小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



6月25日、小田原は梅雨晴れの真夏日。気温は10時過ぎには32度まで上昇している。暑いのと先日の登山の筋肉痛のため自転車でパンを買いに出かけた。自転車でフラフラと小田原駅まで出かけた。走っているとそれほど暑くなく感じるが停まると汗が噴出す。日差しが強い。緑町ちかくのブランジェ昇平堂で朝食のパンを買った。学生時代、この近くでバイトをしていたので当時は休憩時間に良くおやつを買いに昇平堂に来ていた。惣菜パンの種類が多い。パンを買ってから小田原城東堀へ。開催中の小田原城あじさい花菖蒲まつりは明日まで。この暑さで紫陽花も萎れ始めていた。遠目に眺めるだけならまだ綺麗に見える。小田原城を後にして、海開き目前の御幸の浜へ。近くの突堤の途中に座り打ち寄せる波をを眺める。日差しが強くて暑いが海風が心地よい。ブランジェ昇平堂で買ったチョリソーが乗ったピザを食べる。スパイシーで美味い。良く冷えたビールが飲みたくなる。西湘バイパスの下には海の家も出来ていた。まもなく海水浴客で御幸の浜が賑わう季節を迎える。

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梅雨晴れとなった6月22日、富士宮口5合目を朝8時に出発し富士山頂を目指した。平地では真夏日となったようだが、やはり3000m級の山だけあって9合目付近では気温が5度近くまで下がり寒さの中、ようやく登頂することが出来た。10時50分、富士山頂に到着した。富士宮口を出発してから2時間50分ほどで登頂。ブル道で迂回したので馬の背の下に出た。左を見ると富士山の最高点がある剣ヶ峰。右を見ると富士宮口山頂の浅間大社大奥へ続く道が雪で閉ざされ除雪作業中だった。剣ヶ峰には何人か登っていたので、先に富士宮口山頂の浅間大社大奥を見に行くことにした。除雪中の脇を通り富士宮口山頂の浅間大社大奥へ。鳥居の周辺に雪がだいぶ残っている。神社の入口は雪が吹き溜まりになっていて1.5mほど埋もれていた。山開き後はこの入口の近くに郵便ポストも設置される。浅間大社大奥から剣ヶ峰に向かう。神社裏のこのしろ池は凍っていた。重機で除雪していた山小屋のオヤジさんに話を聞いたところ、来週、富士宮口山頂の公衆トイレの管理業務の入札があるので、入札前だが早めに作業が出来るように除雪しているとのこと。その公衆トイレは雪に埋もれていた。入札後にトイレ周辺の除雪作業に取り掛かるらしい。雪の上を歩き最高点のある剣ヶ峰に向かう。浅間大社大奥から剣ヶ峰までは10分ほど。剣ヶ峰へ続く馬の背の急な上り坂。鉄柵沿いには雪が無くて歩きやすかった。富士山で最も高い場所である剣ヶ峰の上に到着。二等三角点や3776mと刻まれた石柱や気象観測用の機材が設置されている。夏山シーズン中は長蛇の列が出来る場所だが、山開き前なので誰もいなくてひっそりとしている。日本一高い場所でのんびりと景色を楽しんだ。噴火口の中にもだいぶ雪が残っている、スキーをしている人もいた。測候所の裏手にある展望台にも行った。高所恐怖症気味なのであまり好きな場所ではない。南アルプスの山並みが見渡せて綺麗だったが風が強くて展望台が小刻みに揺れて腰が引ける。体と肝が冷えた。富士山頂の素晴らしい景色を満喫し剣ヶ峰を後にした。入れ違いで冬富士登山で有名な大貫金吾さんが登ってこられたので写真を撮らせてもらった。午後2時半、富士宮口5合目に到着。山頂付近は風が強くて寒かったが、天気も良く景色も楽しめた。また来月登りたい。

