マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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山添のお月八日

2013年09月03日 08時00分31秒 | 山添村へ
山に出かけて伐りとったイロバナはヤマブキ、フジ、ヤマツツジ(ベニツツジとも)の三種。

黄色に薄紫色と朱色の三色だ。

この年もフジの花は少なかった。

高い場所に多く咲いているフジの花は手が届かない。

数本しか採取できなかった。

高枝を伐採すれば低いほうにも芽吹くらしく、今年から採取地を準備しておきたいと話すOさん。

十字の花を飾りつける竹も採ってきた。

昨年は高すぎたので短くしたという竹の長さは3m20cm。

青竹でなく、軽くなった枯れた1本の竹を伐り取って家に戻った。

早速始めたお月八日の花飾り作り。

汚れないようにシートを敷いた場に伐り取った竹の竿を置く。

今ではシートであるが、かつてはコモだった。

黄色い花をつけたヤマブキの枝を揃えて縦に置く。

その上から横方向にもヤマブキの枝を置く。

黄色いイロバナが三方に広がる。

ヤマツツジの枝も揃えて縦と横方向の三方に置く。

それから収穫されたフジの枝を置いた。

僅かな量であるから目立たないフジの花である。

竿竹から抜けないように紐で縛る。

強く縛らなければ花が落ちてしまうのでしっかりと括る。

横方向の花もしっかりと括ってできあがった。

バランスがとれた三方の花は美しく飾られた。

お月八日の花立てを家のカドに立てる。

蓆を敷いてカド干しをしていた前庭である。

いつもこうしているが立てるカドの場所は一定ではない。



この年は木製の支柱に結わえて括りつけた。

向きはこれでいいやろと云って調製する。



いつもの通りに記念写真を撮るご主人。

家の行事の記録をフイルムに納める。

男性の話によれば同じ大字住民の2軒がその風習をしていた。

一軒は竿竹やツツジ、フジの花が準備できていなかったことからその年はされなかった。

今年もされなかった風習をオツキヨウカと呼んでいた。

もう一軒は10年前までにカドで立てていたというT家。

フジやベニツツジの花を束ねて竹の先に十字に組んだ。

その頂点に括りつけたのは秋の収穫に使った稲刈りのカマだったと話す。

カマは立てるように括りつけた風習がなんのおまじないであるのか判らないという。



翌日の八日はそのままにしておいた竿竹の花飾りは九日に下ろすご主人。

かつては旧暦4月8日に花まつりが行われていた田原本町の伊与戸。

昭和59年に発刊された『田原本町の年中行事』でそれが紹介されている。

「オツキヨウカ」とも呼ばれていた日であった。

その日に天道花(てんとばな)を庭に立てていた写真が残されている。

数メートルもある長い竹竿の先には山に咲くツツジの枝葉を天頂に括りつけ、1足の草履を入れた竹カゴをぶら下げていた。

そのカゴには「何か良いモノが入る、或いは3本足のカエルが入る」と云われていたようだ。

「オツキヨウカ」は新暦の五月八日だったが、旧暦でいえば四月の卯月(ウヅキ)だ。

「ウヅキ」は「ウツキ」。

さらに訛って「オツキ」となったのであろう。

「ヨウカ」はまさしく「八日」だ。

天理市の二階堂辺りでもその風習があったとある。

川上村の高原では4月8日に行われている釈迦誕生祭を花まつり、或いは「オツキヨウカ」と呼んでいた。

その日のこと。各家では杉の木の先端に葉を付けた杉の木を立てた。

そこにヤマブキ、シャガ、ツツジ、ボタンなどの花を縛り付けるのは「オツキヨウカの習わし」だと云っていた。

平成20年の花まつりの際に聞いた話である。

杉の竿を高く立てると鼻の高い子が生まれるといって高さを競いあったという。

「風が家に当たるとあかん」と云ってその日の夕刻に降ろしていた。

翌日にはコイノボリを揚げなくてはならないことから、早くしまうようにという意味もあったという。

一軒、一軒と止めていって、10年前にはすべてが村から消えたオツキヨウカの風習はどこかコイノボリと似ている。(平成20年4月8日筆者聞き取り)

「5月8日はオツキヨウカだった。そのころは山にツツジが咲いている。太い真竹を切ってくる。10尺の長さの竹の先にツツジを取り付けて今年も豊作になるようと祈っていた。ツツジは3本。中央はすくっと立つツツジ。2本背中合わせのようにして縛った。先代の親父がしていたことは記憶にある」と語る旧都祁村藺生の男性T氏は、戦後の昭和30年代のころまでしていたという。

