中さん

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日記(10.5) コラム「相撲年寄」

2018-10-04 13:52:56 | 日常
10月5日  (金曜日) 曇り

今日も曇り空。台風の多い年だ。

一度刈り取っておいたらニラの柔らかい葉が出てきてた。。

市場に、今週もお肉などを求めに行きながら花も買い込んだ。




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コラム「相撲年寄」のことが・・

江戸時代に「相撲浪人」という言葉があった。
この浪人はたとえでなく、仕えていた大名に暇を出されたという本来の意味である。
力士が大名に召し抱えられていた当時、老齢で土俵を退くと相撲浪人になった。

▲この相撲浪人を仲立ちとして相撲興行が行われるようになったのが江戸時代の中期で、
 「相撲年寄」の起源である。
  幕府も興行を相撲年寄だけに許すようになり、
  年寄名跡が重んじられるようになった(池田雅雄著(「相撲の歴史」)



現役力士を引退した年寄による相撲興行は今日の日本相撲協会にまで引き継がれた。

 105の年寄名跡に加え、一世を風靡(ふうび)した名力士は一代年寄として遇される。
 そして今、平成を代表する大横綱だった一代年寄が大相撲から去った。

▲先日は力士の引っ越しが報じられ、とうとう貴乃花部屋は名実共に消滅した。
 振り返れば自らが協会理事を務めていた昨年来、
 不可解な行動で騒動を繰り返した貴乃花親方だった。
 結局は理事降格でも事は収まらず突然の退職である。

▲伯父や父は一時代を築いた名力士。
 兄弟横綱で平成前半の相撲人気を沸騰させ、
 鬼気迫る名勝負を時代の記憶に刻み込んだその現役時代である。
 年寄となっても、
 世のファンが相撲界改革のヒーロー役を期待したのは成り行きだろう。

▲だが土俵で勝負が決まる現役時代に対し、自分の考えを示して共感を広げ、
 意見の違う相手とも話し合って物事を前に進めるのが年寄の仕事だ。
 そこで自らのオーラをうまく生かせなかったのが残念である。
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★なんだか角界の内情がわからないので”もやもや”感があって
 ニュースを見ても誰も本当のことが分かっていない感じだなあ~!
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日記(10.4)

2018-10-04 13:51:52 | 日常
10月4日  (木曜日)  
近所の空き地にススキが揺れる。

区画整理でまだ住居の建たない場所は夏の盛りを雑草で覆われていたが
ススキで幾分かは、あの激しい緑の伸びの時期を忘れさせる。

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家の前では、雨の谷間をぬって稲刈りが始まった。

畑もまだ、ぬかっていて耕せず、きゅうり・インゲンのクネとネットかたずけを行った。
5列分もあったので半日以上かかってしまう。

食用菊”もってのほか”が咲きだした。

もう少し花びらが長く伸びてきたら摘み取りだ。

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小学6年生の陸上フェスティバルが熊谷市全校から集まって
スポーツ文化公園の陸上競技場で行われている。
9時には行ってみる。駐車場は結構な混雑もようだ。


100mを見る。

各校の代表がスタートを待っている。

スタートもかっこいい!

走り高跳び・走り幅飛び・ボール投げ・なども行われている。

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11時から敬老会で使う飲み物等を買い出しに行く。
お茶ペットボトル240本・お酒22本・ウーロン茶を数ケース
結構な重量になるので今年はもう一台車追加で手伝いに入ってもらう。
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天候はいまいち曇りでうっとうしい日だ。
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コラムにもまたノーベル賞のことが

英国の細菌学者、フレミングは後片付けが苦手だったらしい。
1928年、夏休みの旅行から研究室に戻ってみると、
球菌の培養に使ったシャーレに青カビが生えていた。普通ならすぐ洗ってしまうところだ。

 ▼フレミングは、青カビの周りだけ細菌の生育が止まっているのを見逃さなかった。
  カビがつくる物質を突き止めて、ペニシリンと名付けた。
 「奇跡の薬」と呼ばれる抗生物質は、偶然から生まれた。
  フレミングは45年にノーベル医学・生理学賞を受賞している。

 ▼「偶然は、準備のできていない人は助けない」
 
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フランスの細菌学者、パスツールの名言である。
  今年のノーベル医学・生理学賞に決まった京都大の本庶佑特別教授(76)も
  フレミングと同じように、準備ができていた。



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 ▼27年前、本庶さんの研究室で偶然見つかったタンパク質の遺伝子は、
  PD-1と名付けられた。
  本来の研究目的とは関係のない物質だったが、本庶さんは「面白い」と直感した。
  実験を重ねて、異物を攻撃して体を守る免疫にブレーキをかける役割が見つかった。

 ▼ブレーキをはずせば、免疫ががんを攻撃してくれる。
  がんの専門家でないからこそ、医学の常識にとらわれない本庶さんの発想から、
  がん免疫治療薬「オプジーボ」は生まれた。
  がん治療を一変させる「奇跡の薬」になり得ると、世界中の注目を集めている。
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 ▼本庶さんは、中学から高校卒業まで、
 ハワイから帰国した日系人に英語を習っていた。
 大学入学前、得意の英語を生かして外交官を志望するか、
 あるいは弁護士か医師かと進路に迷った。
 野口英世のように病気の原因を発見すれば、
 多くの人を助けられると、京大医学部に入学する。
 医学の道を選んでくれて本当によかった。
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