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体力作りのトレーニングで富士山に登っている。ここ数年は、年に5,6回は登っておりトータルの登頂回数も30回ほどになった。6月22日は前線が太平洋側に移動し、高気圧におおわれて絶好の富士登山日和。早朝に小田原を出発して富士宮口5合目を目指した。御殿場市内から富士山を撮影。山頂右側が富士吉田ルート。左側が富士宮ルート。今回登る富士宮ルートは残雪が少ない。少し寝坊したので富士山スカイラインに到着したのが7時半頃。現地に来て知ったのだが、地震の影響で路面の修復工事などが行われており、夜間~朝7時30分までが通行規制中。寝坊したのが幸いしてゲートで待たずに通行出来た。8時ちょっと前に富士宮口5合目に到着。標高は2400m。気温は15度ほどで涼しい。早朝だと小田原から1時間半で到着するが、少し混んでたので1時間40分ほどかかった。山頂までのルートを見ると残雪も少なく登りやすそうである。念のため、アイゼンとピッケルを持ち8時に登山を開始した。8時15分、6合目の山小屋前を通過。標高は2490m。冬山装備の重たいザックと登山靴なのであまりペースが上がらない。9時10分、元祖7合目を通過。標高は3030m。風がだんだん強くなってきた。7合目からの眺望。霞がかっていたが伊豆半島や駿河湾が見渡せた。箱根の山並みの向こうには足柄平野も見えたので、午前中は小田原からも富士山が良く見えたのではないかと思う。9時40分、八合目に到着。標高は3250m。気温は10度ほどで風もだいぶ強くなってきたのでフリースを着る。10時4分、9合目に到着。標高は3410m。8合5勺から上の登山道は所々雪に覆われていたがアイゼンをつけるほどではなかった。9合目の山小屋の横はブルドーザーが通れるように除雪してあった。10時23分、9合5勺に到着。標高は3550m。寒さに耐えかねて冬用のジャケットを着る。寒さで耳が痛い。9合5勺横の残雪。高さは3m以上。ここから山頂まで200mほどをアイゼンをつけて雪の上を直登するかブル道で迂回するか迷ったが、アイゼンをつけている間に体が冷えそうなのでブル道を進むことにした。10時40分、ブル道で迂回して富士山測候所の真下まで到着。5合目から2時間40分ほどと今年初めての富士登山としてはまあまあ良いペースで登れた。残りは100mほど。あと少しで山頂だ。<後編に続く>

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梅雨の晴れ間となった今日は気温が上がり小田原でも午後2時に33.5度を記録し真夏日となった。幸いなことに今日は代休を取り朝早くから山登りに出かけたので日中の暑さからは逃れられた。しかし山頂は風が強く涼しいを通り越して寒さを感じるくらいの気温でフリースの上に冬用のジャケットを着て凍えながら下山した。クーラーの効いた車で小田原に戻るとびっくりするほど暑く感じる。部屋の中も蒸し風呂状態だったので、夕涼みがてら自転車で開成町のあじさい農道に出かけた。酒匂川のサイクリングコースを通り開成町のあじさい農道に向かう。河原を渡る風が心地よく自転車で走っていると涼しい。向かい風の中、夏草の匂いがするサイクリングコースをゆっくりと走った。40分ほどで開成町のあじさい農道に到着。夕暮れの空の下、紫陽花は満開に近いくらい咲いていた。時折、農作業の車や散歩の人が通るだけで閑散としている。したしみ通りのアナベルも見事な咲き具合だった。白い花が徐々に夕暮れの色に染まっていくのをのんびりと眺めた。夕暮れの風に稲がそよぎ、田んぼには夕日がきらめいている。疲れていたが良い風景が見れたので来て良かった。紫陽花の向こうに今日登った山が夕霞の中に僅かながら見えた。

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小田原市西大友の県道小田原松田線沿いにかつてあった足柄梨業組合の跡を探しに盛泰寺門前を訪れた。残念ながら組合跡は見当たらなかったので、盛泰寺の参道にある石塔を撮影していたところ力石を発見した。小田原市西大友の宝珠山盛泰寺は曹洞宗のお寺。門から本堂までの参道にいくつの石塔や石仏が置かれている。参道の石塔の中でも目を引くのが「二十三夜大勢至」と刻まれた二十三夜供養塔。二十三夜供養とは月待の信仰のひとつで、特定の月齢の夜に集まり月を拝み念仏など唱えた民間信仰である。月待の信仰は江戸時代に全国的に流行したが、この小田原ではあまり普及しなかったようで、市内に残っている二十三夜塔はわずか6基ほど。その中でも盛泰寺参道のものが一番大きい。その二十三夜供養塔の反対側に力石が置かれているのを発見した。力石は江戸から明治時代にかけて力試しに使われていた石。当時の祭りの行事には力試しがあったようで、より重い石を持ち上げることを競っていた。力石は米俵より重い60キロ以上のものがほとんどで、試しに持ち上げようとしたがびくともしなかった。力石は自然石を利用したものが多く、文字が刻んでないと普通の石と見分けが付かないが盛泰寺参道の力石は基礎の石に力石と刻まれている。この盛泰寺の墓所には札幌を開拓した大友亀太郎が眠っている。天保5年に小田原で産まれた大友亀太郎は二宮尊徳の門下生となり、東北地方でいくつかの開墾を成功させた後、当時未開の地であった北海道札幌に渡り開墾に尽力した。小田原ではあまり知られていない大友亀太郎だが、札幌ではゆかりの物や場所は有形文化財や史跡に指定されており、銅像や名を冠した公園も整備されている。大友亀太郎の筆跡は西大友周辺の碑文に残されているようなので、近くに散策に出かけたときに探してみようと思っている。

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