トラクターが田んぼを耕すようになって消えたそうだ。(平成22年4月29日筆者聞き取り)

都祁の南之庄に住む住民Mさんは「オツキミ」と呼んでいた。

ツツジの花が咲くころだったから春。

そのツツジを長い竹の竿の上に十字に縛って庭に立てた。

子供のころだったというから60年も前のことのようだが、「なんのことかわからん」なりに立てていたと話す。(平成24年5月27日筆者聞き取り)

奈良市別所町でも同じような風習を聞いた。

「春の日やった。先に十字にこしらえて花を付けた長い竿を立てた。そこに籠を取り付けていた」。三本足のアマガエルが入っておればめでたいことだったと話す高齢者のOさん。

実際には見たことがないが、入った家があったということを聞いたことがあるという。

それを「オツキオカ」と呼んでいた風習だが、長い竹竿の名はなかったそうだ。

別所町では一軒、一軒、ほとんどの家が揚げていたそうだ。

花を括って十字に縛るのは、今でもその仕方を覚えているそうだ。

19歳で兵隊いっていたときの頃の話というから、およそ70年も前のことの風習だった。

同村に住むO婦人も覚えており、同じく「オツキオカ」と呼んでいた。

「オツキオカ」はおそらく「オツキヨウカ」であろう。

「ヨウカ」が訛って「オカ」になったと考えられる。

春の日というのは4月の八日。

4月は、十二支を月で数えると、子、丑、寅、卯、辰、巳・・・。

つまり4月は卯月にあたる。

「卯月」は「ウツキ」。

それがなまって「オツキ」になった。

そうして呼ばれた別所の風習名称は「オツキオカ」となったのであろう。(平成24年7月8日筆者聞き取り)

奈良市の長谷町でもあったと伝わる。

竹竿の先に紅ツツジ、藤、山吹などを十文字に、その下にも一束くくりつけ、さらにその下に小籠も吊して、花や三本足の蛙が入っていると吉だという。(平成24年9月2日筆者聞き取り)

各地の伝聞、或いは実体験は、かつて奈良県内各地で見られた「天道花(テンドウバナ)」の風習だと思われる。



大和タイムズ社が昭和34年に発刊した『大和の民俗』の中に「四月八日」の項で記されている「ウヅきヨウカ」。

奈良県高市郡では八日花と呼んでお月さんに届くぐらい高く揚げた。

ワラジを吊るして脚気のまじないにしていた。

吉野郡では「オツキヨウカ」は訛って「ウキョウカ」。

下田村史には「オツキ八日、花よりダンゴ」と云って、7日の夕方にモチツツジとダンゴ花を竹竿に付けて立てた、とある。

高く揚げると次に子供ができたときは鼻が高くなる、或いは虫がつかぬとあるそうだ。

二上村史にも同様の記事があり、新しい竹にモチツツジの花とホソの実を高く括りつけてお月さんに供える。

宇陀郡では上のほうを十字にして三方にさまざまな花を飾ったそうだ。

カゴをぶら下げた一本と花付けの一本の二本を立てる。

長いほうが月で、短いほうは星に供えた。

天から下りてくる三本足のカエルが、このカゴに入ったら幸福がくると信じられていた。

大柳生村史によれば竹や丸太を組んで立てていた。

レンゲツツジなどの八日花や茶の花を飾って一晩立てた。

翌日に三本足のアマガエルが入っておれば福がくるという。

昭和63年に発刊された『楢町史』記載の春の行事に「アマチャのまつり」がある。

四月八日はお釈迦さんの誕生日。

興願寺へ甘茶をもらいに行ったその日のことだ。

「お月八日」と云ってダンゴを搗く。

ツツジの花などを竿の先に十文字に括りつけて庭先に立てる。

「シングリ」を括りつけておいた竿は「おつき八日花たばり九日」と云って九日には立てていた花飾りの竿を倒して屋根に放り揚げた。行方不明の人がでたときは、この花を焼けば煙がなびく方向に居る」とある。

こうした「オツキヨウカ」の「テントバナ」の風習は和歌山有田や兵庫県、大阪和泉もあったというからそうとう広範囲に伝播していたのであろう。

(H25. 5. 7 EOS40D撮影)