マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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井戸野を訪ねて

2013年09月24日 08時48分18秒 | 大和郡山市へ
O氏は85歳。今でも春日大社の稲を育てている。

昨年末には神官がこられて大注連縄を作られたという。

O氏が作る簾型の注連縄は美しくできあがる。

寄贈していただいた大注連縄は今でも県立民俗博物館にある。

笹の葉っぱも落ちずに、である。

井戸野は60軒。

すべての家が行者講中にある。

廻り講はそのうちの十数軒。

子どもは二十数人もいるという。

ほとんどが女児。

数少ない男児は小学校6年生まで呼出案内の貝吹きをする。

大峯山の龍泉寺の水行は女人禁制ではないが、「結界」から入ることはできない。

いずれは貝吹きも女児が務めるようになる時代がくるであろうと話す二人の講中。

まだ80歳にも満たない講元のMさんが今年の1月に亡くなられた。

講元以外の家では継ぐことができない筋目の家である。

廻り講には影響もないが、山上講ではそういうわけにはいかない。

龍泉寺との直接的な関係がある講元が替えるには難しいと話す。

かつては井戸野に六斎念仏があった。

すいぶんと前のことであるが、今でもそれを「チャンガラガン」と呼ぶ。

「なぁっっぱいだ、なぁあんまいだ」と念仏を唱えていたと口ずさんだのはOT氏である。

新仏の家に参って「チャンガラガン」こと、六斎念仏を唱えるのは7日から14日までの毎日。

今でいう婦人会は尼講であった。

西国三十三番のご詠歌を唱えていた。

14日の六斎は村じゅうを巡っていたそうだ。

新仏の家にはタナがあった。

廊下ではなく屋外に立てた新仏のタナはコモを被せていた。

コモが生えている処は川だった。

それを採ってきてこしらえたタナであったと話す。

(H25. 5.25 聞き取り)