マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原篠楽・下垣内地蔵尊の開眼法要

2020年01月23日 10時06分22秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
本日の午前中は三郷町勢野(せや)、京都南山城村の高尾、奈良市荻町

昼食を済ませて出かけた先は宇陀市榛原。

大字小鹿野の不動滝の場を求めて車を走らせたが、途中で気が替わって足を伸ばすことにした。

再設定した目的地は大宇陀平尾。

神社行事にチマキを供えると聞いていた。

お供えがあれば、と思って走っていたその道中である。

これまで見ていた景観がすっかり消えて、まるで宅地開発のようにしていた荒地工事。

その地は、宇陀市榛原の篠楽(ささがく)下垣内。



2年前の平成28年8月28日に撮った景観とは打って変わって広々としていた。



覆っていた森林すべてがばっさり開墾の地にある「しゅく」の地蔵さんの前に何人かの人たちがいる。

緊急停車した車から降りて近寄ったその場で行われていた法会。

関係者にお聞きしたら新しく地蔵堂を建て替え、今日はお寺さんに来てもらって開眼(かいげ)法要をしている、という。

当地は工場の地。

駐車場拡張のついでに地蔵堂周りの大木も伐採、周囲を明るくした当地に新しく建て替えることにした。

当地を見つめて村を守ってくださる地蔵尊。

田んぼの土で泥だんごをこしらえて供えたら、足の痛みが治る、といわれる霊験あらたかな地蔵尊。

8月23日、24日の次の日曜日に地蔵祭りをしている、という「しゅく」の地蔵さんである。

以前、というか、平成28年の8月28日である。

その日に行われた篠楽・上垣内の地蔵まつりを取材させてもらったときに教えていただいた「しゅく」の地蔵さん。

かつては下垣内の人たちと上垣内の人たちが参っていた。

上垣内の人が云うには、下垣内の「しゅく」の地蔵さんは、我がところの地蔵さんでなかったが、参らせてもらっていた。

上垣内には地蔵さんはなく、あるのは「イシガンノン」の呼び名がある石観音である。

20年前に決断された上垣内の人たち。

「イシガンノン」を地蔵さんのように下垣内と同じ日程で行事をするようにした。



ちなみに「イシガンノン」は「奉供養西国三十三番」の刻印がある。

西国八番札所の長谷寺へ参る里道。

上垣内の人たちは、ここの道を長谷街道と呼んでいた。

一方、「しゅく」の地蔵さんが建つ地もまた長谷寺へ参る里道沿いになる。

篠楽から長谷寺参りする道は二通り。

北の山間に建つ「しゅく」の地蔵さんから西に下る道を行けば、榛原柳である。

そこから長谷寺まではそう遠くない距離(3km)であるが、旅宿があったかもしれない。



「しゅく」は「宿」。

そう考えてもよさそうな「しゅく」の地蔵尊は、また長谷寺観音信仰とも関連性があるように思えてきた。



地蔵堂の新築落慶に僧侶が法要する性根戻し。

それを「開眼(かいげ)」と呼ぶ。

東大寺もまた「開眼(かいげ)」をしている、と僧侶は話していた。

開眼法要を終えたら御供下げ。

当番のTさんから、これも縁だ、と云って御供した赤飯をくださった。



母親が作ってくれた、という赤飯。

ありがたく頂戴した。

(H28. 8.28 EOS40D撮影)
(H30. 3. 3 EOS40D撮影)