ありがとう
アリガトウ
先ほど挿した一枝の素芯蝋梅の
たった二つの花が
部屋いっぱいに
胸の奥底までも、香ってきます。
花の香に乗せて、
皆様に、
今年一年間の、有難うを申し上げます。
どうぞ、来る年が素敵な年になりますよう!
ありがとう
アリガトウ
写真は、草花写真館 様よりお借りしました。
ありがとう
アリガトウ
先ほど挿した一枝の素芯蝋梅の
たった二つの花が
部屋いっぱいに
胸の奥底までも、香ってきます。
花の香に乗せて、
皆様に、
今年一年間の、有難うを申し上げます。
どうぞ、来る年が素敵な年になりますよう!
ありがとう
アリガトウ
写真は、草花写真館 様よりお借りしました。
13日、横浜大桟橋に行ってきました。
出港の合図の銅鑼が、広くひしゃげた音を響かせてデッキを移って行く。
まるで、異次元の世界に紛れ込んだような私たち3人。
にっぽん丸のデッキから投げられる無数のテープは、
よほど強肩でないと桟橋側には届きはしない。
それでも、、たくさんの手と手を結んだテ―プを風になびかせ、
午後2時、船はゆるやかにすべりだした。
万葉時代の領巾(ひれ)のように、ハンカチを振ろうかと思ったが、
演歌の人みたいなので止めた。
商船三井の豪華客船 「開国と維新の街 平戸・ 防府クルーズ」の出港。
船上講演と筝演奏をなさる、清川 妙先生と、酒井さんをお見送りしたのです。
(先生には、サプライズにするつもりだったのが前夜に・・・)
ボン・ボヤージュ どうぞ、よい旅を!
☆☆☆
★にっぽん丸を見学
大きい! 海の上に8階建ての巨大ビルが浮かんでいる感じ。
隣のビルに入るように、自然に船の中に入っていた。
(カメラは、パノラマ機能があるのに、すっかり忘れて舳先が切れてしまった。情けない。)
入口を入ったところにエレベーターホールがあり、
1-7階をエレベーターで上下し、まだ誰もいない船内を見学する。
プールや、ラウンジ、カードルーム、シアター。
豪華客船のふかふかのフロアと旅を楽しむ雰囲気にみちた、心地よい空間。
目的地への距離を縮める空の旅もいいけれど、
ゆったりと、優雅なプロセスをたのしむ船の旅もまたーー。
お金も時間も、とても追いつかないけれど、いつかこんな船旅ができるだろうか。
酒井さん、出港前のひと時、すてきな企画をありがとうございました。
翌日、2時ごろ、"kotonist"の酒井さんからメールが入った。
”瀬戸内海です。今、明石大橋くぐります。”
嗚呼、旅は「目さむるここち」、思いを馳せている私たちまでも。
毎月届く小さな贈り物。
とっても軽い。120円の切手で届く。
12月は、クリスマスツリーのミニタペストリーだ。
細やかな手仕事。
これを仕上げるために、友がどれだけの時間をかけたことか、
のりと鋏と糸と針を駆使したことか、
しみじみと伝わってくる。だから、
大事に、玄関の本だなの横に掛ける。
友は、専門の洋裁の腕を生かして、
お年寄りや障害のある方たちのために、着やすい衣服を作る
ボランティア活動を仲間と続けている。
ミニタペストリーもそのスペースに置かれている。
衣服のほうは、個人差に合わせての仕事なので、とても大変そうだ。
その分、使うひとにとっては、より便利ということになるのだろう。
連絡を受けて伺うと、一人暮らしのお年寄りの方など、待ち構えていて
いろいろな思い出の品や、老人クラブで作ったものなど、
全部引っ張り出して見せたりする。話をききながらの打ち合わせに
半日近くかかる。
一番必要としているものは、、”コミュニケーション”なのだ。
前に彼女から聞いた電話の話。
庭で草むしりをしていて、やっと電話に駆けつけたというその家の主は、
間違い電話を詫びる彼女に言ったそうだ。
”一人暮らしで、しゃべる相手もいないので、間違い電話でもうれしいんですよ”
”少し話してもいいですか”と。
しばらく近所のことなどおしゃべりしてから、電話を切った。
:☆:☆:☆
各月ごとに届く可愛いデザインのミニタペストリーは、
お雛様だったり、お月見だったり、”ミミズクの夜メール”みたいなフクロウだったり・・・。
小さなプレゼントだけど、大きく広い思いがあふれている。
急ぎ足で出かけてきました。
銀座ミキモトのツリーです。
毎年、軽井沢の山から根ごと運んできた樅の木を使うそうですが、
この木もそうなんでしょうか。
子どものころは、みんな近くの山野に、自分の樅の木を持っていました。
ブランコを作ったり、登ったり・・・
勝手に「お気に入り」に決めて遊んでいただけなのですが。
その樅の木は今でもあります。
よその別荘の庭の中に。
☆☆☆
街並みはクリスマスのディスプレイで、きれいでしたが、
いまひとつ盛り上がらない。
さもありなん。むべなるかな。「今」を考えると。
ー:☆:ー
空には、アサヒビールの広告塔の光と小さな三日月のツーショットが見えました。
(やっぱりケータイじゃ無理ですね。写真。)
見舞いに行ったとき、母は車椅子に乗ってテレビを見ていた。
呼びかけると、ぽっと頬がほころんだ。S市の老人病院にいる母である。
「ああ、よかった。ちょうど、いろいろな物が切れてきたところだったんだよ」
と喜んだ。
「三日も前から、手紙を書いているんだけど、完成しないで、まだ出せていなくって・・」
という。
葉書は文面が丸見えなので(人に出してもらわなければならない)、
専ら60円のミニレターを使っている。
「全部書かないともったいないと思うと、なかなかない出せない・・・」
と、下書きを見せた。こんどは、余白がたくさんありすぎるようだ。
手紙によらず、日常のすべてのことに、
もったいない精神が染み付いている。
「ミニレターは、いくらだって持ってくるから、2~3行でもいいから出せば。
そうしたら私もすぐ返事を書くから。そのほうが楽しいでしょう!?」
筆まめな母であったが、、91歳には、負担ということか。
だが、1ヵ月に一度くらいは、母の”力作”の手紙が届く。
「今度来るとき、アレとアレとアレを持ってきて。
そんなにいいものじゃなくていいです。
いつもわがまま言って悪いですが、よろしくお願いします。」
一緒に暮らせればいいのだが、いろんな事情でできない。
だからこそ、かえって、優しく思いやれる。
お母さん、なにも遠慮しなくたっていいよ。昔の貯金を引き出すように、
何でも言ってくれればいいのよ。