良い!


お椀にもいいかも

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トロロアオイという植物名の事らしい。
 黄蜀葵 (とろろあおい)
 (通和散(つうわさん)


うす黄色の大型の5弁花。
 初秋に咲く。 一日花で、
 夕方早い時間に閉じる。

・根の部分が粘っこいらしい。
 和紙に使う糊には
 トロロアオイの根が
 よく使われる。
・「おうしょっき」とも読む。


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日記(9.23)茗荷・コラム「過労死」

2017-09-23 10:14:08 | 日常
9月23日  (土曜日)     雨・・・>曇り

昨夕から結構激しく降った雨。
9時頃には止んだがこれから曇りのままで行くのかな?
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庭先に植えこんでおいた茗荷の根が、今年成長して実をつけた。
秋茗荷だ!丸々太っている。

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昨日畑で実をつけた青じそを切り取って来た。
丁度いい感じだ!
この実をだし汁に漬け込んでつまみにすると
結構いける。


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電通の社長会見が・・・あったが
母親は納得いかない様子の会見だった・・

過労死」という言葉が、社会に突きつけられたのは、そう古いことではない。
急性死」などと呼ばれていた過重な労働の末の死に先駆的に取り組んでいた
 関西の医師らが、『過労死』と題した本を、
 1982年に出版したのが始まりとされる。

その後沢山の本が出ている。


 ▼当時を知る松丸正弁護士は、ふり返る。
 「最初に、この言葉を聞いた時は違和感がありました。
  これは特殊な労働現場の問題で、それほど一般的な問題ではないのではないかと」

 ▼しかし、「過労死」という言葉は、根付いた。
  「思ったより、根が深く、広い問題でした。
  かつては4.50代からの相談が多かったが、
  最近は若者の過労自殺をめぐる相談が増えています」と松丸弁護士は話す。

 ▼たとえば…岐阜県内の病院で勤めていた26歳の青年は、
  時間外・休日の労働時間が月100時間を超える日々を三カ月送った末に、
  自ら命を絶った。

 ▼彼は、こういうメールを送っていたという。

 <もう生きてることって何なのかわからない…>
 <体がいくつあっても足りない仕事の毎日…。この先に未来はない…>
 <今日で終わりにしようと思います>。

 メールの宛先は、自分自身だった…という事実が、あまりにも悲しい。
▼「過労死」という言葉を35年前に世に問うた医師らは、
  「この言葉が一日も早く死語になってほしい」と願っていたという。
  そうしなければならない言葉である。


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  海外でも”KAROSHI”と言われている程
  日本独特の問題らしいが・・・
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